Butterfly Effect 2




さつきは江藤の死を予想していたのか、黙ってそれを受け止めていたのだが。

がしゃん。

派手な音を立ててさつきの腕から滑り落ちた盆、転がった湯飲みに、佐賀の乱の始末の話をしに来ていた男たちの視線が一斉に集まる。
どうしたかと見やったさつきの表情が完全に凍りついていた。
さつきの瞳は車座の真ん中、乱雑に広げられていた報告や新聞といった類の資料、その中に紛れていた写真に釘付けになっている。

(しまった)

その場にいた全員がそう思った瞬間、さつきは走るようにして室を出て行ってしまった。
さして広くもない家だ、炊事場からの泣き声がはっきりと聞こえてくる。


「どうして、ひどい、ひどい、しんじられない、なんで?なんであんなことできるの、どうして死んでまであんな目にあわないといけないの、どうして、一緒に仕事してたひとたちじゃなかったの」
「さつきさん?さつきさんどうしたん落ち着いて」

驚いて炊事場に顔を出したらしい幸吉が随分焦って声を掛けていた。

「幼馴染がいるってッ、政府にいるってっ言ってたのに!それなのになんで、なんであんなひどい、」
「さつきさん」
「また会いたいって、また来てって言ったのに!……いや、ぁっ……江藤さん……!」


しん、としながら、さつきが泣きながらぐずぐずと崩れていく様子を聞いていた。
戦場では一に戦死、二に負傷、三に生還と教えられる士族の子女では、それは決して見せる事のない姿であったと思う。
ただ、その場にいた誰も彼女を咎めなかった。

東京の幾つかの省庁の廊下に掲げられたという生首の写真。
江藤の変わり果てた姿は、人の死ですら遠いものであったらしいさつきには衝撃であっただろう。

さつきは江藤とは本当に僅かな時間を共有していただけだ。
これがもっと近しい間柄の人間であったら、例えば己であったら、どうなるのか。

そう思って桐野はぞっとした。
そしてその場にいた男たちも桐野と同様の事を考えたのだった。

己の近しい間柄の人間は、残された時にどれほどの打撃を受けるのか。

その場にいた者がさつきに眉を顰める気にならなかったのは、江藤と同じ立場になった時、誰も見ていない所で己の妻子も同じ様に嘆くのだろう、そう感じたからだ。
咎める気になどなれなかった。


「……薩摩が佐賀の轍を踏まんか心配しちょると言われた」
「江藤か」
「江藤がさつきがそう心配しちょると感じたと」

そうか、と答えたのは誰だったか。
さつきがウィリス医師に請われて医学校に出入りしている事は同座する誰もが知っていたし、彼女が江藤に質問する場面に居合わせた者もいた。
変わってはいても愚かな女ではない事は、一定以上の立場にある関係者の多くが知っている。
その女が薩摩の状況を見てそう感じるのなら、少なくとも気には留めておいた方がいいのだろう。
そうとは、誰も口には出さなかったけれど。


「桐野、ここは構わん。様子ば見てやれ」
「話は済んじょる。もう引き上げるで」
「悪いな」

屋敷を後にした客人を見送って室に戻り、
「会うか」
声を掛ければ、のろのろと腰を上げた辺見が首を左右した。


政府に対し最強硬派である辺見が、さつきの様子に随分と衝撃を受けていた。
無理もない。
さつきと一番仲が良いのはこの若者だった。
しかしあんな姿、彼女は辺見どころか桐野の前でさえ見せた事がなかったのだ。
戦争にも人の死にも慣れていない事は知っていたが、あそこまで取り乱すとは思っていなかったに違いない。

「辺見、あれは戦死した者全ての家族の姿じゃ」

勇壮論もいいが自身の言動の先にある、散るだろう生命の数を、嘆く人間の数はその数倍に膨れ上がる事を、もう少し考えた方がいい。

「……時間も遅い。今日は泊っていくか」

素直に返ってきた了承に桐野は小さく笑った。



「先生……」
室に顔を出し、誰かが湯飲みを乗せ直していた盆を手にした従僕を一瞥する。

「さつきさんえらい泣いて、泣き止まんし、食べたもんもさっき全部吐いてしもうて」
吐いた?
「その、江藤さんの事でえろう動揺しとるみたいで」
ええですか?と任されるまま炊事場に向かえば、さつきは壁にもたれて抱えた膝に顔を埋めてしゃがみ込んでいる。


「おいで、さつき」

その声に弾かれるように首元にしがみつき、ごめんなさいと消え入りそうな声で繰り返す背をさすってやる。

「悪かった。汝に見せるつもりはなかった」
「……えとうさん、家族とか、ふるさとの話してて、すごく優しく笑うの、それでね私にはきぃさんの話ばっかりだなって」
「ああ」

肩口にぐいぐいと額を押し付け、
「笑ってたの、ここで笑ってたのに、……も、もういない、」
ひっ、と引き攣ったように喉を鳴らして息を吸い込むと、また小さく泣き出した。

「さつき」

呼ばれてこちらを見ようと少し開いた距離、顎に指をかけて上げさせた顔は泣き腫らしてぼろぼろになっている。

(これを置いて先には逝けんな)

桐野は困ったように眉を下げた。
本当に佐賀の轍を踏まぬようにしなければ。

「最後、笑って送り出したじゃろう。あの江藤も声まで上げて笑っとった」
「……」
「あの顔を覚えておいてやれ」



あの時のさつきの様子は、周囲に少なからぬ影響を与えたと桐野は思っている。
特に辺見に。

江藤の事があってからも、さつきは何事もなかったかのような顔をして医学校兼病院に行っていた。
けれど、ふとした時に本人も気付かないまま涙が零れている時があったようで、
「休みなさい」
ウィリスに諭され、城下での緊急時の連絡先にしている辺見家に送り届けられる事がままあった。

さつきの気持ちが凪ぐには少し時間を要し、周囲は何も言わず彼女が心を持ち直していく姿を見つめていたけれど、辺見だけは変な時間にさつきが医学校から送られてくる度にその傷心の深さを心配した。

辺見は東京にいた頃から、さつきには徹頭徹尾親身で優しくあり続けた男だった。
親友とも言える女が静かに苦しむ姿をどう見、何を感じたのか。何を考えたのか。
この時期に辺見自身が家族を持った事も多少関係したかもしれない。

強硬派の一角であった男の態度は、この時を境に時間をかけてではあるが軟化していった。


今から思えば、これが政府との関係が破局を迎えずに済んだ切欠のひとつであったのかもしれない。
幼馴染や友人を巻き込んで過激論に走る二才(にせ)を抑止する側に回った辺見がどれほどの役割を果たしたか、恐らく本人はよく理解していなかっただろう。

そして辺見にそうさせたのがさつきであった事を、さつき本人は知らない。



Butterfly Effect 2:バタフライ・エフェクト 2019122020191025

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