犬も食わない 4



「秋山!お前すぐに秋山中佐の家に行け!」
帰るなり何かと思えば。
「兄の?」
「さつきさん、そこにいる」
「え?」
兄宅から書付が来たようで、家に居た広瀬がそれを受け取っていた。
兄の家、と聞いて、思わず秋山の体が固まる。
「…おい、行けよ?」
「………行く、けど…」

何でまたよりにもよって兄の家。
兄から連絡が来ると言う事は、もう大体の事態がばれている…のかもしれない。
…何となく背筋がぞっとする。しかし迎えに行かない訳にもいかず、秋山も、
「行って来る」
腹を決めたのだった。


辿り着いた兄の家からは賑やかな笑い声が聞こえていて、何と言うか本当に入り辛い。
玄関先に立ちはしたものの往生際悪く躊躇っていると、突然からりと引き戸が開き、
「あら」
それだけ言うと、義姉は少し笑って何も言わずに中へと上げてくれたのだった。

居間に通されれば兄と、兄の教え子なのか自分やさつきと同世代の男が数人。
そして膝に小さな姪を乗せたさつきが、
「さつきちゃんこれあげるー」
「え、よーしもらっちゃおうかな!」
「如月さん、これも食うか?」
「いるいる〜」
「はは。よう食うなあ」
「え?やだ、もしかして遠慮する所だったの?」
「あっはははは!」
驚くほど自然に融け込んでいた。

「……」
それが何となく面白くないのはなぜなのか。
居間の出入り口に佇んだままでいると、秋山に気付きひとりが声をかけた。彼に礼を告げると兄に挨拶をして、驚いた様子のさつきに視線を向ける。
彼女は少し居心地悪そうに身じろぐと、俯いたまま黙り込んでしまったのだった。
さつきには何も話すつもりはないようで、若い将校たちも空気を読んで言葉を発せず、座に沈黙が落ちる。
が、
「さつきさん」
その静けさを破ったのは兄で、
「向こうで話しておいで」
聞き訳のない子供を諭すように彼女の背中を叩くと、姪をその膝から引き取り自分が見た事のないような顔で笑いかけていた。




「………」
「………」
「………」
「…さつき、なんとか言え」
悪いのは自分だ。
それは分かっている。それなのに言葉には棘が籠った。

「さつき」
「…ごめんなさい」
違う。謝るのはこちらであって、謝らせたい訳じゃない。責めるつもりもないのに。
「さつき」
「ごめんなさい…」
「な、お前何でここに居る?銀座じゃなかったのか?」
銀座、というフレーズでさつきの顔には少し光が射したが、どう解釈したのかそれもすぐに消える。
「…なんで銀座に行ったの?」
「なんでって、お前」
「どうせ広瀬さんから聞いたんでしょ?」
その通り過ぎて二の句が次げなかった。

「……えと、…なんかさ、ごめんね〜」
「え?」
「真之さんの都合も考えないで勝手に約束して、お兄さんの家にまで押し掛けて…迷惑だったよね」
何事もなかったかのように笑うさつきに、秋山の背中にはひやりとしたものが走った。
こんな時に笑うなんて悪い予感しかしないではないか。
「も、こんなこと二度と言わないから」
そそくさと立ち上がって部屋を出て行こうとしたさつきの腕を掴めば咄嗟に顔を逸らされた。
その拍子に、ちらっと瞳が潤いの膜で覆われているのが見えて心底から後悔が顔を出す。
―――泣かせてしまった。

「っ、悪かった」
焦ったように言葉を吐けば、
「もういいよ」
相手にはもう話を聞く気もする気もないようで返事は実にそっけなかった。
「いや、」
「だからもういいって」
「…さつき」
「真之さん、しつこいよ」
苦笑した彼女に、秋山は思わず口をつぐむ。

「別にいいよ…どうせ私の話なんかひとつも聞いてないんだから」
「何?」
「だってそうじゃない!いつも『ああ』とか『うん』とかばっか!話聞く気なんてひとつもないんじゃない!」
「…悪い」
「その気がないんならちゃんと言ってよ…」
さつきが言っている意味が分からなくて、秋山は思わず首を傾げる。

「初めに好きだって言ったのも付き合ってって言ったのも私からで…そんなに無理矢理だった?断らなかったのは面倒だったから?それなのにひとりで付き合ってるつもりになって。話さえ聞いてもらえないのにね…ホント馬鹿みたい私」
「おい…」
「………ごめんなさい。もういいです。秋山さん、今迄ありがとうございました」
「さつきっ!」

彼女の両肩をつかんで無理矢理こちらを向かせれば、下瞼には随分涙が溜まっていてそれが今にも零れ落ちそうだった。
それを拭おうとして、
「止めて」
キツい表情でこちらを睨みつけてくる様子に戸惑う。
さつきが何も言ってこない事をいい事に、今迄ほったらかしにしすぎたツケが今来ているようだった。

(11/5/6)
あーららら…


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