Dear mine #1





じゃあ行ってきますと手を振るさつきを置いて医学校を後にすれば幸吉が、
「さつきさん今日はどういう要件でっか?」
話を振った。
さあと曖昧に応えた桐野も詳しい事は聞かされていない。
たださつきは別府の娘とあそこで待ち合わせしていると言っていただけで。

「お嬢さんと?…医学校で?」
首を傾げた従僕に桐野は「ああ」と口の端で笑う。
「女同士何かあるんじゃろう」
薩音でそう言えば、
「女同士って。親子ほど年(ちゃ)うのに何があるんです…それに何や今日は荷物も持ってるし」
何するんかなと益々首を傾げてしまった幸吉に桐野は今度は声を上げて笑った。






「おますちゃん、ごめん、お待たせしました。平畩(ひらげさ)くんも今日はありがとう」

別府の長女について来ていた従僕にも声を掛けるとぺこんと頭が下がる。
三人で向かった先は医学校の校長ウィリスの室だった。
さつきが部屋の主人と挨拶を交わし、

「はい、おますちゃんもお礼を申し上げなさい。今日は先生のお宅にお邪魔するのよ」
背中を押すと、たどたどしいながらもきちんとした挨拶が返されて、さつきはウィリスと顔を見合わせて笑った。
かわいい。

「さつきさん、ウィリス先生とお友達?」
「時々先生のお手伝いしてるの」
「外国語分かっと?」
「ちょっとだけね」
お手伝い(かせ)?」
「お仕事のね」
「お仕事って?」
あれこれと飛んでくる問いかけに後ろの平畩がくすりと笑う。
(うーん、今日はいつも以上にフリーダム…)

東京から帰ってきた桐野に抱きついてキスした所を見られてからというもの、この子は好奇心のまま何でも聞いてくるようになった。
どうして桐野といるのから始まって、どうして洋服なの、どうして日本髪じゃないの、どうして言葉が違うの…
子供なりに根掘り葉掘りと。
父や母がいれば適度な所で窘められるけれど、今日はその両親もいない。

以前どうしてあの時口を吸ったのと聞かれた時はどうしようかと思ったけれど、

「…おばちゃんて呼ばないって約束するなら教えてあげる」
「呼ばない」

躊躇いもせず即答した女の子にさつきは苦笑いしてしまったのだった。

おますはさつきの身の回りやアクセサリーの事、香水の淡い香りがする事、そんな事に興味津々だった。
しかし一番気になるのは桐野との関係らしい。
いつも一緒にいるのに自分の両親とは随分違うふたりの様子には子供らしい疑問があるようで。

確かに桐野と起居を共にして随分経つけれど…
夫婦と言うより恋人かなあとさつき自身ですら思う所があるから、おますが気になるのは多分そこだろう。
そんな話に興味があるなんて。
時代が違っても女の子は女の子だなとさつきは笑ってしまう。

会った際には色々と話をせがまれて、いくつかの話の中で、
「私がいた所では、大切な人にお菓子を渡して感謝する日があるのよ」
というあれこれを大分端折った話をぽろっとこぼした時は少し後悔してしまった。

「さつきさんもあげたの?」
「あげたよ」
「何あげたの?」
「チョコレート…えっと、西洋菓子ね」
「誰に?」
「………お父さんかな………」

元彼だとはさすがに言えなかった。
何せその時、近くには別府も辺見も、桐野もいたのだ。
酒が入ってさつきの答えにげらげら笑っていた別府と辺見はともかく、さつきとしては桐野はまずい。
大体の事が知れていて、桐野自身が苦笑していたとしてもだ。

「おじさんにあげたことある?」

耳元でこしょこしょと吹き込まれて、そう言えばないなと思い返す。
明治に来てからとてもそれどころじゃなかったというのもあるし、何よりチョコレートがない。
そう思っていたら、

「さつきさん、あんね」
「うん?」
「私もあげたか」
「お父さん?」
小さな頭がひとつ縦に揺れた。


幸いにもバレンタインにはまだ間があったから、その時はまた連絡するねと引き取ったのだけれど。
桐野と二人きりになって、室で彼の着替えを手伝っている時にふと手が止まった。
(バレンタインかあ)
去年のその頃は清水馬場の屋敷でひとり桐野が無事に帰ってくることだけを祈って待っていた。
(私も感謝しないといけないなぁ…)
今こうして桐野と一緒にいられる事自体が奇跡みたいなものなのだから。

(おますちゃんに便乗しようかな)
そう思った時、どうしたと振り返った桐野にさつきは後ろからぎゅーっと抱きついた。
「ん?」
「好きだなーって思っただけでーす」
桐野は空気を震わせてゆったりと笑った。


渡すものは何だっていいだろう。
桐野も別府も、何を渡してもきっと喜んでくれる。それこそおはぎでもかるかんでも。
(でも、どうせならもう少し真新しいものがいいかな)

それで思いついたのが英語でアルバイトをさせてもらっているウィリスの事だった。
ウィリスの家ならオーブンはあるし、きっと材料だって手に入る。
そう思って相談すればウィリスは快く承諾してくれた。



そんな経緯でウィリス邸の台所にお邪魔している訳だが。
クッキーの生地を作りながら、
「さつきさんもおじさんにあげるんでしょう」
「そうねー」
「わっぜ好いちょるもんね」
「ソウネー…」
苦笑いだ。

本当に遠慮がない物言いに、年のせいもあるのだろうけれど、この子現代っ子かなとさつきは笑ってしまう。
生地を寝かせている間、お渡し用の袋を作っている最中もあれこれと尋ねられ、生地を小刀で切り分けている時は静かだったけれど、焼いている時はまた質問攻めだった。

「さつきさんは父様とも仲良しね」
「そうね。おますちゃんのお父さんには沢山助けてもらったの。私が利秋さんといられるのはお父さんと…辺見さん、篠原さんのお陰」
「そうなの?」
「そうなの」
「父様何したと?」
「んー……内緒」

語尾にハートをつけてにっこり言い切ると、えー!と非難めいた声が上がったけれど、さすがに子供に…というか人に話す内容ではないと思う。

「ほら焼けたよ」
オーブンからの甘い香りに話を逸らすようにして声を掛ければ、
「わあ…よか匂い」
不満そっちのけでぱあっと笑顔が広がった。

焼きあがったクッキーを網に取って次を焼く用意をする。
おますはさつきの傍でへばりつくようにしてその手元を見つめていた。

「おますちゃん、はい、あーん」
開いた口に粗熱が取れたものを一枚。
「平畩くんもどうぞ?」
流石にあーんはだめだなと彼には掌に。

「「おいしい…!」」
「そっかー」

よかった。
お気に召したみたいで。


長くなったので一旦切ります。平畩くんは史実では別府の輿を最後まで担いでいた従僕です。年齢は分からんのだけど、幸吉くんと同じぐらいの設定で。ウィリアム・ウィリス邸が鹿児島医学校兼病院内にあったかは知りません。調べてないので適当に。そしてイギリス人のお宅ならオーブンぐらいあってもいいだろうという安易な想像です。笑。明治のオーブン、西洋かまどのことです。19/2/12