Trigger:01






「さっきの男は大丈夫か?」
広瀬秋山向井の三人と飲みながらそう聞かれ、さつきが今までの経緯を伝えれば苦い顔をされた。

「彼氏がいると知っても、あの手はしつこいと思う」
「…でしょうね」

手近に遊べそうな女がいたから声を掛けているだけで、要するにつまみ食いしたいだけだ。
「俺たちが間に入って却って厄介になったかもなあ」
秋山の一言に、でももう少しでプロジェクトも終わりますしとさつきは苦笑した。
「それに助けてって言ったの私ですし」

「さっきの男が来る日は決まってるのか?そのプロジェクト、いつ頃までかな」
「あと一ヶ月位かな…来るのは二・三日に一回程です」
「如月さん、家の最寄駅は?」
「……」
言い淀んださつきに気付き、職場の最寄り駅のあっちかこっちかと広瀬が聞き直してきた。

「上りか。なら広瀬と方向同じだな」
「秋山は下りの方だもんな。それにお前今忙しいだろうし」
「ん。俺が送るわ。今仕事が手隙なのも俺だし、さっき前に出たのも俺だし。一番いいだろ」
「”彼氏役”はいいけど送り狼になるなよ」
「おい!」
あははと向井が笑ったのだけれど。

頭越しに進んでいく話にさつきは耳を疑った。
送るって。彼氏役って。
いやいやいや。

「…彼氏役?送る?私を?」
「うん」
「広瀬さんが?」
「うん」
至極普通に答えられてしまった。

「さすがにそれは…」
「迷惑?」
「そうじゃなくて、」
こちらが迷惑というより広瀬の方が迷惑なのではと思ってしまう。
巻き込んでしまって悪いという気持ちの方が大きいし、それに帰る時間だってよく分からないのに。
「夕方頃なら仕事が終わる時間も大体読めるだろう。定時に帰れそうとか」
向井の言葉にさつきが頷けば、それを知らせればいいと。

「で、でも」
「如月さん、あれはちょっと質悪い。店に入った後も暫くこっち伺ってたし…しつこいんだろう?」
「あれは女落とすのを楽しむタチだな」
「騙されたと思って何回か広瀬と帰ってみたらいい。それで何か美味いもんでも食わせてもらいな」




ガードレールに寄り掛かっていた広瀬に近付けば「お疲れさん」と笑いながら声を掛けられ、さつきは待たせた事を軽く詫びた。
「今日は大丈夫だった?」
「あー…相変わらず」

女落とすのを楽しむタイプ。
秋山はそう言っていたけれど、本当にそんな感じだった。
次に顔を合わせた時には「俺は彼氏がいても全然構わないから」とかいう傍迷惑な言葉を吐かれ、唖然としたさつきの手を握りしめようとしてきた。
気持ちが悪くてとっさに弾いたけれど、照れなくていいとか、更にそんな事まで言い募られる始末。
隙あらば腰に手を回されたり、肩を抱かれたり、性的な事を聞かれたり。
誰かに助けを求められないような時にそんなことをされるから本当にたまらない。
あからさまな時は同僚が気を遣ってくれはするのだけれど、いつもいつもはやっぱり無理で。
それに彼は課された仕事はきちんとしているし、表面上は仕事に支障は出ていないから…
正直言って見て見ないふり、巻き込まれるのが面倒なのだろう、放って置かれている節がある。

(……気持ち悪い……)
「気分でも悪い?」
掛けられた気遣いに軽く首を左右する。

「何て言うかほんっと腹立たしくて、あんなののために広瀬さんの時間無駄にしてるかと思うと」
「ん?俺は一緒に帰れて美味いメシも食えて役得だけどなぁ」
だから気にしなくていいよ。

そう言って歩く広瀬にさつきは口を噤んでしまった。
(…素?素だよねえ…)
「今日もいつもの所でいいの?他行く?……おーい、聞いてるかー?」
「あ、うん」
「なら行こうか」
軽く笑って先に進む様子に、この人はもてるだろうなあとさつきは思ってしまう。


