4.同病相哀れむ



「………生ドナドナ…」
体を起して同居人が消えた襖をぼーっと見ながら、よくわからない言葉を吐いたさつきに、財部はジャケットを脱いで肩にかけてやった。
「…財部?」
「大丈夫か?何もされてない…」
振り返りざま見えた、髪に隠れていた鎖骨の欝血痕。
「…ことはないな」
その一言にさつきの瞳に膜が張ったかと思うと、ぼろーっと雫が零れる。
(あーこれは救済の余地ないわ広瀬)
「ごめんな怖かったな」
乱れた髪を手櫛で整えてやり、空いた手で背中をさすってやる。

「だ…いじょうぶ、ちょっとび、びっくりしただけ」
口端を上げて笑う表情は少しいびつだったけれど、笑えるなら大丈夫だ。
「てゆーかさ、謝んないといけないのは財部じゃなくない?」
「はは、確かに」
うん。大丈夫そう。そんな財部をよそにさつきは釦を止めながら「あーやっぱり跡ついてる」と一言。
「これから暑くなるのに最低…遊びかも知れないけど、それなら尚の事これはやり過ぎ」
はあ、とため息ひとつ。
「ね、財部。海軍の人ってみんなこうなの?………そんな訳ないか」
言葉を続けようとしたが目の前の男の顔が何とも形容しがたい表情に歪んだのでさつきは苦笑いした。
しかし聞き辛いんだけどと話し掛けた彼女に財部は向き直る。


「さっきの人…誰?」
「……………は?」
「さっきの人…てかあの男?いやアレで十分だよね、広瀬武夫に似た誰か?広瀬武夫に双子の弟とかいる?」
「いや(アレって…)」
「ですよね!」

「じゃあアレ何?あいつ二重人格なの?過重なストレスで生まれたもうひとりの自分?ざけんじゃねえよこちとらパねぇストレス社会で働いてきてんだよ甘えんな。じゃあドッペルゲンガーとでも?」
「……………いや(どっぺる…?)」
「で す よ ね! ご本人様ですよね!!」
本当に腹が立って来たんだけど…と胸元で拳を震わせて怒りの色を滲ませ始めたさつきの勢いに財部は引いた。

「ちょっと聞いてくれる?押し入れ見てたらいきなり腰つかまれてべろちゅーだよ?そのうえ『処女じゃないよね』とか失礼にもほどがあるつーの!デリカシーなさ過ぎる!拒否っても笑って誤魔化して、しかも私はうっかり流されかけた!これが一番腹立つ!自分に腹立つ!!」
「え」
「すんごいいいカオで笑うんだよ。ほだされかけたわ!あれさァ騙される人多いんじゃないの?毒牙にかかった子多いでしょ」
毒牙って。

「……普通にさえしてりゃ広瀬はいい男だからな。多少強引でもさつきの言う”笑顔”に大抵が負ける。まあいいか、広瀬さんだし、だとよ。普段とのギャップがいいとか言う奴もいる」
けっとでも言い出しそうな財部に眉をひそめるさつき。
「なにそれ。それでいいの?」
「いいわけあるか!あいつの女絡みで面倒事も起こるし、その後始末の殆どを」
「財部大体わかった、言わなくていいよ」
すっかり愚痴モードに入った財部の肩に、さつきはぽんと手を置いた。


「ごめんね。財部のせいじゃないのにね。怒ってごめん、ほんと八つ当たり。大変だったね…」
図らずも当事者になってしまっただけに、気の毒に思ったのかさつきの謝罪には心がこもっていた。

思い返せば、巻き込まれた財部に謝ってくれたり、労わってくれた女は殆どいなかった。
だからさつきも入れて広瀬の女癖被害者の会でも開いても罰は当たらないなんて思い、もうひとりの親友の名を零したのだ。

「…今度竹下も誘ってメシでも食いに行くか…」
その一言にさつきの顔は剣呑の色を帯びた。
「え、何、竹下さんも?あいつ竹下さんも巻き込んでんの?」

広瀬経由で知り合ったさつきをちゃん付けで呼び、ちゃんと女性扱いしてかわいがる竹下に、さつきはとても懐いている。あ、しまったと思ったものの、財部は更に焚きつけるように言った。

「巻き込まれるのは俺か竹下だ」
「ほんとに…潰してやれば良かった」

地を這う様な低音に何をとは怖くて聞けなかった。


(11/1/2)


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