13.思料する





如月さつきは友人だ。
始めは従兄狙いで屋敷に上がり込んだ女かときつい言葉を浴びせたりもしたが、屋敷での様子を見て、そして本人に接して、どうもそれは違うようだと思うには大した時間はかからなかった。

さつきにとっても初対面で手を上げかけた別府の第一印象は最悪だっただろう。
しかし謝れば恨み節を聞かされる事もなく、蟠りを残すことなく付き合う事を許された。

持つ価値観に相違があっても同い年というある種の連帯感から話しやすさがあり、別府が桐野の屋敷を訪ねた時はふたりで話し込む機会がままあった。
他愛無い話が多かったが、ぽろっと洩れた愚痴を拾い上げ、さりげなく話を聞くのがさつきは上手かったし、「あ、それ私も考えたことあるよ」、と偶に仕事上の困り事を一緒に考えてくれたのもさつきだった。
女に自分の仕事の話を?
対等にそんな話ができるなんて、と首を傾げると、

「私だって朝から晩まで、毎日働いてたんだから」
そりゃ別府さんみたいに部下はいないけど、男ばっかで人使い荒いし大変なんだから。

ぶつぶつとそんな事を言う。
ぶつぶつ言いながら、やはり相談事を受けてくれたり、一緒に悩んだりしてくれる。
それにどうして笑まずにいられるだろうか。
これは、気のいい男仲間そのものだ。

以前辺見は「さつきがどんな人間か会ってみれば分かる」と言っていたが、こんな不思議な女、実際に会ってみなければ絶対に分からないだろう。
確かに、さつきは大きな声で笑ったり話したり、いまだに正座で足がしびれたり、別府が知っている女たちと比べると淑やかさに欠けるとか、女らしさがやや欠落しているきらいはあった。

しかしさつきという人間を知ってしまえば、非難めいた気持ちよりも寧ろそれは愛嬌だと思えてしまうから不思議である。
それに幸吉や志麻を従僕や下女として扱うのではなく、まるで兄弟かのように大切に接しているのを見て驚いたのは、いまだ記憶に新しい。
差別をせず、誰に対しても物柔らかに親切に当たろうとするその姿勢には好感を持てる。
男女や身分という垣根を越えた所で、ひとりの人間として人と接しようとする女にどうして悪感情など持てるだろう。
総合的に見て、別府はさつきに対して性別を超えたところで好意を持っている。


だからさつきの視線が桐野を追っていると知った時、別府は嬉しかったのだ。
今まで面倒を繰り返した従兄の女性関係がここで終わるかもしれないし、誰かに落ち着けば、それは桐野のためにもなるだろう。
桐野もさつきを気に入っているようであるし、そうでなければ彼女は今きっとこの屋敷にはいない。
それに、さつきなら。
そう別府は思った。

気心は知れているし、何よりいい人間だ。その上屋敷の人間にも受け入れられている。 
桐野の親戚としても、さつきの親友としても別府は賛成できる。
いつだか望むのなら手伝うつもりで従兄の話を振った際、決まり悪げに眼を逸らすものだから、別府は思わず笑ってしまったのだった。
ただ返ってきた反応はどうなるつもりもないので手出ししてくれるなという、無言の婉曲な拒否で。
少々意外な気もしたが、本人がそう思うならと、別府は単なる話相手に回った。
いつか相談してくれたら、と思いながら。  

だから何事の進展もない日々の延長で、ある早朝、桐野の部屋から出てきたさつきを見た時は驚いたのだ。
驚きはしたが落ちた祝福の言葉は本物で、しかし彼女はいきなり泣き始めた。
後になって思えば、そこから少し違和があったのかもしれない。

それから久しぶりに会った時にはさつきは随分と疲れた様子を見せていた。
それを心配する辺見に、正直なところ大袈裟だと感じたのは否めない。
しかし、その後に顔を合わせた時、それが大袈裟でも何でもなかった事を知った。
何があったのか、彼女は明るく振る舞ってはいたが、明らかに以前の精彩を欠いていた。
恐らく辺見に頼まれなくても、別府が桐野邸に立寄る回数は増えただろう。


さつきは随分痩せていたから、その度に何か食べやすいものを手土産にし、志麻を見ればその様子を聞いた。
それからまた間を開けて会えば、様子はかなり戻っているようには見えたのだが、全体として感じる違和感は大きくなるばかりで。
注意して見れば見るほど、何かが大きく欠落しているように思える。


さつきの様子が変ったのは従兄と結ばれてからだろう。
ならば今考えられる原因は桐野との関係においてしかない。
桐野の兄に関係していることなのなら、別府としては尚のこと放っておくことはできなかった。

(………)

長嘆息もしたくなる。
考えている事抱えている事、苦しい事があるのなら、言って欲しい。
解決には繋がらないかもしれないが、さつきがそうしてくれたように一緒に考える事はできる。
しかしそう思うのは別府だからで、さつきからすると恋人の従弟にそんな話をするのは遠慮があるのかもしれない。

そうは思ったが。




調練場に出た際、そこに居合わせた辺見が目敏く別府を見つけ、
「…想像以上に強情じゃ」
ちょっといいか、とさつきの話をし始めたのだった。
話を聞く姿勢を取った別府に、辺見は最近のさつきについて思う事、感じた事をぽつぽつ話していく。

「さつき、何か心に溜めちょるな」
桐野邸に住んでいる辺見なら、別府以上にそれは感じているだろう。

「相談しろち言うても大丈夫、あいがとの一点張り。挙句の果てにこん前は話の途中で泣き出した」

最後には笑っていたのだけれども、そう言葉は繋がったが、別府は少し驚いた顔で辺見を見やってしまった。

「泣いたんか」
あの女が話している最中にだなんて、それは余程だろう。

「……あれは堪える」
「ああ、そうじゃな」

辺見には苦笑して見せたものの、別府は冷静にここ最近のさつきの様子を思い浮かべていた。


幸せそうじゃない。
いつかさつきに感じた言葉を思い出す。
さつきの状態が落ち着けば落ち着くほど何故かその思いが強くなる。

(あいつから話しにくるまで待つなんて)
そんな悠長な真似をしていられないのではないだろうか。 

黙り込んでしまった別府に、
「別府、言いにくいんじゃがな、」
おもむろに辺見が口を開いた。辺見もさつきの変調が桐野との事だと察しはついているようで、その親族である別府には少し言いにくい、そう言うことだろう。
言ってくれと先を促すと、

「さつきは桐野さァを好きじゃったじゃろ?そいで、桐野さァはさつきを大事にしちょる、ように見える。見ちょって雰囲気が全然違うからな。普通ならそこに問題はナカ筈じゃ。じゃっどん、あんふたりは危うい」
「危うい?」
「何ちゅうか。…歯車が噛み合っちょらんちゅうか。釦掛け違えちょるちゅうか、しっくりとこん。…似合いじゃち思うたんじゃがなあ」
「……」
「…不憫で見てられん」

あのままではさつきは体だけでなく心を壊す。そう小声で付け加えられた言葉に、

「辺見、次の休みな、さつきに予定開けろち伝えてくいやい」

辺見が肯首したのを見て、別府は立ち上がった。

辺見と自分の懸念がここまで重なっては、最早さつきの意思を優先することが最善とは思わなかった。


(11/07/25)(11/5/12)