46:go together




とりあえずは屋敷を出るが七日は東京にいる。
その間にさつきが纏めた希望書の通りに行くよう算段するし、何かあれば繋ぎとして幸吉を屋敷に置いておく。
そう書生と女中に約束した後、桐野は肝付を連れてさつきの室へと足を向けた。

「初めはどうなる事かち思いもしたが……」

青年の言葉に桐野は頷く。
桐野が帰るまでにさつきが書生や女中の今後の話を粗方纏めてくれていたお陰で、話は随分と円滑に進んだ。
場が笑いながら和やかに終わった事に、桐野も肝付も驚いている。

「……神隠しで帰るっちゅう事に、ほんのこてならんのじゃろうか」

少し後ろからの独り言。
元の世界には帰れなくなったようだとは、この青年にも伝えていたのだが……
本当に帰るという事になってしまわないのか、どうやらそうなってしまうのは惜しいと思っているらしい。
そんな様子に桐野は小さく口角を上げた。

「兼行、そん話じゃが相談がある」
その言葉に顔を上げた青年に頼み事を告げれば、
「それで私もあん人の室へですか。話は分かりもした。引き受けるんも構いもはんが……」
はあ、とひとつ嘆息される。
「元の世界に帰れんくなったのに、あん人にそれを聞くんは今更ち気もしもんど」
確かにそうなのだけれど。


「さつき、入るぞ」
「あ、御前」
「え、きぃさん?もう来ちゃったの?ちょっと待っ」

やや焦りを孕んだ返事に何かあったかと襖を開けて、桐野と肝付は固まった。

「お帰りなさいませ」
「お、お帰りなさい……」

畳に指をついて頭を下げた志麻の隣で、さつきが見た事のない衣装で座っていた。
ふんわりとした薄い洋服。両腕の部分は紗か絽のように透けている。
着物よりも裾の部分が広いのか、足元は完全に隠れていた。

室に足を踏み入れさつきの前にしゃがみ込む。
耳に髪を掛けてやると、耳朶につけられた宝石が灯りできらりと反射した。見れば首元にも同じ宝石が輝いている。
化粧は朝見た時よりもほんのりと濃く、目元や頬には艶やかな色が入っていた。

言葉を発しないままさつきの手を取って立ち上がらせ、正面から眺めると、
「き、きぃさん、恥ずかしいんだけど……」
目を逸らしながらの小声での抗議を受けて、桐野は笑ってしまった。

「汝の世界ところの恰好か」
「ん……こっちで着た事ない服……」
「わっぜむぞかな」

目の前の女の顏に朱が差すのを見て桐野は笑みを深くした。

「……あー……」

ごほん、と後ろで立ったままでいる肝付のわざとらしい咳払いに苦笑して着座。
室から出て行こうとする志麻も引き止めて同席させた。



「助かった」

短い言葉であったけれど、さつきには何の話かすぐに分かったようだった。

「差し出がましいかと思ったんですけど……私あれくらいしかできる事がなくて、後はきぃさんに丸投げになりますけど」
「ああ」
「みんな笑ってたけど不安だと思います。今回の話、とても急だったから……ちゃんと道をつけてあげて下さいね」

こういう時は自分の事について尋ねそうなものだが。
さつきがまず屋敷の者の行先について頼み出した事に、肝付が驚いていた。
一方の志麻は「全くもう」といった感じで笑っていて、彼女はさすがにさつきの気性を理解している。

さつきの後方に座る彼女と視線が重なると、やっぱりねえ?といった風に首を傾げられ、桐野も内心笑ってしまった。
志麻は桐野がさつきのこういうところを気に入っている事をよく分かっている。

桐野がさつきを好ましいと思うのはこうした他者への思い遣りの深さだった。
その優しさにこの屋敷の多くの者が救われている。
その事をさつきは知っているのだろうか。


「書生の子たちには全員東京に残る方向で希望を書かせてます。渋る子もいたけど……帰るのは何時でもできるでしょって言い含めました」
「汝のお陰で俺は殆どやる事がないな」
良い判断だとねぎらう様に口にすれば、さつきの顔には安堵の色が広がった。
「……大丈夫、かな?」
「ああ」

良かった。
そう呟いて俯きがちに小さく息をついた女を桐野は見つめ、口を開いた。


「さつき、東京に残りたいなら兼行について行け」

その一言に、弾かれたようにさつきの顔が上がった。

「………」
「………」

無言で、じっと桐野の双眸の奥にある気持ちを覗き込んでくる。
数瞬の間、微動だにせず見つめ合っていたけれど、やがてさつきの瞳が潤み始めた。

「その言い方は……ずるいよ」
分かってる癖に。
置いてくつもりなの?

