新宿は暫く歩けば田畑が広がるような所だった。
さつきが思い描く現代の新宿とは随分と様子が違っていたが、維新前は江戸の出入り口として栄えた宿場町だったと聞いた。
明治に入ってからの人口減少でやや下火になったと言うが、それでも往時の賑やかさはまだ残っている。
さつきは到着早々、辺見に助けられた周辺を歩いて回った。
何か変わった事はなかったか、神隠しの噂はないか、事故はなかったか……
しかし今まで桐野邸の人間が足を運んであちらこちらで同じ事を聞いていたので、今更情報などなく。
それでも「おや、今日はいつもと違う顔だね」と、嫌な顔をせずに話を聞かせてくれた近隣の住人には感謝しかない。
さつきの恰好はジーンズにジャケット、髪は肩にかかる程度の長さを簡単に纏めているだけ。しかもプリンだ。
こんな姿で歩いている人間なんて、明治の新宿ではさすがにひとりもいない。
それでも怪しまれなかったのはさつきも何度か新宿に足を向けていたからだし、何より桐野邸の人間だと知られていたからだ。桐野の名前が後ろ盾になっているのは、この上なくありがたかった。
ただ、
「あー、こらこらついて来ないの!遊ばないからね!お家に帰りなさい」
物珍しさに子供たちが後をついてくるのには参ってしまった。
さつきはいつも誰かと一緒に来ていたから、今までは近付きにくかったらしい。
追い払っても追い払っても纏わりついてくる子供たちの好奇心の旺盛さに、さつきは早々に根負けしてしまった。
しかしぞろぞろとチビどもを引き連れて少し離れた所まで足を延ばしはしても、やはり特段目立つような事象は見受けられなかった。
歩き疲れて川の土手に腰を落ち着ける。
「疲れたー」「疲れたねー」なんて言いながら傍を離れない子供たちに、鞄から飴を取り出して配ってやれば歓声が上がった。
思わず口角が上がってしまう。
かわいい。
「あのね、ここ川じゃないよ」
「え、違うの?」
「知らねえの?玉川上水ってんだ」
「玉川上水」
「うん、上水!」
そう聞いて、手慰みに落ちている石を投げ入れようとしていたのを止めた。
目の前に流れているのは川ではなく上水、生活用水だ。それも遥か昔、江戸時代に作られたものだという。
水が剥き出しで流れているだけとは言え、そんな中に異物を投げ入れるのは憚られた。
それに……
手の中にある小石が歴史の流れの中に放り込まれた異物――自分の様にも感じられて、さつきはそれをそっとジャケットのポケットに収めてしまった。
「遠くに行かないでね。あと水に落ちたら助けられないから、気を付けて」
はーいと元気よく上がる声にさつきも笑う。
(一体何しについてきたんだあの子たち……というか、一体何してんだろ私)
そうは思うものの、初対面に近い子供らの無邪気さに、沈みそうになる気持ちを救われているのは確かだ。
さつきは周囲できゃあきゃあ笑いながら走り回っている子供たちを見つめた。
新宿に来たかったのはひとりで周辺の様子を見に来たかったから。
それは嘘ではないのだけれど……
(トラックとぶつかって……事故に遭って、明治に来た)
もしかしたら、もう一度事故に遭えば帰れるのではないかと思ったからだ。
それこそトラックと同じくらいの衝撃を与えられたら、現代に飛ばされるのではないか――なんて。
ただこちらでは現代のような交通量もないし、同様のスピードを伴う交通手段もない。
トラックとぶつかるのと同等の事故が起こりそうな環境ではなく、それらしき変わった事象も、変った噂話もなかった。
(戻る方法はないって事なのかな……)
ジャケットの内ポケットから取り出した櫛を眺める。
現代に戻らなければと思っている。
しかしその気持ちの裏側で、桐野の傍にいたいと思う気持ちが募るばかりだった。
「お姉ちゃんのくし、きれいね。お花が彫ってある」
幾多の桜が透かし彫りされている飾り櫛を隣に座っていた五、六歳の女の子が興味津々で覗いてくる。
いつの時代でも女の子はきれいなものが好きらしい。
「うん、きれいね」
「もらったの?」
キラキラしながら聞いてくる様子に、あ、これは意味を知ってるな、そんな一般的な事だったのかと改めて思う。
