今から鹿児島に帰るって聞こえた。
「…明日?」
「今から」
桐野はもちろん連れて行くつもりだけれども、今言って今、しかも都会からいきなり薩摩なので、内心はさつきちゃんが嫌がらないかとっても心配。
渋い顔で何かを考えている彼女に嫌か?と桐野が聞こうとしたら、
「……荷物ってどれくらいに纏めたらいいの?送れる?あ、着物は置いて行ったらいいのか…もったいない…選りすぐらないと…ああでも今からだと時間が」
「………」
「え、やだ、もしかして帰るのきぃさんだけだった?」
「否、汝もじゃ」
フッツーに一緒に行く気になってて、桐野自分の取り越し苦労を笑う。
「とりあえず東京から離れる。大きな荷物は志麻に頼んで送ってもらえ」
そう言う桐野にほっとした表情のさつきちゃん。
え、じゃあ志麻ちゃんは?志麻ちゃんは家族が東京にいるので連れていきません。
でも本当に気持ち良く、よく働いてくれたから御手当弾みまくってます。本人が遠慮するほど弾んでます。
「悪い。箱根か草津に行く約束、反故になるな」
「えーでも薩摩も温泉凄いでしょう?実は私指宿温泉行った事あるんだ〜」
「そうなのか」
「うん。時間があったらでいいからどこか連れてってね。って、それはいいんですけど、…あ、歩き…?」
今度は声を上げて笑う。
「歩きでもよかが、汝は無理じゃろう。横浜から船ば使うか」
寧ろ横浜までが心配。
桐野はなんで故郷に帰るのか言ってくれなかったけれど、もう東京に戻る気はないみたいだった。
本人は陸軍辞めたつもりでいるけど、それでは困るという事で政府からは給与の支払いがされている。出仕もしていないのに。
でも桐野はその全額を国に返してる。西郷先生も篠原さんも。
側で見ていて西郷隆盛以下が征韓論争で破れたことがはっきりと分かり、自分が知っている史実の通りに歴史が流れていることに怖くなるさつきちゃん。
だってこのまま行けば数年で西南戦争が起こる。
ちなみに桐野は薩摩に帰った後市街地から離れた吉田で開墾、若い人たちを指導してます。
違う歴史だから大丈夫ってどれだけ強く思ってもやっぱり怖い。偶に堪らなくなってすごく桐野に甘えたくなる。
「桐野先生どこに行ったか知らんか?」
「さっき納屋に足りん道具取りに行かれたが」
「呼びに」
「待て!」
「…
「……………」
「あー…うん。分かった。別に急ぎではないんじゃ」
いつもはそんなことしないのに物陰でこっそりちゅーとかイチャイチャしているのをうっかり目撃されたり。
若い人たち「政府けしからん!」「政府どげんかせんといかん!」(笑)な感じだったけど、さつきちゃんの隠しきれず体から滲み出る桐野好き好き大好き今すっごく幸せオーラを見てたら完全に毒気抜かれる。
「政府と事構えたら西郷先生奉じて桐野先生が先陣切るんじゃよなあ」
「さつき(呼び捨て)から先生引き離すんか…なんちゅうかそいは」
かわいそう…(満場一致)
「俺あれ見ちょっと無性に嫁さん欲しくなる」
「俺も」
「あ、俺今度貰うことになった。なんか羨ましくて」
「「え?」」
それから何故か結婚率高くなる開墾社。
ここに行くと何故か血気盛んな子が落ち着くのでそこに目を付けた篠原さん辺りが比較的問題児ばかりを送ってきてもう大変。
「薩摩の男の子って元気の塊なの?すごいね。きぃさんもあんな感じだったの?」
桐野はどうだったかなーとか言いながら元気者ばっかり集まる大体の理由が分かってるので苦笑い。
腕っ節が強くて生意気な青少年ばかりなので偶にいざこざが起こる。
ちょっといじめみたいなのも。人数多いと仕方ない。
ここの指導者は桐野だし、男女関係とか人間関係が独特だし、出来たら当人同士で解決して欲しくて口を出さずに黙っていたさつきちゃん。
だけどある日露骨ないじめを見てしまいついに堪忍袋の緒が切れた。
