34.暴露する





「辺見さん、篠原さんにはどこに行けば会えるの?」
聞けば辺見は首を傾げた。
「昨日ちょっとお世話になって…お礼が言いたいの」
「礼?そいなら俺が…」
「直接言いたいの。お願い」

「え?」
「じゃからな、明日正午、屋敷。昼メシ馳走したるちゅうとった」
まさか今日の朝頼んで返ってきた返事が明日だとは思わなかった。
「そっか。辺見さん、使ってごめんなさい。ありがとう」
「ああ」
「でもお昼ごはんて…」
御礼にならないよね、なんて言いながら話したい事があると察してくれた篠原にさつきはホッとした。
「誰か書生バ連れて行け」
辺見もさつきが浅草で少し怖い思いをしたという話だけはを聞いていて、そう言ってくれた。
「大丈夫だよ」
「じゃがひとりはな…なら人力呼ぶからな。帰りもそれを使え」
「…ハーイ…」
確か辺見は自分より二、三年下の筈だが、完全に逆に思えてしまう。
「ね、辺見さん、私の方が年上って知ってた?」
「別府と同い年じゃろ。信じられんが」
「ほんっと一言多いよね」
笑って返したが、本当に兄のような友人だと思う。




「待ったか」
応接間の入り口に現れた篠原に縁側に出ていたさつきは室へと戻る。
「篠原さん、忙しいのにごめんなさい」
「いや…午餐ひるにすっか」
座りながら詰襟に指を突っ込んで首元を緩める篠原に従い、さつきも腰を下ろした。

「もうよかな」
出された膳は全部頂いたのだが、言外にそれで足りるのかと言ってくる篠原に苦笑した。
一日三合から五合を平らげる時代の人から見るとそうかもしれない。
「ハイ。美味しかったです。うちとは違う味で」
「そうか」
目を細めて微笑する篠原に、
「ご馳走様でした」
改めて礼を言った。
「そいでさつき。話したい事があっとじゃろ」
対面に座る篠原の顔を見れば、
縁側そっちに座るか。その方が話し易いじゃろう。誰も近付かんよう人払いもしてある。俺と汝しかおらんでな」
ありがたい気遣いだった。


「あの、…一昨日、どうして声を掛けてくれたんですか?」
桐野の友人たちと別れる間際、篠原はそっと「大丈夫か」、「話があるなら聞いてやる」と言ってくれたが、さつきにはその意味がよく飲み込めなかったのだ。

篠原は暫く言葉を探すような素振りを見せたが、
「汝なあいつらが近付いて来た時、困っちょったろう」
怖がってもいたし…彼らとは初対面であった事もあったのだろうが、笑い顔に少し無理が見えたと篠原は言う。それに「桐野を頼む」という言葉にも、困る様子ではっきりした答えがなかった。
「無理…」

「桐野に添う事に無理を感じちょらんか?」

びくりと自分でも驚くほど体が跳ねた。心も。
「そんなこと!……」
ない、とは何故か言えなかった。 

「さつき、大丈夫じゃ。誰もおらんし俺は誰にも話さん」
「…私…そんなに無理しているように見えますか?」

桐野にも無理するなと何度も念押しするように言われていたが、偶にしか顔を合わせない篠原にまでそんな事を言われるなんて。余程顔や態度に出ているのだろうか。
「いや、俺が分かったのは偶々じゃ。そげん心配せんでヨカ」
偶然の出来事でぽつっと浮かんだ表情かおを隣にいた篠原が偶々見て、気付いてしまっただけだ。

「無理…してないって言ったら、嘘かもしれません。最近自分の外見とかここでの常識のなさが凄く気になったり、きぃさんの隣にいて恥ずかしくないようにとか、みっともなくないようにとか、そんなことばっかり考えてて…きぃさんも『無理に合わせなくていい』って言ってくれるけど」
現代ではそんな事考えた事も無かったし考える必要もなかったから、余計に
「ちょっと疲れてるみたいで」
特にあの日は自分でも不思議な位そういう事が気になったし、心のアップダウンが激しい不安定な日だった。
「篠原さんが無理してるって感じたなら、多分そこだと思います」

掌の中で転がす湯飲みを見つめながらさつきは話を続ける。

「私、違う世界からきた人間だから、きぃさんの側にいるのは色々とよくないってずっと思ってて、何回そんなことないって言われてもやっぱり心のどこかで同じ事思ってる。きぃさんにはこの世界の人じゃないとって」
「じゃが桐野は汝がヨカち言うちょるんじゃろうが」
「びっくりですけどね…ホント、私なんかのどこがいいんだろうって。でも私がいいんですって」

口元だけで少し笑えば、篠原も困ったように笑った。

「前は好きなのに何できぃさんと一緒にいるのか分からなくて、すごくしんどくて斜に構えてたけど、ちゃんと話した時に私もあの人にちゃんと向き合おうって思って」
ああ、と篠原が相槌を打つ。
傍から見ていてもさつきの様子が劇的に好転した所がそこだったのだろう。

