えんどう豆の鞘を割って中身を笊にあげる。さっきからその繰り返しで、考えなくても機械的に手が動いている。
こんな作業は何となく一心にしてしまうのが不思議だ。
だから肩を叩かれるまで別府がやってきていた事に気がつかなかったのだ。
驚いて手にしていた豆を取り零したのを見て笑った別府の腕を抓ってやった。
腕をさすり、「今日のご馳走は?」と苦笑いしながら尋ねる別府に、台所の上り框に座っていたさつきは向き直り、正座で座りなおす。
「別府さん、先日はご迷惑をお掛けしました」
頭を下げたさつきに別府は少し驚いた表情を浮かべた。
確かにここまで改まった様子は初めてだったから驚くのも無理はないだろう。正直なところさつきもくすぐったいのだが、至って真面目に謝罪をすれば別府は茶化すのを止めてくれた。
「あの後、背負って送ってくれたって聞いて…。私全然覚えてなくて。御礼を言いたかったのに次の日はもう別府さんいないし」
「うん」
「あと、みっともない所をお見せしました。…ごめんなさい」
「俺は迷惑ともみっともないとも思うちょらん。気にするな。俺こそ話したくない事まで話させて悪かった。…今まで悪かった。そいで、あいがとな」
「え?」
「汝は優しかな」
どういう事なのかと問い返す前にそんな事を言われてさつきは俯いた。
優しいのはここの人たちだ。
何の得にもならないのに自分をどうしてこうまで助けてくれるのだろう。それ位には好意を持たれていると自負していいのだろうか。
今まで相談に乗ってくれたり心配してくれた周囲の事を思うと、本当に心が温まるのを感じる。
「ね、私がここに来たのはきぃさんに会うためだったんだって」
「
「うん。そう思ってるって。…嬉しかった…」
そうか、と別府が柔らかく笑う。
「別府さん、私本当にいいのかな…?」
桐野と向かい合うと決めた。桐野との関係に納得はした。
が、怖いという気持ちはまだ依然として存在していたし、またふとした時に村田さとのことが頭に浮かぶ。
特に彼女についてはあまり思い出さないようにしていたのだが、いつも心のどこかに引っ掛っていて、気になっていることに変わりはないのだ。
別府もさすがにそこまでは分からなかったようだが、軽く頷くと、
「好きか嫌いかで決める事があってもヨカち思うぞ。単純に考えた方が上手く行く時もあるじゃろ」
「そうかな…」
「汝は兄に会うために来た。兄は汝が好きで汝は兄が好き、そいでヨカ。単純な話じゃ」
別府のような立場の人に認めてもらえるのは素直に嬉しかったが、第三者から直截に言われるとひどく恥ずかしい。
目を逸らすようにして俯くと、別府は笑って笊に入った豆を剥き始めた。手伝ってくれるらしい。
「豆ご飯好き?」
「ああ」
「私は志麻ちゃんみたいは作れないけどさ…」
「いや、呼んでくれてあいがとな」
あの日、別府はさつきを送ると暫くして帰ってしまい翌朝には屋敷にはいなかった。
散々な醜態を見せた挙句送ってもらった事も覚えていなかったが、さつきはとりあえず謝りたくて、辺見に伝言を頼んだのだ。そして夕飯を食べに来てほしいと。
何かで返したくてもさつきにはできることがほとんどなく、最後に思いついたのが食事を作ることだった。
我ながら安易だと思うのだけれど、仕方ない。
それで桐野は快諾してくれたし、志麻には頼んで今は違う仕事をしてもらっている。
慣れてきたとはいえ、フライパンやオーブンレンジがないのには少々戸惑うが、せめていつもあまり食べなさそうなものを出してみようと、蒸し鶏の冷製やらその茹で汁で作った卵スープやら茶碗蒸しの餡かけなんかを献立に入れた。
(呼んどいて本当に簡単なものしかできないから却って申し訳ない気がするけど。現代ならもうちょっとまともなものが作れるのにな…)
ふと視線を感じて顔をあげると、
「今度はちゃんと大事にしてもらえ。まあ、何かあったらな、話くらいは聞いてやる」
笑いながらの唐突な気遣いにさつきは口の端を上げた。
明治には桐野に会うために来た。