ばーんとある青年の屈んだ背中を蹴り倒す。あーあ背中に草鞋の跡くっきり。
「ああ゛!?」と青年が振り返ると今までにこにこラブラブオーラしか見たことない女の般若顔。思わず怯む。
「いじめなんかするな!弱いものに優しくするのが薩摩の男だって辺見さんから聞いた!!あんたたち恥ずかしくないの!?そんな奴ここにおらんでいい!帰れ!!」
しーん。周りポカーン。桐野笑ってる。
え、どうしよう。というか何があったの。そう思う間にぷりぷり怒って生活している小屋に帰っちゃうさつきちゃん。
助けを求めて桐野を見れば「あいつの言う通りじゃなあ」うわあああごめんなさいやりすぎました。そのまま桐野が間に入って取りなして問題解決。
ちょっとお前ら来いと言われて背中に草履の跡付けたまま桐野に従う青年。その後に数人ぞろぞろ。いじめられた方もついて行く。
待っとけと言われて小屋の扉の前で待ちぼうけ。
「きゃあああきぃさんごめんなさい!口出すつもりもあんな事言うつもりなかったのー!あんな大勢の前で女に怒られるとか!どうしようあの子たち腹切るとか言い出さない!?謝った方がいいの!?でも我慢できなかったの!」
声大きくて外に丸聞こえ。
桐野が笑いながら宥めてるのも丸聞こえ。
何となく周りに人も集まってきて、「さつきも怒る事があるんだな」とかいう囁きも聞こえて、なんか酷い悪事を働いたような感じ。
でも冷静に考えたら確かに自分たちが悪いんだし。暫くして出て来たさつきちゃんが口を開く前に謝ると却って酷く謝られてしまった。
何このギャップ。さっきの勢いどこ行った。可笑しくて笑ったら皆笑った。
さつきちゃんこの時期開墾社にいた青年たちとはとっても仲良しになる。
妹が反抗期(笑)でとか桐野に出来ない話を聞いていればいい。
で、彼らがいい状態で市内に帰ったのを見て私学校の砲隊学校の監督をしていた村田新八があれ?と思い、銃隊学校の監督をしていた篠原さんに何があったんかなーと軽く零した所、「ああ」と。しんぱっちーは岩倉使節団に参加して帰国したのが明治七年。
桐野と顔を合わせるのも市内でなので、さつきちゃんの事を全然知りません。一回こっちから桐野の顔でも見に行くかと言い出したら別府と辺見も付いてきた。
「これ土産な」
「うおおお辺見いいいい…今日幸吉くんいないんだよおおお…」
挨拶もそこそこに辺見に渡された鶏受け取ってあうあう半泣きでなんか言ってる。
「しょんなかなあ」とか言いながら鶏持って裏に回る辺見と「さすが!」とか「大好き!」とか言いながら後を付いて行くさつきちゃん。
何あれ。いやいやムリムリ鶏とかさばけない。羽とか毟れない。だって現代っ子だもん。プラスチックトレーに入った鶏肉しか買ったことないもん。一回やろうとしてどうしても無理で見るに見かねた幸吉君がそれからはやってくれてます。
自分が知ってる女性像からはあまりにもかけ離れてて村田的には礼儀も全然なってない。
出されたご飯はそこそこ美味しかったけど他に褒める所なくて大変コメントしにくい状況。
なんでいい状態で青年が帰って来るのかいまいち理解できない。
でも話している内に岩倉使節団の話に至ると、
「(え、岩倉使節団? マジか!)どこ? どこに行かれたんですか?」
「……アメリカとフランス」
「うわー懐かしい…へえ。サンフランシスコからニューヨーク、フィラデルフィアに?東海岸まで汽車か… それは大変…あ、私もサンフランシスコ行きました!坂道がいいですよね〜西海岸ならカリフォルニアには行ったんですけど」
村田ポカーン。てゆーか皆ポカーン。皆びっくり。だってこの子そんな話一度もした事無い。
「フランスはパリですか?」(小首傾げ)
「…ああ」
「オー、シャンゼリゼ〜、ですね〜エッフェル塔とかモンサンミッシェル行ったりとか楽しかった…あーあとベルサイユ宮殿…ベルばら…」
さつきちゃんエッフェル塔はまだないよ!
