44.安堵する





(今日の話なのになんでこんなに人がいるの?)

たった数時間前の話だ。
辺見がいて、桐野に用があったらしく辺見と同道した別府がいて、うん。それは分かる。
篠原へは昨日の事があったからさつきが手紙を遣って知らせたのだが、それを偶々同席していた友人が覗きこんだ。
それが先日会った人であったようで、彼から例の友人ら全員に話が広まった…ら。その夜は何となく祝宴のようになってしまった。

「…悪い…」
「いや、篠原さんのせいじゃないと思うんで…」

”押し掛けるつもりはなかった”とでかでかと顔に書いていある篠原のバツ悪げな表情を見た時、さつきは彼が周囲に引きずられてきたのだと悟った。
篠原はこういう時はそっとしておいてくれる人だとさつきは思う。きっと篠原は巻き込まれた方だ。

(でも、)
こうして来てもらえてよかったのかもしれない。
嫌な役目を頼んでおいて直接会いもせず結論だけ伝えて決着だなんて、幾らなんでも不義理に過ぎる。 

料理を幾つか小皿に見繕い徳利を手にすると、さつきは縁側にいた篠原の隣に座った。

「向こうはヨカな」
場所を少し開けてくれた篠原が苦笑したが、できあがりかけている人たちは放っておいてもいいと思う。

「…良かったなと、言っていいのか?」
「はい」
「まさか昨日の今日で決着がつくとは思わんかったが」
「…それは、私も思いませんでした」
さすがに。そう呟けば、篠原もさすがになと微笑した。

「あの話はなかった事にするぞ」
あの話。小さくそう問われて頷き返す。

「篠原さん、私、きぃさんの家族になるみたい」
「まあ、そうなるじゃろうな」
「あの人ね、さらっと家族増やすかって言うんだよ。…びっくりした。一緒にいたいって思ってたけど、私そんなの一回も考えたことなかった」

それはさつきが内実を伴う本当の意味で桐野と一緒にいられるとは思っていなかったからだ。
ずっと一緒にいたい。そう思っていても、心のどこかでそれは無理だと否定していて、そんなところまではとても考えられなかった。

「今は?」
「今…はどうだろ。今の状態でも現実味がないって言うか…明日起きたら実は夢だったとか…あ」

ありがとうございます、と差し出された猪口に口をつける。空になった杯に再度注がれた酒を一気に飲み干すと、さつきはほぅっと息を吐いた。

(あれ?なんだろう、すごくおいしい)

昨日の夜飲んだものと同じ銘柄なのに、味が全然違う。

「憑き物が落ちたか」
「え?」
「そげな顔しちょっど」

そう指摘され、味の変化はそれでかと納得した。
それにここの人たちには全然隠し事ができないようで、さつきは本当に苦笑しかしようがなかった。

「村田さんに言われました。きぃさんをずっと大事にできるのかって」
村田にそう問われた時、さつきは大きく頷いた。それは彼に問われなくても思っていた事であったから。しかし、

「…そんなら”許し”まひょ」

続けて掛けられた言葉にさつきは息を飲んでしまった。
それは許して欲しいと村田に許しを請うたさつきへの答えだった。

「あんたは悪うないんにあてがこんなこと言うんはおかしいけど、えらい気にしとるようやさかい。…せやから追いかけてきたんやろ?」

「桐野はんをずっと大事にするて約束できるんなら、私はあんたを許します。これからもあの人と一緒におってあげ」

…それでどれだけ気持ちが楽になったか。

「篠原さん、村田さん言ってくれたの。きぃさんの隣にいるのに誰にも気兼ねしなくていいって。村田さんそう言ってくれた」

解放された。そう言ってもきっと大袈裟ではないと思う。
でも、こんなに楽になれたのはそれが村田の言葉だったからこそ、だ。
言ってくれたのが村田だったから、今まで心に堆積していた澱がこそがれるようにして流れていった。
少しずつ、しかし整理した気持ちを正確に伝えると、篠原はゆったりと笑んだ。

