17.剔抉する





何かを見逃している気がする。
何かが少しおかしい気がする。
何かが引っ掛る。
繋がっている筈なのに、まっすぐに繋がっていない。そんな印象を受ける。
別府は先程までの会話を頭の中で反芻した。

――…もういらないって言われるまで、側にいようと思ったの

そうだ。もういらないと言われるまで、そんな事を言っていた。
相思であるはずで、さつきも側にいると決めたと言うのに『いらないと言われるまで』なんて、なぜそんな思考になるのだろう。別府には理解できがたかった。

「…そのままの意味だよ」
あにょわいにそげなこっ言うとは思えんが」

別府から見た真実を告げると、えっ、と心底驚いた顔でさつきは別府を見上げた。

(言われる事は確定なんか)

おかしな話ではないか。
もう嫌だと相手を捨てるのはこの場合ならさつきの方だろうに、さつきはいずれ桐野に捨てられると思っている。
何故だろう。他に相手がいるとでも思っているのだろうか。
……他に、相手…

「…菊弥か…?」
「え?」
「さつき、兄は確かに菊弥を贔屓にしちょる。そいにそげな関係じゃったかもしれんが、」
「違う!菊弥さんじゃない!」

叫ぶように言うや、さつきはハッとして口元を押さえた。
今の言葉は、他にいると、他に誰かいるから、自分はいずれいらなくなるのだと暴露したのと同じだ。

「なら他に誰がおる?おいが知っちょるだけでも芸者、妓楼のおんな、商家の娘…」

ああ、聞かせたくない。目の前の顔がどんどん曇っていく。

「やめて!聞きたくない!」

また泣かせてしまう。

「他に誰かおると思うからそう思うんじゃろうが。汝は菊弥は知っちょるようじゃが他は知らんじゃろう」

知らないも何も、さつきが屋敷に来る前に桐野は女たちとは切れているのだから。
もしかしたらその事も、桐野が出席した酒宴を誰のために早々に切り上げて帰っているのかも、さつきは知らないのかもしれない。
こんなことを思うなんて誰かに何かを吹き込まれたか桐野に何かを言われたかだろうが…後者はまずないと見ていい。

「なぁさつき。俺も汝を好いちょる。よか友人じゃち思う。そん親友バ助けたい、そう思うんはいかん事か?」
目の前の頭が左右に揺れる。
「誰ぞに何か言われたか?」
これも否定。
「兄が誰かとおる所でん見たか?」
否定。

ふむ、と別府は腕を組んだ。
「ね、もういいでしょ?別府さん。お願い止めて」
泣き顔でそんなことを言い募るさつきを余所に、別府は考える。

東京で桐野が関係した女全てを知っている訳ではなかったが、さつきがこうも思い詰める程深い仲になっている女がいるとは思えなかった。
さつきの誤解なのではないだろうか。そう思ったのだが、

(……あ?)

そうだ。東京では、知らない。東京では。それでひとつ思い出した。

(東京にはおらんでも、京にはおったな)

何と言ったか…河原町小橋東詰、高瀬川沿いの煙管屋の娘だった。確か名前は、

「村田さと」
「っ」

頭の中だけのつもりが声になっていたらしい。名前を聞いたさつきが小さく息を飲んだのを見て、別府も驚いてしまった。
「え、な…そうなんか…?」
まさか。もう五、六年前の話だ。しかし、

「……………きぃさんの大事な人、でしょう…?」

違う、とは否定できなかった。
言葉に詰まる別府を見て、さつきは静かに微笑した。


村田さとが桐野の特別であったことは確かだ。
旧幕時代、政治の中心が都にあった頃、桐野が彼女に会いに日を開けず村田煙管店に通っていたのは有名な話であったし、 喫みもしない煙管を買ってどうするとよく周囲からからかわれていたことも知っている。
彼女の弟とも仲が良く家族からも良くされていたことも知っている。
別府も従兄と写る彼女の写真を見た事があるが…もしかして、

(わい)な写真を」
「偶然だったんだけど…きぃさん総髪だし今より若いし。…ふふ…隣にいる子すごくかわいくて私とは大違い。さとさんに大変な時支えてもらってたんだよね?」

至極自然に、普通に笑うさつきにひやりとする。
続く話をあまり聞きたくない。何故か嫌な予感しかしなかった。

「ね、別府さん」
「止めろ」
「お願いがあるの」
「さつき」
「さとさん、東京ここに呼べないかな?」

我知らず大きな声を出しそうになったがすんでの所でそれを呑み込んだのは、

「…さつき…そげん事ば言うて…ないごてそげに泣くんじゃ」

ここまで来ると自虐ではないだろうか。見ているこちらがやりきれなくなる。

「汝がおっとに何故ないごて呼ばんとならん。必要ナカ」
「そ、んなこと、ない」
「京からおなご呼んで汝は如何いけんすっか」
「私の事はいいの。きぃさんの事考えてあげて」
別府は冷静に話しかけていたのだがしかし、これには流石にカッとなってしまった。 