「ムーランルージュには行かれました?」
桐野が見た事のない種類の笑みでにっこにっこしながら話しかけてくるさつきちゃん。
初対面の子に高級キャバレーに行ったかとか言われて更に不審感隠しきれないしんぱっちー。
「…あ。ご、ごめんなさい」
「さつき、そん様子じゃ国費留学とかではなかな。遊びにか?汝の所ではそげん気安く外国に行けるんか」
「うん。観光で」
桐野と話している事を聞いていて、村田どうも根本的にどこかが違う女だと理解する。
隣にいた辺見に話を聞いてすぐに了解。
異国文化見て帰ってきた所だからすんなり受け入れられたこの不思議。摩訶不思議異文化コミュニケーション。
というか見たことない人間にはどれだけ話しても分からないだろう外国の話ができる人間がこんな所にいた事にびっくり。
「外国語は?」
「英語なら少し…村田さんパリが長かったんですよね?フランス語かあ…私ドイツ語は馬と、英語は紳士と、フランス語は淑女と話す言葉だって聞きました」
「あっははは!フランス語の歌は?さっき歌っとったじゃろう」
「あれはあそこしか知りません!」
笑われた。
日本語しか知らないけど『さくらんぼの実る頃』かるーく歌ってみる。
「紅の豚」でジーナ(加藤登紀子)が歌ってたの。聞いてびっくり。村田も知ってた。歌った方もびっくり。
実はこの歌結構古くて明治維新前に作られてる。
音楽大好き村田新八。さつきちゃんも音楽よく聞く。外国の話も音楽の話もできる。まさかこんな所で同志(?)を見つけようとは。
「章典学校に来んか?」とかいきなり始まった勧誘に付いていけないさつきちゃん。幼年者に英語教えてみないかと。
「教えるって…村田さん私が市内でなんて言われてるか知ってます?」
いい事ばっかりじゃありません。
陰口だって一杯叩かれてます。特に女の人から評判悪い。清水馬場の屋敷にいた時近所や通りすがりの人から酷い事言われてる。
出自も確かでないし、桐野がいながら若い男の子ばかりと仲いいし、一般女性と随分見た目も立ち居振る舞いも違うし、あーもしかしてあれか芸者とか遊女の類か身持ち悪くて当然かと。ええの捕まえたなというやっかみや嫉妬もある。
吉田に行った若い子はそうじゃないの知っているけど言えば言うほど言い訳がましく聞こえて逆効果。
「子供の教育にはよくないと思うので」
「実際に外国に行った事がある、外国語を話せる。そうした人間を実際に見せたいんじゃ」
フランスに留学生を送る計画もあるし是非と本腰をあげてとつとつと説得を始めた村田に「え?え?」とさつきちゃんたじたじ。
「いや、あの、私きぃさんがいない所には行きません…」
村田そらそーかと大笑い。
なら市内に来た時に桐野と一緒に顔を出してくれと言われてそれには快くオッケーしたり。
開墾社の若い人たちとのやり取り見ても姉弟か仲間そのもの。
桐野とはラブラブとしか言いようなし。え、この人かつての中村半次郎?もっとぎらぎらしてませんでした?気のせいですかそうですか。
「村田さーん!できるだけ早い時期にアコーディオン持って遊びに来て下さいねー!できるだけ!早く!」
何その言い草。笑いながら手を振って大声で見送ってきたさつきちゃんになんであんな噂が流れるのか不思議でたまらない。
でも話をせずに外見だけ見ているとああ思うものなのかもしれない。
なんとなく青年がいい意味で毒気抜かれて帰って来る理由が分かったしんぱっちー。
別府とか辺見が偶に娘を連れて遊びに来る。それに便乗して篠原の息子も来たり。
十歳に満たない小さい人ばかり。
「やーん!可愛い!本当にふたりの子なの!?」
別府と辺見に女の子しかいないという不思議(辺見の所は明治十年に長男誕生)。子煩悩過ぎて笑える。
「お名前は?いくつ?」
自分ちのお母さんとあまりにも様子が違う女の人なのでみんな引き気味。別に取って食いやしないんだけど。
おやついる?と薩摩だけに大学芋とか芋けんぴとか出してみると恐々〜と手が伸びる。
「おばちゃんこれ美味しい!」
「おねーちゃん!」
即座に訂正。
「ちょっとそこ何笑ってんの!」
「もうちょっと違うおやつ食べる?」とかいって、工夫して作ったスイートポテトを丸めて棒に挿して囲炉裏の火で炙ってみたり。
普段の生活とはどこかかけ離れてて何しても怒られないから子供的には吉田の桐野さんちに行くの結構楽しみ。
夏休みに田舎のじーちゃんちに行く感覚。
その内村田さんちの岩熊君がやってきたり。