そう呟くとさつきは困ったように微笑んで両手を桐野の頬に添えた。

「傍にいてって……最初に言ったのきぃさんだよ?忘れちゃった?」

目を細めて肯定すれば、酷いなあと微笑う。

「答え、聞きたい?」
「ああ」
「私は貴方について行きます」

コツと額に額が当たる。

「……連れて行って」

そのまま静かに唇同士が触れる様子を、肝付が口を開けて、志麻が顔を真っ赤にして見ていた。



はっと我に返り、耳まで赤くして着物を抱え逃げるように着替えてくると室を出たさつきを見送り、桐野は残されたふたりに向き直った。
志麻は赤面したままで、目のやり場に困るのか視線が左右を泳いでいる。
肝付にしても何とも言えない表情をしていて、桐野は吹き出してしまった。

「兼行、悪かったな。連れて行く」
「そうなる事、分かっちょったでしょうに」

あんな聞き方して気の毒に、と呆れた様子の青年に桐野はふっと笑った。
あれは桐野が残した最後の選択肢でもあり、彼女への最終確認でもあった。
肝付の言う通りそうなるだろうとは思っていたが、さつきが躊躇いなく己を選んでくれた事に胸が酷く満たされている。

「志麻」

改めて向き直って名前を呼べば、小さい返事が戻ってくる。
東京でこの居を構えてからずっと近くで仕えてくれた娘だ。
年も若く、辛い事も嫌な事も沢山あっただろうに、文句のひとつも言わず気持ち良く働いてくれた。
志麻は女中という以前に桐野にとっても親戚の子のような……かわいい女の子だった。

今までの感謝と急な解雇への詫び、そして今後の事はできるだけの事をすると約束すると、志麻は丁寧に頭を下げた。
いくらか家族の事などの話をしている内に、志麻が何か言いたげにしているので促せば、

「私が言うのも変ですけど……さつきさんの事、大事にしてあげて下さい」

桐野は目をぱちくりとさせた。

「私の、お姉ちゃんなんです」

涙と一緒に、「寂しい」、ぽろんと零れされた言葉に、桐野は志麻の隣に座り直すとその背をさすってやった。

「そうじゃな」
「御前とお別れするのも寂しいです」
「そうか」
「そうですよ!だって私、すごく良くして頂いて、ずっとお世話になってばっかりで……」

桐野の東京での生活は決して長いとは言えない期間であったけれど、お互い色々な思いと感謝がある。

「さっきのさつきさんの恰好、私がお願いしたんです」
「汝が?」
「……きれいでしたね」
「ああ……きれいじゃった」

真顔で頷けば志麻は半泣きで笑って「御前、私に感謝して下さいね」と言い放った。
思わず声を上げて笑ってしまう。

「さつきさんが耳飾りとか……装飾品を餞別に下さるって」

断っても押し切られてしまって、それなら、どうしてもと言うなら、貰う前にさつきの世界での服と一緒につけて見せてほしいとせがんだ。
同じ部屋で起居していた時、行李からさつきが取り出していたのを見た事があったのだ。
何だろうとまじまじと見ていた志麻に気付いたさつきが、その時は両肩の部分を持って掲げるようにして見せてくれたのだけれど……それを装飾品と一緒に着て見てせてほしい、と。


「それできちんとお化粧もし直してくれて……洋服はおしゃれして出掛ける時のって仰ってました。すごくふわっとしてて、ちゃんと捕まえてないとさつきさんどこか行っちゃいそうで……」

御前、と後が続きそうな様子に、
「逃がさんで、心配するな」
後を引き取ってやれば、志麻が安心したように破顔した。


go together:ついていく。熟語としては交際するという意味もありますね。
志麻ちゃんはキャリーバックという言葉を知らないので行李で。ふんわりした服は30年組の方で書いたシフォンのバルーンブラウスにスカート位で良いと思います。201910182019620

wavebox(wavebox)