「俺の役目はもうないな」
「…えっ、やだそんな………あ、いや、えーと、…その」

しどろもどろな様子に噴き出した篠原に、さつきはつい、と視線を外した。
思った事そのままを口にするのは小さな子供のようでさすがに恥ずかしかったのだけれども。

「そんな、…急に離れてかないでください」
「汝にゃ桐野がおるじゃろうが」
「そうだけど…自分がすごく都合のいい事言ってるって分かってるんですけど…」

でも、それとこれとは別なのだ。
桐野と惑星のような位置にいる篠原の存在は違う。篠原は桐野とはまた違う意味で頼りにしたい、拠り所にしたい人だ。

「ああ、俺は汝の味方じゃっでいつでん話ば聞いちゃる。そいにな、何もなくても遊びに来たらよか」

言い澱んださつきの意を正確に汲んで篠原がそう言えば、さつきは心底ほっとして息を吐いたのだった。その様子に篠原の口元が更に弧を描く。

「…あ、もしかして篠原さん、私のことからかってます?」
意地悪、と言おうとして、
「桐野の愚痴でもよかぞ」

被せるように言われた言葉に思わず詰まる。「ないのか?」と改めて問い返されて黙り込んでしまったのだが。

「………ない……ことはない、デス……」
「ほー…ない事はない、か」
「そいは俺も聞きたか」
「俺も」
「えっ?」

いきなり背後から掛けられた複数の声に、口から飛び出しかけた叫び声をさつきは辛うじて飲み込んだ。
ばっくんばっくん動く胸を押さえて振り向けば、ほれ、と杯を渡されて徳利を突き出される。
浅草への途上、顔を合わせた桐野の友人たちだった。


一杯目を飲み干し、彼らの前で改めて頭を下げると代わる代わる酒を注がれた。
これは純粋な好意だと思うと断る事もできず、
(に、逃げたい…そろそろ逃げたい……いつまで続くのこれ)
彼らの向こうで別府と話をしていた桐野に視線で助けを求めたが、軽く笑われるだけで助けてくれるような気配が全然ない。

酷いと思いはしたけれど、別府に向かい笑っている桐野を見てふと気付いた。
彼は珍しく酒を飲んでいて、従弟相手に杯を呷る様子は随分上機嫌だった。
笑って酒を注いで、注がれて杯を干して、何かを言いながら笑う。
前はこんな様子を見ると決まって心に影が落ちたが、今はそんな風に感じる事もない。

憑き物が落ちたと篠原は言ったけれど、確かにそうだとさつきは思う。
胸の一番大きなつかえが取れ、今は凪いだ気持ちで桐野を見つめることができた。
何の混じり気もない好意を持って見つめるなんて、どれくらい久しぶりなのだろう。
桐野への気持ちは自覚した時から少し屈折していたから、もしかしたら「純粋に好意だけで」なんて、桐野と初めて会った頃からなかったのかもしれない。

(どう思ってたかな、あの頃)

第一印象は、そうだ、かっこいいだった。
思っていたよりも爽やかで優しく酷く好感を持てる人で、それがいつしか恋心へと変わった。
(………)
あちら側で別府相手におおらかに笑う様子に緩く口角が上がる。

(……かっこい…)

そう思った途端、自分の周りでどっと哄笑が上がった。

「え?な、何?何??」
「いやーこりゃ悪かこっした!向こうに行きやい」
「おい桐野!返すぞ!」

盛りあがる周囲にまるで着いていけず戸惑いを浮かべると、篠原が苦く笑う。

「格好ヨカち声が出ちょった」
「…………う、」
うわああああ…………

恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。周囲が微笑ましげにこちらを見て来るのが更に恥ずかしい。
「どうした」と向こうから声を掛けてくる桐野に更に笑い声が起り、行ってやれと追い出されるようにして桐野と別府の前に座らされたのだが。

「……酔うたか?」

ぴと、と頬に指の背を当ててくるや、顔を覗き込むようにして軽く首を傾げた桐野にさつきはのけぞりかけた。

(う。やっぱりかっこいい)

じゃなくて。見てる。周りが。ニヤニヤしながら。

「顔が赤い……大丈夫か?」
(居た堪れない!何の罰ゲームなのこれ!)
「さつき?」

見てる。周りが。滅茶苦茶ニヤニヤしながら。

「…………あああ!もうやだ!きぃさんのばか!お水飲んでくる!」
「は?」

大爆笑を背に受けて、逃げるようにして部屋を出た。


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