「大丈夫か?随分飲まされちょったが…」
「そう思うなら止めてよ」
「篠原さァが止めんのに何故俺が」
「つ、冷たいなあ…!」
わざわざ水場まで様子を見に来てくれた別府に大袈裟に訴えれば彼は大きく笑った。それに釣られてさつきも笑ったのだが、
「…お酒が入っている時にどうかと思うんだけど、ね」
「ん?」
「ちゃんと言いたくて。ありがとう…」
別府は桐野との関係を一番知っている人だ。良い事も悪い事も、全部。
嫌なところも沢山見せたのに、嫌悪を見せもせずいつも話を聞いて力になってくれた。
「まだ飲むでしょ?」
勝手知ったる場所だ。戸棚から出した杯を軽く洗うと、それを別府に渡して酒を注ぐ。
返杯、と徳利を上げた別府に「もう飲めない」と言ったのに杯を握らされ、結局何度か杯を嘗める羽目になってしまった。
「えと、村田さんの話なんだけど」
「ああ、
喜ぶ?
「汝な『兄は村田には返せん』ち言うたんじゃろう。以前の汝なら本心はどうあれあっさり『返す』ち言うたじゃろうからな」
そうかもしれない。でも。
「きぃさんと一緒にいるって約束したから…」
「…私もう元の世界に帰れないと思う。きぃさんが言ったみたいに、本当にあの人に会う為にここに連れて来られた気がする」
「ああ」
「きぃさんに会う為に来たって、そんな風に言われた時すごく嬉しかった」
でも、それは自分に都合が良すぎると半信半疑で、しかし桐野がそう言うからそう思おうとした。
今思えば信じたというより信じようとしていたと言った方が真実に近いのかもしれない。
「でもね、今は不思議とそれで納得してる。今は本当にそうじゃないかと思うの」
昨日の夜、桐野に剥き出しの心を曝け出して、自分たちの関係を確認して一層強くそう思った。
「それにね、別府さん前に私がここに来た時点で歴史は変わってる、どんな未来になるかは神様しか分からないって言ってくれたでしょう?あれも、今は本当にそうなんだろうって」
接触を深めれば桐野の未来が変わる可能性がある。それはさつきがずっと恐れてきた事だ。
そのの事があったから好きになっても積極的に桐野に触れようとはしなかったし、関係を持ってからもずっと気にし続けていた。
「全く怖くないって言ったら嘘になるけど、…いない筈の私がここにいるんだから」
(多分私が知っている歴史とは違うルートを辿るんだろう)
それが少しか大きくかは分からないけれど。
「さつき」
名前を呼ばれて顔を上げれば、杯が新たな酒で満たされる。
「良かったな」
「…うん…!」
「汝とは長い付き合いになりそうじゃな…さつきが義理の従姉か」
けほっと思わず口に含んだ酒を吐いた。
「え、えー…やっぱりそうなの…?そうなるの?かな?」
「…そういうこっじゃろうが。不満か?」
「ちがう、不満とかじゃなくて、え?なんてゆーのほら」
笑いながら「知らん」とはねつける別府を、む、と軽く睨みつける。
「別に急がなくても…もう少し今のままでもいいってゆーか、寧ろもう少し今のままがいいってゆーか……だめかな」
「兄に聞け」
「ちょっと!自分で話振っといて!」
しかしあははと大きな声で笑うと、別府の笑声も共に水場に響いた。
「ま、これからよろしく頼む。…そうじゃな、俺の兄も東京におる。機会があれば一度、な」
「兄?きぃさんじゃない、よね…実のお兄さん?東京にいるんだ。………」
思わず黙り込んださつきに別府がどうしたかと声をかける。
「…あ、うん。髪とか…私こんな
「大丈夫じゃ。汝の価値は髪や容姿じゃなかろうが。そいに、それなら辺見はどうなる」
「!…そうだよあの赤毛は反則だよ!なのになんで私ばっかり変な目で見られるの?」
「さつき、おるんか?…おう、別府もおったんか」
「ぅわっ辺見さん」
「何じゃその驚き方…あん人らな、客間に放りこまれちょったで今日は泊りじゃ。汝はそっちにはもう顔出さんでよかで真直ぐ部屋に帰れ …疲れたろうにまだ飲んじょんのか」
「だってー嫌って言ってるのに別府さんが俺の酒が飲めんのかーって無理矢理ー」
「おい」
「はは。今日の酒は美味いじゃろう」
「昨日と全然味が違うの。同じお酒なのにね。…辺見さんも本当にありがとう。なんて言っていいのか私、」
言葉に詰まったさつきに辺見と別府は顔を見合わせると、柔らかに破顔した。
「いいさ。汝なよう気張っちょったしな。まあ、これからもよろしゅ頼む」
「こちらこそ!」
「そう言えば辺見さん、探しに来てくれたんだよね?何か用事があった?」
何となく三人で車座になってあれこれと話していたのだが、ふと。