「違う!兄ん事はヨカ!今は汝の話じゃ!」
「私じゃダメだからだよ!!」

思わぬ大声が出たのか、咄嗟に視線を逸らしたさつきを別府は微動だにせず見つめた。

「汝がいかん?…そりゃ一体…どういうこっじゃ」

「だめ!私じゃだめ、他の誰でも私はだめなの!…だ、だって住んでる世界ちがう!れ、れき、歴史が変っちゃう…っ、かもしれない!」
「べっぷさん、どうし、よ…私、きっと、わたしのせい!この後もしきぃ…んの未来が変わってしまったら、」

自分はだめ、住んでいる世界が違うから。関わり過ぎる事で歴史が変わるかもしれないから。
桐野が選ぶのはこの世界の人でなければだめ、繋がるはずの未来が繋がらなくなるかもしれないから。
桐野の未来が変わってしまうかもしれないから。

堰切ったように言葉を零し始めたさつきに、別府は呆然とした。
「歴史が変わる…?」
何を言っているのかピンとこない。正直な所少し大袈裟に聞こえてしまう。

しかしさつきの言葉を思うとすっと繋がる事があった。
桐野を見ているだけで良しとしていたのも、妊娠しない薬を飲んでいるのも、恐らくここに根があったのだろう。
自分との接触を深めることで桐野の”来る筈だった未来”を捻じ曲げてしまうかもしれない。
そうさつきは考えている。
だから”自分では駄目”なのだ。
(馬鹿じゃなぁ…)
そう思ったが、それとは裏腹に温かな何かが胸に溢れるのを別府は禁じ得なかった。

「…そいなら辺見に拾われて屋敷に来た時から歴史は変わっちょるんじゃなかな?汝が何故ないごてここに来たんかは分からん。神仏のみぞが知るんじゃろう。なら俺たちと…兄と関わってどんな未来になるかも神仏の思し召しじゃっち思わんか?」

はっと顔を上げたさつきに、別府はふわりと笑った。

「目瞑れ。ん、…よし。ヨカな?汝は少し考えすぎじゃな」

ゆるゆると乱れた髪を整えてやりながら、ゆっくりと含めるように言い聞かせる。

「後我慢しすぎじゃ。じゃっどんよう頑張った。今は何も考えんで正直に答えろ。…汝は今も兄の事が好きか?」

直截な質問に、さつきの背がふるっと震える。

「さつき」
「……………き……大好き…っ…」

その答えに別府は深く笑んだ。
そうでなければ桐野の未来を変えてしまうかもしれないと怯えたり、菊弥を見て嫉妬したり、酷い目に遭ってもなお桐野の側にいようと思ったりはしないだろう。
好きだから、苦しんでいる。
今までの様子から見て、従兄への慕情はまだ生きていそうだとは感じていたが、本人の口から聞くと酷くホッとした。
ほんの僅かではあったが、さつきが桐野の側にいたいと思った理由が、心底から「役割」と思っているからであったらどうしようかと思っていたから。 

桐野とさつき、別府が見るところ、気持ちが向かう方向は同じだ。
簡単な話である筈なのに何故か酷くややこしい事になっている。それをどう解せばいいのかと別府が口を開きかけた時、

「…おかしいよね…?」
さつきがそのまま言葉を継いだ。

「…何が」
「あんなひどいこと、されて、こわ、怖かったのに、わたし、きぃさんのこと心底は嫌いになれなかった」
「おい…?」
「でも、ダメだって、役割だって割り切った、のに、知れば知る程どんどん愛しくなってく!ダメだって思うのに!前は他の女の人に嫉妬なんかしなかったのに!どうすればいいの!?」

こちらを見ている筈なのに、さつきの瞳は焦点が合わず酷く虚ろだ。

「ね、別府さん…さっきはこのままでいいって、言ったけど、ほんとは、私もう無理、…耐えられない。きぃさん優しいから…、最近自分が愛されてるみたいに錯覚するの」
「………」
「はは、馬鹿みたい。…ちがうのにね」


何ということだ。
さつきは桐野の心が自分にあるとは思っていない。


(11/09/03) (11/05/22)
爬羅剔抉はらてっけつ
元の意味は『掻き集め抉り出す』。そこから@隠れた人材を探し出すこと A人の欠点や秘密を暴き出すこと