37:move on




水を求めて台所に顔を出せば折よくさつきが急須を手にしていて、別府は俺にも頼めるかと声をかけた。
「お酒でなくていいの?」
そのついででいいと伝えれば、
「いい時に来たね、別府さん」
笑いながら盆に乗っているニ対の湯飲みの片方を渡された。

自然の流れであったので特に考えずに別府は口をつけたのだが、
「……悪い、これ良かったんか」
急須に湯を注ぎ、新しい湯飲みに出涸らしを淹れているのを見て思わずそう尋ねてしまった。
「ん?良かったよ?」

さつきはそう言ったが、茶葉は少し良いものでこれは普段使いのものとは違う。
ひとつは従兄のものだろう。
そしてもうひとつは、
「客人、じゃナカな?」
客用ではないだろう。客人に出すものならこんな対応はしない筈。
「えー……うん、違いマス……」
別府は軽く首を傾げた。

志麻が頼まれて桐野の自室に茶を届けている姿は今まで何度か見ていて、夕食後の一服は従兄の習慣なのかもしれない。
しかし先程見かけた女中は別段忙しそうな様子でもなく…………
それならこれは志麻の仕事で、客たるさつきがする事ではないだろう。

「汝が届けるんか」
思わず声に出してしまったが、今の感じから見るにもうひとつの湯飲みはさつき自身の分か。
そうピンときて、すぐに言葉を繋げた。

「……いや、ごゆっくり、か?」
「えっ……」

軽く笑って引っ掛ける程度のつもりだったのだが。

「……えと、ちょっと前から少し微妙な感じで……なんて言うの?触れ合い?なんか違う気がするけど……きぃさん、話す時間を作ろうとしてくれてるみたいで」

やや気まずそうに視線をずらしたさつきにおや、と思う。
以前とは少し様子が変っていた。
(こりゃ何かあったな)

そう感じはしたものの、さすがにそこに踏み込むまでの厚かましさは別府にはない。
ただ気になるのは従兄が彼女に無理を強いていないかという事だけで…………
さつきの様子からするとそうした感じではなさそうだが。

「嫌じゃらせんか」
「ん……嫌じゃないよ」

一応と思い、投げかけた問いに目の前の頭が小さく縦に揺れた。
納得していての事なら、それならいい。
邪魔したなと簡単に礼を口にして立ち去ろうとしたところ、
「別府さん、待って。教えて欲しい事があって」
咄嗟に呼び止められたのだった。どうしたかと先を促せば、

「きぃさんから櫛を頂いたの」

別府は思わずギョッとした。
櫛?

「いつも持つようにしろ、何かあった時にこれを出して桐野から貰ったって言えって」
「…………」
「大抵の面倒事ならそれで解決するだろうって……櫛って何か意味があるの?」

「お守りみたいなものかなって思ったんだけど……」
黙り込んだまま驚きを隠せずにいる別府にさつきの表情が少し翳る。

「違うの、かな……?」
目の前の女がそう口にしたところで、「さつきさん、御前がお呼びですよ」、やってきた志麻により中断してしまった。

「ごめんなさい、行くね」
後ろ髪を引かれながら去っていく姿に、さつき、と声を掛ける。

「間違うちょらん、そいは守り札のようなもんじゃ」

別府の答えに振り向いた顔はややきょとんとしていたが、別府の反応に悪い含みがない事は伝わったのだろう、表情が柔らかく綻んだ。


「すいません、お邪魔しましたか?」
「否……志麻、ありゃいつからじゃ」
「最近お茶は御前がさつきさんに頼まれてるようになって。あの……あのおふたり、お付き合いはされてないんですよね?何か聞いてます?」
「……スマン、まず酒でん貰えんか……」

頭を抱えそうになった。

「最近傍から見ていてあれ?と思う事が多くて」
前に雪緒様のお家から招かれて、御前がさつきさんと一緒に料理茶屋に行かれたんですけど。
帰ってこられた時にはどことなく雰囲気が変わっていて。
……うん、それからです。

志麻は人差し指を顎に当て思い出す様なしぐさで別府に伝えた。
自分が違和を感じた程だ。同じ屋敷にいる志麻はもっと敏感に変化を感じ取っている。
しかしやはり詳細までは分からないようで。

