Butterfly Effect 1




「利秋さん、今日は凄く驚いた」
「ああ」
「ホント、世間って狭いんだね……」

隣を歩くさつきは本当にびっくりしたともう一度口にした。



「私の叔父は久木村治休です。叔父に連れられて上京しました」
鹿児島、姶良郡隼人町生まれの竹下勇がそう口にすると、
「都城生まれ、父が鳥羽伏見の戦で旗手をしていました」
財部彪も同じように続けたのだが、驚いたのは広瀬武夫の師だけではなくふたりの肉親の事も桐野は知っていたからだ。

「え、何?もしかして皆知り合いなの?世間狭いというか……凄いね」
同藩の士だ。
知り合いというより、まあ顔位は知っている、名前位は知っているという程度のものではあったが。
しかしそれ以上に桐野とさつきを更に驚かせたのは、

同期(クラス)に江藤新平の親族がいます」

財部の一言だった。
どうやら佐賀の乱で薩摩にまで来た江藤が桐野と面会した事を知っていての言葉であったらしい。


「えと、江藤さんの……?」

思いがけず揺れたさつきの声に青年三人が揃ってぎょっとした。

「さつき」
「あ、ああ、ごめんなさい、そっか、江藤さんの……」
「向井弥一と言うのですが、その父上が従兄弟にあたるそうです」
「……江藤さんね、ちょっとツンツンした感じだったけど優しい人だったのよ」

向井くんか、その子にも会ってみたいな、と口にして俯く。
思い出すといまだにじわりと来るのを止められないらしい。
ほんの一日二日関わっただけであったけれど、江藤新平の件は強烈な出来事としてさつきの中に刻まれている。






「あの、私もいいですか」

幾人か続いた質問の後、後ろの方で話を聞いていたさつきが小さく手を挙げた。
よもや女から声が上がるとは思わなかったのだろう、江藤は意外そうに目を瞬かせたけれど軽く頷いた。

「江藤さんが司法制度の基礎を短期間で築かれた事に驚いてます。お国元でも司法関係の仕事はされていなかったと伺いました。ほぼぶっつけで実戦で結果が出せるってそんな事できるんだって、驚きで……」
佐賀藩って一体どういう教育制度だったんでしょう。

「……何故そんな事を?」

「佐賀は……えーと、すいません、維新直前は薩長ほどの動きはそれほどなかったと思います。でも政府で要職に就いている人がそれなりに……それは抽象論じゃなくて実務が分かる方が多いからではないですか?」

そう口にしたさつきに、その場にいた全員が酷く驚いた様子で目を丸くした。
女の口から出てくる話とはおおよそ思えない。
何やら上野屋敷での書生たちへの説教を髣髴とさせるような周囲の雰囲気で、桐野は思わず苦笑いしてしまったのだけれど。

「物事を把握する能力がずば抜けてる人はいます。多分江藤さんもそうだと思う。でもこういうのって天性って言うか才能に負う所が大きいって言うか……」
「…………」
「そんなに何人も都合よく一ヶ所から出てくるほど簡単なものでもないと思うんです」
「それで教育だと?」

問われてさつきは肯首した。

「才能の有無に左右はされても、能力は訓練次第である程度までは引き上げられるんじゃないかなって。ただ学校って社会で生きる為の方法とか仕事のノウハウまでは教えてくれないから、凄いなと思って」

「……君は、」
「はい?」
「君は何者だ」
「えっ?私?」

ぱっと江藤の傍に座っていた桐野を見て、

「……桐野の女……?」

違う。そうじゃない。
江藤が聞いたのはそういう事じゃない。
しかもその言い方。

本当は妻なのだが、東京を去る直前に桐野が独断で籍を入れた事は話していなかった。
そのおかげでいまだ恋人気分な訳であるが。
……いや、櫛の事がある。
それならさつきからすると許婚ではないのかと思うものの、もう随分いい年のふたりが人前で許婚ともさすがに言い辛い。
そこまで思い至ってぶはっと思わず笑った桐野に、神経質そうに、さつきを窺うように眉を寄せていた江藤が釣られて苦笑いした。



薩摩士族の蜂起を西郷隆盛に断られた江藤に、匿う事もできると告げて引き留めようとしたのは桐野だった。
ただ江藤はそれを良しとせず、薩摩の地を後にしたのだが。

僅かであった江藤らの滞在時、屋敷で彼らを接遇したのがさつきだった。
疲れた顔で桐野の下にやってきた江藤たちを、彼女は敗軍の将としてではなく本当にただの客人として扱った。

疲れたでしょう。沢山食べて今日はゆっくり休んで。
怪我なんかしてませんか?
何か足りないものは?