「え?フィラデルフィアに留学してたの?兄弟愛の街だっけ。歴史のある所だよね…何の勉強してたの?」
その一言で岩熊君びっくり。
フィラデルフィアの意味が兄弟愛だと知ってるなんてよっぽど。
話には聞いてたけど思ったよりも面白いし、村田父と一緒に帰るつもりだったのに暫くここにいます、みたいな。
人の出入りも激しくて大変。
だけど賑やかで桐野もいるしすごく楽しくて幸せ。
でもふっと思う。
西南戦争の前に幾つか内乱起こってたような…佐賀の乱とかナントカの乱とか、ナントカの乱とか(うろ覚え)。
もう明治十年の一月も終わるけどそんな話今迄ひとつもなかった。
じゃあもしかして西南戦争も起こらない?そうだよね。大丈夫だよ。でも怖い。どうしよう。いやいや何もないって大丈夫。
「さつき?」
桐野は外で開墾作業しているから東京にいた時よりも日に焼けて更に筋肉がついて、初めて会った時よりも精悍になってる。
「…カッコいいなあって」
思った事をそのまま言ったらどうしたと笑われた。そっと頬を触られる感触に目を閉じる。
「来週上京する」
いつものように何気なく吐かれた言葉に体が凍りついた。
「な、なんで?ひとり?誰と行くの?」
びっくりする位声が揺れていて、桐野も少し驚いた様子で。
だっていつもならこんな風には聞かない。
でも何かをものすごく心配していることは伝わったようで、桐野はわざとゆったりと笑った。
「篠原とふたりで西郷先生の御供じゃ。そいでな、陸軍を正式に辞めてくる。そん話をしに行く」
「三人だけで?他には…」
「人数連れて行っても無駄じゃろうが。それに多数じゃといらんいざこざが起きる可能性があっとじゃろ」
軍隊を連れていくという訳ではないようで、それはほっとしたけれど。
「帰って来るよね………?」
怖い。何か起こらないかすごく怖い。だって今明治十年。
さつきちゃんの知っている歴史なら桐野が亡くなる年。
戦争は、そう。起こらないかもしれない。でも東京で何か起こらない保証はない。
目の前にいる人が薩摩でも屈指の剣豪だと知っていても、三人だなんて。
大丈夫何も起きん、無事帰って来る。
桐野はそう言ってくれたけどすごく不安。
「きぃさん、気をつけてね。ちゃんと帰ってきてね。私待ってるから絶対に帰って来てね」
笑って出かけた桐野を見送って城下清水馬場にある桐野屋敷に戻って来る。開墾社の責任者は交代。
桐野は幸吉くんも連れて行っているので広いお屋敷にぽつーんと。
明治に来て自分だけで過ごすというのが初めて。
ひとりだしご飯作る必要もないし、第一心配でご飯食べる気になれない。
それでついお昼は豆腐に醤油かけただけとか夜は茹でた菜っ葉と味噌汁だけとか。単品ダイエットか。
そんな様子を見て辺見や村田が心配して頻繁に顔を出してくれる。
家が城山挟んで向こう側にある。ちょっと距離あるけど、家が近いっていいね。あと別府もよく来る。
開墾社で知り合った青年たちもわざわざ「何か食わせろ」とか言ってはやって来てあれやこれや話をして帰る。
心配されているのは分かるけど、そこまで気を使えない。
別府はさつきちゃんが「歴史が変わるかも」と悩んでいた時期を知っているので、彼女の様子の原因はもしかしてそれかと思ってる。
で、さつきちゃんは未来の事を知っている人間なのではないかと薄々気付いてる。でも何も言わない。
さつきちゃんが何も言わないから聞く必要もない。
だからいなくて寂しいとかもしかしたら他に女ができたんじゃとか、そう言うレベルの話じゃなくて、今の桐野の不在がさつきちゃんにとっては本当に深刻な問題だと感覚的に一番理解してくれている人。だから一番親身に心配してくれるのはやっぱり別府。寂しいだろうとか言って家族を連れて泊りに来てくれたりして。
でももうひと月くらい経つ。
幾ら往復に時間が掛ると言ってもさすがに遅い。何かあったんじゃないかと思うと夜眠れない。
「すぐに帰って来る。あまり心配するな」
別府はそう言ってくれたけど、したーっと涙が落ちる。
「遅いよ…」
「おばちゃん、泣いちょるん?」
「お・ね・え・ちゃ・ん!」
幾ら小さい子供だろうがこればかりは譲れない。即座に訂正すると別府が小さく笑った。
「無事で帰って来てくれるだけでいいの…顔が見たいよ…」
「桐野のおじさん、さっき玄関におったよ?おかえり言うたもの。そいで呼びに来たん」
「え?」
「ほんのこてな?」
帰ってきてる?
