27.浮沈する





「あ、簪されてるんですね。きれーい」
初めて見る簪ですね、と言った志麻の言葉に笑い返す。
「ね、ちゃんと着物着れてる?変じゃないかな?」
自分からリクエストしたものの、町中で桐野の隣を歩くというのは結構な勇気がいることだった。

(私は十人並みだからなあ…)
桐野なら本当に選り取り見取りだろうにと思うと何だか気が引けてしまう。
それでも桐野が恥をかかないよう、せめてみっともなくない格好をと思ったのだが。
「こざっぱりしていてよくお似合いですよ」
志麻の返事にとりあえずホッとする。
「…あ、」
「あはは。呼んでる…じゃあ行ってくるね。何か欲しい物とかある?」
首を左右する少女に行ってきますを告げると、さつきは玄関に回った。



手にした団扇で襟元に風を送りながら、さつきに合わせて緩やかに桐野は歩を進めてくれた。
通っているのは旧幕時代から続くメインストリートであったためか人出があり、思っていた程桐野が目立たずさつきは内心息を吐いたのだが、それも束の間だった。

(…ヤだな、これ…)
目立つのは桐野ではなく豈図らんや自分の方で、先程からチクチクと視線が突き刺さっている。
原因は考えなくても分かる。
髪の色と女性にしては高い頭ひとつ抜けている身長や化粧のせいだ。
桐野の隣にいるのに気にすべきは着物ではなかったのかもしれない。しかし、
(そんなのどうしようもないし…)
気にし始めると遠巻きに囁かれる些細な興味本位の悪口の類までが耳に入るから不思議だった。

忘れていた。
自分の外見がこの時代ではやや奇異に映るという事を。
ここに来た時は多少気にはしていたのだが、今では屋敷や屋敷に出入りする人々がさつきに慣れてしまい、最早その外見など気にもかけていない。
それにさつきは出歩いても今まで裏通りばかりを使っていて表通りはあまり歩かなかったし、それに本当にあまり悪い意味での周囲の視線を気にする事がなかったのだ。

(隣歩いてるのがきぃさんだからかな…)
こんなに気になるのは。
桐野とこんな風に人通りの多い所をゆっくりと歩いた事が無かったからかもしれない。
ひとりならまだしも桐野といる時にこれは少しきつい。
被害妄想かもしれないが、桐野の隣にはふさわしくないと責められているような気がしてならない。
(少し間を開けて歩いた方がいいかな)
それにさつきのせいで桐野まで悪く言われるようになったら本末転倒だ。

自分から歩きたいと言い出した事を後悔して、視線が下がり、俯きがちになった。
ふいに背中の真ん中に団扇の柄が当たり、それにくっと押されて軽く胸が反った。

「俯くな」
ぽそっと耳元に落とされた言葉に振り向けば、途端に顔にばたばたと風を送られてしまった。

「わ、」
「気にするな。そげん悪か髪の色でんナカぞ。そいにさらさらしちょって手触りがよか」
それに背が高い女なんてどこにでもいると、笑いながらそんなことを。
「お、お世辞がお上手で」
「嘘でんなか………何じゃ」
「イーエ…」

(そりゃモテる筈だよきぃさん…というか、よく髪を触ってくるのはそれでですか)
確かに以前から桐野はふたりでいる時はよく髪に触れてきていた。
布団に散らばる髪をよく手櫛で梳いて遊んでいたり、髪フェチなのかと思っていたのだが。
よく考えれば、油で纏め、洗う回数も限られる日本髪では無理だろうから、それは違うのだろうが…

(そっか。気に入ってくれてたんだ)

自分からすればケアらしいケアもできず少々傷みが進んでいるのだけれども。
思わず足を止めてしまう。
じんわりと胸の奥で暖かい何かが溢れていくのを感じる。
自分でも驚く位桐野の言葉には力があって、その一言で救われる一方で何かの一言できっと地獄に堕ちもするのだろう。その影響力が少し怖い。

「さつき?」
ふいに桐野が振り向く。立ち止まって考え込んでいたさつきをどう思ったのか、
「堂々としちょれ」
耳の前に下ろした髪を一房、つんと引っ張ると桐野は口角を上げた。
「…うん」
頷く顔に笑い返したのだが。

(…私にはもったいないなぁこの人…)

大切にしようと思う以上に、そんな思いが上回る。
優しくされて嬉しい筈なのに、今日に限ってネガティブが顔を出すのは何故だろう。

「こら」
急に立ち止まった桐野を見上げれば、こつっと眉間に人差し指があてられた。
「っえ?」
それが思いの外強い力でぐりぐりと押してきたかと思いきや、
「ふ、はは」
両頬をつまんでびろーんと。
(え、えええええ!?街中!街中なのに!!)
ぺしぺしと抗議の意を込めて手を叩けば、桐野は余計に大きく笑う。