「そうよ」
「どんな人?いつ祝言するの?もうした?」
苦笑いするばかりで答えを返さないさつきに、女児の顔が次第に曇っていく。
「好きな人からもらったんじゃないの?」
「くれたのは大好きな人よ」
櫛を渡されて、その返事はまだしていなかった。
好きな気持ちだけで飛び込めたらどれほどいいだろう。
そう思いながら優しく笑えば、きゅうと手を握られてしまった。
ぽんぽんとその頭を撫でて、腕時計を確かめればそろそろ戻った方がいい時間になっている。
待ち合わせ場所には桐野より早くに着いておきたい。
「そろそろ帰ろうか。遅くなるとお母さんが心配するし」
「……うん……」
周囲の子供たちに帰るよー!と声をかければ、わらわらと集まってくる。
「帰ろ。お腹すいてきた!」
「うん!」
短い道中は帰ろう、お腹すいたの大合唱で、賑やかな事この上なかった。
周囲を歩く大人がくすくす笑いながら、微笑ましいものを見る瞳でこちらを見ている。
はるばる新宿まで子供のお守をしにきたようになってしまったけれど、それはそれでいいか。
お屋敷にいる時とはまた違う笑い方をして、違う気分を味わえた。
多分それだけでも来て良かった。
夕方になると行き交う人が増えるのは明治でも同じで、特に人力車の数が目に見えて多くなっていた。
馬車が通りかかったりもし、テーマパークのように感じもするのだけれど、
(ちょっと危ないなあ……)
信号がないのだ。
子供たちを道の脇に寄せて歩き、ひとりふたりと家へと送っていく。
人数が減っていく中、最後まで残っていたのは上水からずっと手を離さずにいるあの女の子だった。
家が待ち合わせ場所の目の前らしい。
「お姉ちゃん」
「なあに」
おず、と小さな瞳がこちらを見上げた時、
「さつき」
道の向こう側からかけられた声に顏を上げる。
「きぃさん」
「あの人がお姉ちゃんの大好きな人?」
返事の代わりに頷くと、
「かっこいい……」
笑ってしまった。
こちらに来た桐野が繋がれたふたりの手に視線を落としたので、
「お友達のおなつちゃん。かわいいでしょ〜」
うふと笑って女の子を桐野の前に立たせた。
「家に帰らんでよかな。もうじきに暗くなっど」
「うん……」
覗き込むように少し屈んだ桐野の問いかけに、ほっぺたを赤くして俯いてしまった子の後をさつきが引き取る。
「お家がね、待ち合わせしてた所のすぐ目の前にある旅籠なんだって」
桐野に会えたのだからここで解散しても良さそうなものだったが、ちゃんと家まで送って行きたい。
そう告げると桐野も了承してくれた。
手を繋いだおなつは歩きながらちらちらと桐野を見上げている。
気持ちは分かる。
黒羅紗の軍服で歩く桐野には物語の人物が動いているかのような華があった。
キラキラした視線を浴びせられ居心地でも悪いのか、ちらんと流された桐野の視線に気づき微笑めば、桐野も口元だけで困ったように小さく笑う。
「……騒がしかな」
馬車や人力車、行きかう人々。車輪が地面を跳ねる音の中に雑多な話声がする。
「あそこ!私のお家あそこよ」
ピッと正面の旅籠を指さしておなつが走り出したその時、
ドーーーン!
ガシャーン、ガラン、ガラン、ガラガラガラ……
曲がり角の向こう、さつきたちからは見えない所から、日常とはかけ離れた音が聞こえた。
何かがぶつかった音だ。
「な、なに、今の」
さつきの肩を桐野がぐっと引き寄せる。
そしてすぐさま飛び込んでくる耳をつんざくような人々の叫びと、馬の大きな嘶き。
音が近付いてくる、と感じた時には、猛スピードで走る馬車馬が視界に入っていた。
(デジャヴ……)
はっとして道路を見れば、真ん中におなつが突っ立っている。
怯えで体が完全に固まっていた。
「…………!」
桐野の手を振り払うやさつきは道路に飛び出した。
「さつきっ!!」
桐野の声と、周囲の悲鳴がやけに鮮明に聞こえた。
The Beginning Place:始まりの地
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