全然気が付かなかった。
そのままゆらっと立ち上がって玄関まで走る走る。
式台に座って盥で足を洗っている後ろ姿を見てそのまま声もかけずに抱きついた。
その勢いで前につんのめってばしゃーんと両足を水に付けちゃう桐野。あーびしょぬれ。
桐野の足元にいた幸吉君更にびしょぬれ。ものすごいびっくりした顔でこっち見てる。
桐野はそんな事では怒らないけど、少し驚いたのもあって苦笑いしながら振り向いたら、なんかさつきちゃんものすごく泣いてる。
あらら…
桐野が「そんなに寂しかったか」とか茶化しながら聞けば、
「ばか!!すごく心配したのに!何かあったんじゃないかって、帰って来なかったらどうしようって、私こわ、怖くて」
最後の方とか声が震えてちゃんと音になってないし。
「良かったよう」とか言って本格的に泣き出したのを見て、桐野はしつこいくらい「帰ってきて」と言っていたさつきちゃんを思い出し、別府は桐野不在時の尋常じゃない心配の仕方を思い返してしまった。
ふたりともさつきちゃんがもしかしたら桐野らが東京で殺されるんじゃないかと思っていた事に気付く。
「遅うなって悪かった。もっと早く帰るつもりじゃったが、後始末やら挨拶やらでな」
「…うん」
「鹿児島に帰って来てからずっとバタバタしちょったもんな。約束もまだ果たしちょらんし…温泉にでん行って暫くのんびりすっか?」
ただ頷いたら俯いた目元に親指の腹が当たる。
顔をあげたら「ただいま」と。目の前の人笑ってるしあったかいし。
ぺたぺた両手で確かめるように目の前にある顔を包んで、歪でも笑って見せたら桐野の目が細まる。
(すごくキスしたい)と思った途端に「ヨカぞ」と。え、やだ何で分かったの?
幸吉君がいるとか後ろに別府とその娘三人がいるとか、更にその後ろに別府の奥さんがいるとか。
全部忘れて、というか全然目に入ってなくてそのまま引きつけられるように唇を重ねた。
一日千秋って言うけど一ヶ月だったから三万年待った事になる。
久しぶりにもほどがある。離れられなくても仕方ない。うん。仕方ない。
でも腰に桐野の片腕が回ったのを機に唇を離し、頬に頬をつけて「…おかえり」小さく耳に吹き込めば「ああ」と笑いを含んだ言葉が返ってきた。
それが嬉しくてぎゅうっとハグ、瞼を上げたら
「…………」
「…………」
目の前に別府一家がいた。娘ちゃんたちガン見。後ろにも幸吉くんいるし。
「(きゃあああああああああ)」
涙出そう。
そんなさつきちゃんの様子を余所に、父様?と別府の娘のひとりが別府の袖を引いて何か聞きたげ。
どうした?と別府が屈んでやれば
「父様と母様あげんこっせんね?ないごて?」
「え?」
思わぬ所に飛び火。
あれこれ言ってもなんでどうしての繰り返し、無邪気で悪気のないしかも無にできない質問が一番困る。
結局「よそはよそ、うちはうち」という必殺技を炸裂した別府に、さつきちゃんも桐野も笑ってしまった。
西南戦争は起こる事なく明治十年は過ぎていった。
さつきちゃんが知っている歴史では明治六年に鹿児島に帰った人の多くは西南戦争で亡くなった筈だけど、やっぱりここは違うルートの歴史だった。
帰鹿した人々はそれぞれに道を見つけ、地域社会に貢献する人もいれば、都会に出て行く人、再度官途に就く人もいたりと様々。
桐野は開墾事業に戻って後進の育成を畢生の仕事に据えた。
この世界の青史には「桐野は明治十年に正式に陸軍を辞して帰郷、以降は歴史の表舞台に出ることなく妻女と後進の育成に励む」とだけあり、それ以降の詳細は分からない人物、と記されている。
こんな感じでどうでしょう。
(12/4/1)(12/2/2)