「でも、そうなったらなったで……前は気にならなかった事がすごく気になるんです」
「そいが初めに言うちょった事か」
「はい。篠原さん達と別れた後にね、きぃさんと離れてひとりでいる時にちょっと酷い事言われちゃって」
「酷い事?」
さすがに詳細は口には出せなかったが、
「平たく言えば国に帰れこの売女ってところでしょうか」
「さつき、」
「……ごめんなさい。でもきぃさんを知っている人からそう言われるのは少し堪えました」
「桐野の知人なのか?」
驚いた顔で庭からさつきへと視線を移した篠原に、さつきは首を縦に振った。
「あの人の知り合いの方にそんな風に思われてると思うと、さすがにもう」
堪えられない。

「あの、篠原さん。ここから先の話は誰にも言わないで貰えますか?きぃさんにも話してないんです」

もちろんここでの会話は誰に漏らすつもりもない。
そう言った篠原にさつきは困ったように笑って礼を言った。


「京都にいた時のきぃさんの恋人、知ってますか」
「村田煙管店の娘か」

仲間内では当時有名な話であったようで、すんなり名前が出てくる。また篠原もその話をよく知っていた。
ちらとその当時のエピソードを聞いて、じりっと胸が焦げる。

「そうですか…有名な話だったんですね。その時に……結婚とか、将来の約束はされていたんでしょうか」
言うや篠原がこちらを凝視ように見てきて、さつきは顔を庭へと逸らしてしまった。

「将来の?いや、俺もそこまでは……もしかして汝が会うたち言うたんは村田の人間か?」
「多分。私に声を掛けたのはお店の従業員の方のようでしたけど」

京都弁。
「お前みたいなおなごがおるさけ、うちのお嬢はんが泣くんや」
――うちの、お嬢さん。
思い当たるのはひとりしかいない。
村田さとだ。

屋敷でひとりになって冷静に考えれば、さつきの外見がどうとかそれ以上に、
「うちのお嬢さんという人がありながら、こんな変な女にうつつを抜かして」
そういう話だったのではないかと思ったのだ。
不必要なほどセックスを持ち出して侮辱をしたのは、きっとあの人が桐野をさつきに寝取られたと思っているからだろう。

桐野は余所に女もいない、他に好きな人もいないとさつきに言ってくれた。
それにさつきが来る前に女性との関係は全て切れているとも言っていた。
その言葉に嘘はなかったと思うし、さつきにとっての桐野はそういうところで嘘を吐く人ではなかった。
(でも向こうはそうじゃなかったんだろうな)
そうとしか思えなかった。

自分はどう見られるのか。どう見られているのか。
それは最近さつきを一番苦しめ苛んでいた事だった。
物珍しい外国人、暇潰し、一時の遊びで相手をしている娼婦、疫病神――
八つ当たり的な要素は多分にあっただろうと思う。
しかし彼は的確にしかも一番酷いタイミング、一番酷い言葉でさつきの心を抉ったのだった。
しかも全く無関係ならとにかく彼は桐野の知人で、その上よりにもよって村田さとの関係者だ。
自尊心を傷つけるにはこれ以上の事はない。
さつきは桐野と向き合うと決めてから彼女の存在を努めて忘れるようにはしてきたが、それもこの出来事でできなくなってしまった。

それに…

「近い内にあの人たち御屋敷に来ると思うんです。多分、さとさんの事で」

煙管店で桐野を頼っての東京進出は少し考えにくかった。
ならば尚更家の娘の事だろうとさつきは思う。
上京してすぐに桐野邸を訪れなかったのは、桐野の身辺を調べていたからではないだろうか。そうして偶々なのか必然なのか、浅草で会った。
もし桐野が村田さとを迎えに来てくれると思っていたのなら、もし村田家がそのつもりでいたのなら、維新成ってもう六年経つのだ、待つ身としてはもう限界だろう。

「でも、きぃさんはきっとそれを突っぱねる」
「そりゃ汝がおるからな」
「…私はその話を受けて欲しいんです」
「……何故な」

「元々……村田さとさんが来るまでだったんです」

そう言えば篠原が思わずといった風にさつきの顔を見遣った。
さつきの顔は至極穏やかで、桐野の昔の恋人に対する嫉妬や口惜しさは浮いていない。
それに村田の関係者に酷い事を言われて突発的に口にした思いではないと伝わったのだろう。眉根を寄せ渋面を作った篠原の空気は酷く重い。

「……一体どういうこっじゃ」
いつからそんな事を考えていた。
何故そんな事を考える必要がある。

詰問調に変わった篠原の声音はいつもよりも低いものだった。



(11/2/17)(11/10/16)