「さつき、余計な事バ考えるな。汝はそんままでヨカ。…ほら、眉間の皺を伸ばして、口元をあげろ。老けるぞ」
「なっ…!」
 
だが口答えする前に、ふたりの様子をそれとなく窺っていた周囲から笑声が上がった。
無言でべしっと桐野の腕を叩くと、更に哄笑が上がる。穴があったら入りたいとはこのことだ。
しかし桐野の行動のお陰で周囲の視線に混じる重さが少し軽くなったのは確かで…
「行っか」
その機を逃さずゆるゆると歩き出す桐野の後を追うと、さつきは思わず人差し指を桐野の左の小指に引っ掛けた。流石に手は握れなかった。
ちらんと視線がこちらを向くも桐野はただ軽く笑うだけ。
振り解かれるかと思った指は時間が経っても繋がったままだった。

(気にしなくていい、か…)
我ながら現金だ。
桐野の隣にいる居心地の悪さは、桐野自身のフォローによってどこかに消えてしまった。
この時代、手を繋いで(正確には指を繋いでだが)町中を歩くなんて、きっと酷く非常識ではしたないのだ。
それなのに指先からは少し前を歩く相手の体温が伝わったままでいる。
背中を見つめればそれに気付いた桐野がどうかしたかと苦笑する。その繰り返しだった。

「きぃさんは優しいね…」
「ん?今頃気付いたか」
「…前から知ってた」

桐野は何も言わずに笑うだけで前を向いた。


話す機会なんて毎日あるのに、シチュエーションが変わればまた違う話が生まれた。店を冷やかしながらであったから余計に。
こちらから尋ねることもあれば、聞かれることも多かった。
自分の話で桐野を関心させる事などあまりないから、感嘆の声を聞く度につい笑顔になる。自分が笑えば相手も笑うから余計に嬉しくなる。
桐野の言う通り難しく考えず、一緒に笑えるようにさえしていればそれでいいのかもしれなかった。

「どこかで休むか」
引かれるまま茶店に入れば、

「おー、桐野」
「おお」
外から掛けられた声に桐野が振り向いた。知り合いであるようで、どうぞと言葉を掛ければ、
「スマン。すぐ戻る」

茶菓子とお茶を頼んで店先に置かれた長椅子に座る。
桐野と話しているのは旧知の人間らしく二、三人で笑う様子は如何にも楽しそうに見えた。
こちらに来る様子がないのにホッとしてお茶を口にしながらのんびりと彼らを眺めていると、隣に人が座る気配。場所を少し詰めれば、

「さつき」
「…あ。篠原さん!」
ぱあっと笑うと篠原国幹が苦笑した。

「ツレが悪かな」
「いーえー。それよりお久しぶりです。お元気そうで」
「汝もな。桐野と上手くいっちょるようで何よりじゃ」
「何言ってるんですか、もう」
「顔色も良うなったな」
「…あー…はい…」

何度か屋敷に顔を見せた篠原は面と向かってはさつきに何も言わなかったけれど、それとなく果物や菓子折りを差し入れてくれていたのだ。
本当に篠原にも周りの人にも助けられてばかりいる。感謝をどう伝えればいいのかと思うが、考えた挙句ありふれた言葉しか出てこないのが悔しい。
それでも篠原とぽつぽつと談笑していると、

「篠原、オハンも…あ?おい桐野、あれか」

桐野の隣にいた男の意識がこちらに向くや、あちら側から視線が一斉にさつきの上に集まった。
びくりと肩が跳ねる。
人込みを避けて近付いて来る一団に、さつきは思わず篠原の袖を掴んでしまった。

(やだ…)

先程と同じようにフィルターを通して自分を見られて、その上彼らに桐野がどう思われるのか。そう思うと。先程消えた思いがまた心に浮かぶ。
それに…

瞳が揺れる様子を篠原はどう見たのか、
「…桐野が菊弥を袖にした原因を見たいだけじゃ」
「え?」
「あいつらは汝の事ば知っちょる」
はっとして篠原を見上げる間に、桐野らが戻って来てしまった。


桐野と彼等は旧知の気安い仲間で、顔を合わせる機会も多いのだと。
あれやこれやと聞かれたが、しかしさつきが答える前に殆ど桐野が答えてしまう。
「…桐野…」
ひとりが呆れたように笑えば、
「珍しかな。おはんが嫉 ……って!オイ!」
どんっと踏まれた足に周囲がげらげらと笑う。
彼らとのやりとりで、屋敷では見たことのない桐野の様子に少し心がほぐれ、さつきも思わず小さく笑ってしまった。本当に仲がいいらしい。
「邪魔すんな、去ね」
追い払うような仕草で桐野が手を振れば、更に笑声が上がる。

「…大丈夫か?」
そんな影に隠れて、篠原がさつきにだけ聞こえるように話しかけてきた。
え、と首を傾げれば、
「いや…以前のようにな、桐野や辺見に話せんこっがあるなら何でん聞いちゃる」
その言葉に持っていた湯飲みから視線を上げると、篠原は少し困ったように、しかし緩く微笑んだ。

「篠原さん、あの、」
「おい、篠原、行くか」

すっと立ち上がった篠原に、さつきは結局声をかけられずに終わる。
一体なんだったのだろう。
そして。

「桐野をよろしくな」

別れ際、そう彼らに口々に掛けられた声にさつきは返事をせず曖昧に笑い返すことしかできなかった来なかった。   


(12/1/14) (11/09/04-10/4)