江藤らは薩摩に来てまで落胆する結果となり、随分疲れもし、また緊張も緊迫もしていた筈だ。
それが距離を置くでもなく負け戦に対して変に同情も寄せず、不快にならない程度に笑いながら接してくる女の様子に幾分か気がほぐれたのだろう。車座の中での異質な質問の事もあったのか、

「少し話相手になってくれないか」

江藤が表情を和らげた。


桐野は同座こそしなかったが、漏れ聞こえてくる江藤の柔らかな声音にやや意外な感を抱いた。
彼は正論を曲げない性格から「正義で身を滅ぼす」とまで言われた舌鋒鋭い、秋霜の印象のある人物だった。
しかしそれも私的な空間では少し違っていたのかもしれない。
後から聞けば江藤は家族や政府に残った幼馴染のこと、面倒を見ていた書生たちのこと、極貧であった昔の事をぽつぽつと話してくれたとさつきは言っていた。

「後ね、きぃさんとは長いのかって聞かれちゃった。江藤さん聞き出すの上手いからなんか色々と話しちゃったよ」
何の話をしたのだか。
「えー、秘密」
布団に仰向けになってうふふと笑っていたが。

「そっち行っていい?」
肘を枕にして掛け布団の端を捲り上げてやれば、さつきはそのまま桐野の隣に滑り込んだ。

「きぃさん……江藤さんたち薩摩(ここ)出て行くトコあるの?何処に行くの……?」
「…………」
「ごめんなさい、言っても仕方ない事だって分かってる」

胸元に顔を摺り寄せ、くぐもった声が少し湿っている。
行き場はない。
江藤は高知に向かうと言ってはいたが、それでも今の状態で後図をはかるのは難しいだろう。

「明日は笑って見送るだけでいい」

返答はなかったけれど頭が小さく縦に揺れた。



実はさつきが江藤の座を辞した後、彼女の不在を見計らって江藤が桐野に挨拶に現れていた。
とはいえ最早挨拶と謝辞の他特段話す事もなかったのだが、最後に江藤が口にしたのはさつきの事だった。

「妻ではないのか」

まさか江藤にそんな事を聞かれるとは思っていなかった。
目を丸くすれば、意外性は自分でも認識していたのか江藤は苦笑いした。
誰何されたさつきが「桐野の女」と妙な答え方をしたのが引っ掛かっていたらしい。

妻で間違いない。
ただそうなっているのを本人が知らないだけで。

「知らん?」

江藤が軽く眉を顰めたのは、法に関わる事であったからだろうか。
本人が与り知らぬ所での婚姻届の提出は、確かに褒められた事ではないだろう。


しかし明治六年以前にこの世界に生きていた形跡が全くないさつきの事情は特殊過ぎて他とは違う。
それに基づく自分たちの関係も、他とは違うのだ。

桐野が当局に出した一枚の届出には、さつきにこの世界での居場所を与える力がある。
そして己に繋ぎ止めておく拘束力もある。
たった一枚の紙切れに、だ。

黙っているのは半分はいつ気付くかという遊び心。
半分は手に入れてすぐ束縛しにかかった執着の強さを知られたくなかったから。
さつきの前ではもう少し余裕のある男でいたい。


さつき本人にさえ告げていないそれを江藤に話す気はない。
黙って笑えば、「男女の仲は色々だな」、そう呟いて深く聞かずに引き下がってくれた。

「君を好きで幸せにしたくて一緒にいると言っていた。守られたいのではなく守りたい、抱きしめられたいのではなく抱きしめたいのだと。君は果報者だな」

江藤はこの男らしく笑いも含羞の欠片もなく真顔でそう口にした。
さつきはこの男に一体何の話をしていたのかと少し頭が痛くなったけれど、

「大事にした方がいい。……君の身を案じていた。口にこそしなかったが薩摩が佐賀(われら)の二の舞にならないか、酷く心配している」

静かに付け加えられた言葉にただ頷いた。



江藤一行は翌日出発した。
さつきは桐野に言われた通り笑って彼らを見送ろうとしていたけれど、
「江藤さん」
別れ際に掛けた声は少し震えていて。

「また来て下さい。まだ聞いて欲しい事沢山あるの、絶対に来て下さい」
「まだ惚気る気か」

江藤が珍しく声を上げて笑った。

「そうですよ。それに熊太郎くんと新作くんの話ももっと聞きたい。大木さんの話も途中でしたよ」
「そうだったな」
「絶対に、また来て下さい」


捕縛された江藤が碌な裁判も受けられないまま故郷で処刑されたのは、それから一ヶ月足らず後の事だった。



Butterfly Effect:バタフライ・エフェクト
まさかの標準語江藤ばい。佐賀弁分からんけん断腸ん標準語ばい。熊太郎くんと新作くんは江藤の長男と次男。大木は大木喬任です。幼馴染。(memo20191213
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