「辺見は?」
「辺見さんは何か思い当たる所がおありみたいでしたけど……ほっとけって」

らしいと言えばあまりに辺見らしい反応だ。

「志麻……あのな。さつき、兄から櫛ば貰うちょる」
「櫛!?」

先程のさつきの様子。
志麻とは櫛の話をしていなさそうだったが、果たしてそうだった。

「え?櫛?本当に櫛ですか?お付き合いもされていないんですよね?」
「多分」
「ご寝所も別ですし、特に何もない……ハズ……」
「…………」
「ただ雰囲気が良いってそれだけで……い、いきなり櫛?」
「ああ」
「でもでもさつきさん全然そんな様子じゃ」
「あいつは意味を知らん」

何か意味があるらしい事には薄々気付いていたようだが。

「で、でしょうね……でもさつきさんが知らない事、御前もお分かりですよね」
「ああ。じゃっどんさつきに意味は伝えちょらん」
「それはわざと……」
ですよね?との問いに「わざとじゃな」と相槌を打つ。

は、とひとつ息を落とすと、
「志麻、気になるじゃろうがさつきには教えるな」
「はい……」
「お守りかち聞かれたで一応そうじゃとは答えたが」
内容としては従兄がさつきに告げるかさつきが従兄に直接聞くべきで、他人が入り込む類のものではない。
志麻にほっとけと伝えた辺見が正解だ。

「お守り……う〜ん、確かに強力な虫除けだと思いますけど」

いつもの調子で志麻はくすくすと笑った。

「御前、完全に外堀埋めにかかってますよね」

顔を見合わせて苦笑した。




夕食後にお茶を頼まれていたのはいつも志麻だったのに、あの夜から幾日かして桐野はさつきに直接声をかけるようになった。
初めは言い間違いかなとか志麻ちゃん見つからなかったのかなと思ったものの、次の日もその次の日も声をかけられ、尚且つ、
「少し座っていけ」
と勧められて暫く話し相手になる日が続くとなると、あんな事があった後だ、否が応でも察してしまう。
前の騒動を知っているだけに別府が気を遣って嫌ではないかと聞いてくれたけれど、
(嫌……じゃないんだよねえ)
確かに。

目の前に座る桐野を見てそう思う。
手荒くはあったけれど心の中に入ってきて、自分の抱えている本質的な問題を言い当てられて、その上で認めてくれて。
人間性を認められる事は仕事で信頼関係を築いて認められるのとはまた違う心地良さがあった。
桐野に対しては元々ないに等しい警戒心だったが、それが更に薄れているのを薄々は感じている。

(あんまり良くない気がするけど……)
と、そう思う一方で、もうそれでもいいかとも感じている。
なるようになるし、なるようになれ。
そう割り切り始めている自分に、さつきは我ながら苦笑してしまう。

「あいつらは大丈夫か」

ぼんやりと考えている所に桐野から声を掛けられ、さつきは肯首した。
あんな事があって桐野屋敷の書生たちはもうさつきに近寄ってこないだろうと思っていたのだけれど。
肝付兼行を前にさつきが英語を口にした事が余程インパクトがあったのか、英語を教えて欲しいと何人かに頼まれていた。

教えるのは構わないが、ただ漫然と教えても仕方ない。だから考えて分からないところを持ってきてと。
人の目につく居間を場所に決めて始めたのだが、ひとりに教えているとそれを見た書生が我も我もと集まって、週に何回かは勉強会のような様相になっていた。

「大丈夫ですよ。元々良い子たちですし。それに皆熱心だから覚えるの早くて」
「そうか」

それきり桐野は口を噤んだ。
珍しい。
何か話したい事でもあるのだろうか。
言葉を探るような様子に、さつきは何も言わずに桐野を待った。

は、とひとつ息を落とすと桐野はさつきの膝に頭を乗せる。
あれから幾度か繰り返された膝枕は、今では自然な動作になり過ぎてさつきはもう文句を言おうという気も起こらなくなっていた。

「暫く忙しくなる」
「はい」
「俺がおらんでも汝が自由に動けるよう、屋敷の者には言うちょる。気兼ねするな」
「きぃさん……そんなに、」
気を遣わないでと言いかけたところでぱちりと視線が絡んだ。
「ありがとう……」
ゆったりと上がる桐野の口端に答えが正解だったのだと知る。
さつきの口元にも自然と笑みが刷かれた。

「なあさつき、ここで寝んか?」
「え、ええ?」
「汝とおるとほっとする」
「え……と、ここで?一緒に?」
「ああ」
「そ、それは……自分の身が守れるような気がしないんですけど」
「ふ、はは、そうじゃな」
「……認めるんですか……隣で寝るだけ?」
肯首される。
「嘘くさい……」

大きな声で笑われてしまった。


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