少し落ち着いてから桐野の言葉を思い返して、彼がそう言うならきっとそうだとさつきは思う事にした。
歴史が変わるかもとか桐野の子孫がとか、あんなに苦しんだのに。そしてそれが恐怖に繋がっているというのに。
しかし。
もしかしていまだに現代に帰れないのはそのせいなのかもしれない。
蟠りはあるものの、そう思うとストンと何かが胸に落ちたのも確かだった。
僅かな心の持ち方の違いで世界は大きく変わるらしい。
ぼんやり考え込む事は殆どなくなったし、苦しかった事が笑いに変わった。笑う回数が増えたというより、一日の大半を笑って過ごしている気がする。
前もそれほど機嫌悪くしていたつもりはないが、周囲からするとものすごく変わったらしい。
雰囲気が柔らかくなったと何人かに言われたのだが、幸吉に「女らしゅうなりましたよね」としれっとそう言われた時はどうしようかと思った。どういう意味だ。
気持ちを無理に抑えつけなくても、我慢しなくてもいい状態はとても楽で表裏なく笑っていられたし凭れかかっても桐野はびくともしないから自由に甘えられた。昔付き合った大して歳の変わらない男たちとは段違いの包容力で、甘えても頼っても笑って受け止めてくれる。桐野は大人の男だった。
今までが辛かったから余計に今が楽しくて、こんなに世界は優しくて明るかっただろうかと笑っている桐野を見るとさつきは思う。
しかしその後は決まって明るさや暗さ、喜びや罪悪感、色んなモノが綯い交ぜになって胸が締めつけられるように軋んだ。それでも、やっぱり今は幸せだった。
「別府さん、ありがとうね」
「何じゃ急に」
「辺見さんにも…助けてもらってばっかりで本当に何も返せない…どうしたらいいかな?」
「もう一品増やせばよか」
は?と別府を見ると、パリパリと頬を掻いている。
「別に何かとか…俺もあいつもそげなこっ望んどらん。そいじゃ気が済まんち言うなら、またこうして飯でん食わせてくれ」
「それでいいの?」
「充分」
そう言って笑う仕草は桐野によく似ている。
「…別府さんホント従兄弟なんだね…きぃさんと似てるね」
「……」
「え?」
「は、はははっ!」
いきなり笑いだした別府に付いて行けず、何?何?と聞くと、
「やはり覚えちょらんか。辺見にも聞いたが、あの日な、汝な兄ん事を俺じゃち思うて…」
「………え?え?ええーーー?!ちょ、嘘! あれ、夢だって、!……!!………!!!」
「………」
「だって、だってあれ、…!そう言えば次の日みんなおかしかった!ものすごく生温い笑顔でこっち見て来るの!もしかしてみんな見てたの!!?」
結局あの日は寝ることなどできず、桐野と話している内に朝となってしまった。
そのまま一緒に居間に向かったのだが廊下を歩いていても挨拶をしても、どうも、そう、周囲の目が。
何かと思って桐野の袖を引いても、桐野自身笑うだけで何も答えてくれなかったのだ。
「あっはははははは!!」
「うーそー!いやー!嘘でしょー!!」
腹を抱えて笑っている別府に八つ当たりして豆の鞘を掴んで投げたが、まるで梨のつぶてだ。
「やだもう…」
耳まで真っ赤になっているのが自分でもわかる。あんなの全くもって自分のキャラじゃない。
(――は、恥ずかしくて死ねる…)
あーとかうーとか意味不明の言葉を吐きながらぶつぶつ不平を洩らすさつきを見下ろして別府はくすりと笑った。
あの日、さすがにさつきは顔を合わせ辛いだろうと、辺見と話した後別府はそのまま屋敷を後にした。
あの後どうなったのか気になっていたのだが、翌日に辺見が「もう大丈夫じゃろう」と伝えて来たのを見て、落ち着く所に落ち着いたのかとホッとしたのだ。
そして今日の様子を見て確かにこれなら大丈夫だろうと。
「さつき」
「なに!」と拗ねたような顔でこちらを向く様子にまた笑ってしまう。
「今度こそ、ちゃんと大事にしてもらえ」
困ったように盛大に顔を赤くして俯いた友人に別府はまた笑った。
(11/12/12)(11/6/18)