16.告白する





「な、んで別府さんが謝るの…」

あの時、もう少し違う声の掛け方ができていたら、さつきをこんなに泣かせることはなかったかもしれない。

「…違…だれも悪くな」
「ならないごてわいが泣いちょるんじゃ。…男女のこっは本人同士でなけりゃ分からん。じゃがな、こん痣は違ごじゃろ」 

薄いながらも首を絞められたとはっきり分かる跡。

(それを隠す為の洋服か…)

零れそうになった溜息を飲み込む。
剣を持つことで鍛えた握力なら女の喉くらい簡単に砕ける。運が悪ければ本当に命を落としていたかもしれないのだ。
相手が知っている人間とはいえ、いや、知っている人間だからこそ恐怖も大きかっただろうと別府は思う。
しかしそういう事も誰にも言えずにいた。
それがどれだけさつきの負担になっていたのだろう。
さっきから震えが止まらないさつきをあやすようにしてその背に掌をあてた。随分と華奢な背中だった。

「違うな。責めちょるんじゃなか。さつき、苦しかったな。…今までひとりでよう気張ったな」
「…っ、ぅっ、――」
「辺見にも…ましてや俺にはもっと言えんかったろう。でももう知ってしもうた。それに俺はこうなる前に汝が思っちょった事も知っちょる。よう話したもんな。もう嘘吐く必要も誤魔化す必要もなかぞ。遠慮もいらん」
「でも…、だって」
「『でも』も『だって』もいらん」
「………」
「さつき」

別府が辛抱強く待っていると、もう誤魔化せないと諦めたのかさつきはぽつぽつと言葉を零し始めた。

「…きぃさんね、夜、よく夢見てる。昔の夢みたいだけど人の名前呼んだり時々すごく魘されてる。突然飛び起きたり…偶に夢なのかそうじゃないのかの境目が曖昧になるみたいで、多分それで…」
恐らくそんな時に不用意に近付いたから、乱暴されたのだと思う。

「…怖くないんか」
そんな目に遭って怖くない筈がない。しかしさつきは桐野の隣に居続けている。

「…怖かったし、なんでこんな酷いことするのって。初めは何かの弾みだったんだって思ったけど、へ、部屋変っちゃって、朝起きたら隣で寝てるし、怖いのにきぃさん優しいから訳分からなくなって、大丈夫と思ったら突き落されて、でもきぃさんいつも通り優しくて、わた、私何でこんな目に遭うのって」
混乱しているのか脈絡がバラバラだ。

「住む世界が違うのに好きになったから…バチが当たったんだって、でも、どんな形でも…きぃさんの側にいる事が、私のここでの役割なのかもしれないって」
「………」

別府は言葉を失った。まさかそんな事を思っていたとは。

「そう思ったら、きもちが、すごく楽で、少し落ち着いて、寝られるようになった」
「ああ…」

それはいつの頃だったか別府にも大体分かる。顔色は若干回復したが、その代わりに食が細くなり始めた時期だ。

「この前ね辺見さんからきぃさんの話少し聞いたの。苦労してきた人だって。色んなもの見てきた人だって。そしたらその夜ちょっとあって…これ、」
首をすっと撫でる。
「その時、色んな事思い出して」
「色んな事?」
別府の言葉にさつきは首を振る。

「しんどいとか辛いとか、そんなところ全然見せないから、きぃさんは強いからひとりでも大丈夫な人だって思ってた。でも…見せない事は思わない事じゃない」
「魘されたり、…弱いところだってある。知らないだけ」
「それに誰だってひとりでいるのは嫌だって、誰かにいて欲しい時って、あるよね」
「この人も寂しいんじゃないかって、誰かのぬくもりが欲しいんじゃないかって、そう思ったら…」

「…もういらないって言われるまで、側にいようと思ったの」

小さく呟かれた言葉はしかし、はっきりと別府に届いた。

(女はすごいな)

住んでいた世界が違うというだけで普通の女だと思っていたさつきを、別府は驚嘆のまなざしで見た。
別府から見ればさつきは多様な意味で力のない女だ。
しかし全てを自分ひとりの腹に収める事でさつきは桐野とその周囲を守り、その上桐野の深層にまで触れていた。
そして何度か折れそうになりながらその都度持ち堪えている。
なんてしなやかで、 
(――強い…)

桐野が何故さつきを側に置いているのか、別府には分かる気がした。
始まりは偶発的で最悪で不幸だったかもしれない。
それに桐野が初めさつきをどう思っていたのか別府は知らない。
ただ別府が知っている様子では、桐野はさつきとよく話してもいたし愉快そうに笑う事も多かった。
桐野といえど想い人でもない女を自分の部屋近くに住まわせる事はしないので、初めから随分気に入ってはいたのだろう。
桐野にとってのさつきがその程度だったのか、それ以上だったのかはさすがに分からない。
しかしさつきを抱いたのが弾みであったにせよ、今、桐野は冗談抜きでさつきに本気だ。
本気だから、さつきに弱い部分を、――素の部分を見せようとしている。

そして別府は今まで何故桐野の女が早い周期で変わっていったのかを理解した。
きっと彼女たちは恐怖から桐野の側にいられなかったのだろう。従兄を取り替えのきく情人だと見ていたり薩摩の高官であることが理由で近付いてきたのなら、こうした暴力は耐えられるものではなかっただろうから。
それを、さつきは。
この女は絶対に逃がしてはならない気がする。
しかし…

「さつきはどうしたい」

辺見との会話の中で、また、菊弥といる桐野を見て突然泣き出す程だ。本人は意識していないのかもしれないが恐らく限界が近い。
頑張ったなと掛けた声は別府の本心だった。同時に変だと思いながらここまで友人を放っておいた己に不甲斐なさを感じる。
だからこそ、事情を知ってしまった今ではさつきを助けたいし、本人の意思を尊重したい。
別府はそう思う。
今までひとりで懊悩してきた女を、従兄のためと切り捨てるほど非情にはなれなかった。
この問いかけは、さつきにとってのひとつの選択肢になる。
彼女がどういう答えを出しても、例えここから出て行きたいと言っても、別府は尽力するつもりでいる。

「このままでいい」

しかし、うっすらと笑ってそう言うさつきに別府は目を細めた。
「そいでヨカな」
桐野の側にと思ったとしても、もう無理はして欲しくない。そう言外に伝えたつもりだ。

「…うん」
「そうか」

桐野も本気で、さつきも桐野の側にいたいと思っている。
そうならば何も問題はない筈であるのに、これでいいとは少しも思えない。
何か重大な事を見逃しているような気がするのはなぜだろうか。


(11/8/21)(11/05/18)