問えば特に用がある訳ではなかったが、いつまでたっても帰って来ないのでどこかで倒れているのではないかと。
「桐野さぁはあそこから抜けられんじゃろうからな。ここもそろそろお開きにするか」
その声でじゃあ片付けるかと立ち上がろうとしたのだが。
「…危ない」
別府に杯と徳利を取り上げられてしまった。
「悪い。飲ませすぎたか」
「ふらふらするだけだから気にしないで。辺見さーん」
別府から受け取った徳利を水で濯いでいた辺見を呼べば気安い返事が返る。
「背負って」
「…ないごてな」
「だって歩けないんだもん」
「『もん』とか汝が言うても可愛なか」
「あはは!うっさい!ほら早く〜!…あ、ありがと。えーと、こういう時なんて言うの?全速前進?違うの?これは船?…よし!並み足進め!」
「俺は馬か!」
「え?違うの?」
「違う!」
噛み合っているようで噛み合っていないふたりの後ろを別府がげらげら笑いながらついてくる。
「賑やかじゃな」
室に向かう廊下でばったり行きあった桐野がそんな三人の様子を目の当たりにして苦笑した。
「飲みすぎたか?」
「そーなの。もう飲めないって言ってるのにふたりが無理矢理」
「「おい」」
「は、はは。汝らは
「兄ももう部屋へ?」
「ああ。…連れて行こう。さつき、立てっか?」
その声で辺見が軽く屈んでくれたのでさつきは廊下に下り立った。
「別府さんも辺見さんも今日はありがとう。これからもよろしくお願いします」
笑って応えてくれたふたりに軽く手を振ると、桐野の袖を掴んでその後ろを歩いた。
「飲み直すか?」と別府が辺見を誘っている声が聞こえて、思わず破顔すれば桐野が振り向く。
「ふらついとるな…大丈夫か?」
「あの時きぃさんが助けてくれたらこんな事には」
「ふふ…そりゃ悪かった」
周りから心配されても仕方ないかもしれない。
明治に来てこの方こんなにおいしく酒を飲んだ記憶はなく、そしてこんなに量を過ごす事も今までなかった。本当に少し飲み過ぎてしまった。
「ほら、乗れ」
「えーこういう時はお姫様だっことかじゃないの?……お姫様?気持ち悪ぅ」
「酔うちょるな」
「酔ってないよ。ちょっと飲みすぎただけ」
屈んで、向けられた背を見てさつきは廊下に座り込んだ。ぺたりと桐野の背中に頬をつけるとその腰に手を回す。
「…さつき」
「皆よかったねって言ってくれるの」
「ああ」
「あとね、よろしくって。よろしくして貰うのは私だよねえ」
「そうか?」
「そうだよー…きぃさんも…よろしくお願いします。私不束過ぎてどうしようって感じですけど…なんかこれから覚えないといけない事沢山ありそうだなー…」
最後の一言に桐野は腰に回る腕を剥がすと、さつきと向き合うようにして座った。
「前の話、覚えちょっか?汝が一番せんとならんのは俺とおる事に慣れるこっじゃ。後はそれからでよか」
「…ね、だっこ」
「汝は…」
苦笑しながら、それでも言われた通りにさつきを抱き上げて立ち上がった桐野の肩に顎を置いた。
「不束過ぎても嫌いにならないでね」
「ならんならん」
からりと部屋の襖が開く。
「私きぃさんが思ってるよりももっと嫌な女かもよ〜?」
「本当に嫌な女はそげな事言わん」
そう言いながらさつきを座卓の上に座らせると、桐野はその正面に腰を下ろした。
どうしたのだろうと首を傾げれば「仕切り直しじゃ」と。
「これからもよろしく頼む」
「頼むって………はい…」
「ここに帰ると必ず汝がおる。そいが嬉しか」
今までだっていたのに。不思議な事を言うと思ったのだが。
「否、今汝は確実に俺のもんじゃ。そうじゃろう、さつき」
「は、」
酔いとはまた違う熱で顔が赤くなるのが自分でも分かった。
「違うか?」
「こういう時は本当に意地悪ですね…」
「さつき」
「…しょうがないなあ…きぃさんがどうしてもって言うから、そういう事にしといてあげる!」
満面の笑みで勢いよく抱きつけば、さつきを抱きとめて後ろに倒れ込んだ桐野がしたたかに頭を打つ音がした。
笑いながら大丈夫とか大丈夫じゃないとか言い合って、気がつけばのしかかるように上になっていた桐野の鼻筋を人差し指で柔らかくなぞれば、
「くすぐったい」
「ふふ」
鼻先まで来た所でぱくりと指先を口に含まれてしまった。
「…食っていいか」
「一生かけて骨まで残さないっていうならいいよ」
「そりゃ大仕事じゃなあ」
くすくす笑いながらそう言って、頬に唇を寄せた桐野をさつきは力一杯抱きしめた。
おわり!
→あとがき
→番外
(12/3/31)(12/2/1)