成り行きから彼氏役を買ってくれて、マンション下でさつきが玄関に入るのを見届けてから広瀬は帰っていく。
そして初めの頃はこれまたフッツーに彼女を連れて行くような所で晩御飯を奢ってくれようとするので、
「それは本当に止めて下さい」
とさつきは懇願に近い頼み方をした。

それでは幾らなんでもおんぶにだっこ過ぎて、会うのが負担にならないように、せめて自分のご飯代は払いたい。
というか、本心を言えば広瀬に御馳走したい位なのだけれど。

少し驚いたような表情で黙って聞いていたけれど、
「あぁそうだな……分かったよ。じゃあ割り勘にしよう」
降参したように苦笑した広瀬に、
「私でも払える安くておいしい所でお願いします」
そう重ねると、更に笑って普通の定食屋に連れて行ってくれた。
それからはその定食屋か、満席の時は近くの居酒屋なんかで適当に夕食をとっている。


今日あったことを話して、この前の話どうなったとか、あの本は失敗だったとか、仕事の愚痴とか。
あと、よく電話を掛けてきて様子を聞いてくれる秋山の話だとか。
本当にムードもへったくれもない会話ばかりなのだけれど、でも最近ではこういうのが本当に自然になってきて、
(しかも結構楽しいんだよね…)
そうなのだ。
本当にご飯を食べて帰るだけなのだけれど、週に何度か会えるのをかなり楽しみにしている自分がいる。

ただこちらの都合で広瀬を付き合わせていることに変わりはない。
なので上司には何度も相談しているのだけれど、返って来る答えは
「あともう少しだから暫く我慢してよ」
つまり何の対処もしてくれなかった。

(我慢した揚句何かあったらどーすんだろ。上司、自分のクビが飛ぶかもっての分かってないわ…)
このまま何事もなかったかのように握りつぶされる予感が紛々としていて、とりあえず今迄の状況は人事の担当者にも相談はしているのだけれど。
(それでも何もしてくれないってどういうこと…)
さつきは大きく溜息を吐いた。



は、と深い息を吐いたさつきに広瀬はおやと思う。
出会ってからの期間は長くはないけれど、人前でここまであからさまに溜息を吐くような子でないのはそろそろ分かり始めていた。
(無意識か)

遠慮するのをなんだかんだと言い包めて、広瀬がさつきを送るようになってからもう二週間程になる。
気にするなと言っても彼女の性分からすればこちらに気も遣うだろうし…
送られざるを得ない状況を作られているのだから、疲れるばかりだろう。
気の置けない女の子と一緒に帰ってその上一緒に食事までして、「役得」と零した言葉は広瀬にとっては本心であったけれど。

「職場で相談はしてる?」

会話が途切れた時、ふと零れた問いに目の前に座る彼女が顔を上げて頷く。
「周りの人は一応大丈夫かとは聞いてくれる。…でも上司はあと少しだから我慢してって」
周りが男の人ばかりってこんな感じなのかな。
申し訳なさそうに答えたさつきに広瀬は内心驚いてしまった。


さつきの隣を歩きながら、広瀬は定食屋での会話を反芻した。
独り暮らしの女性の家にまでついて来ようとするのに我慢しろだって?
相談窓口にも話しているとは聞いているけれど…
職場の人間が何等かの対応をしているような気配は広瀬には感じられなかった。
(嫁入り前の女の子に何かあったらどーすんだよ)

家には上がらない。
でもドアの内側に入るまではマンションの下で見届ける。
駅で別れようとするさつきをそう説得したのは、彼女と一緒に帰っている時、暫くは執拗な視線を感じたし、後をつけられているような気がしたからだ。
初めは気のせいかとも思ったのだけれど。
送迎開始の初めの週にそんなことが立て続けて起これば、流石に偶然とは思えない。
そんな状況の中、夜道をさつきひとりで歩かせて帰すのはいくら広瀬でも怖かった。

「職場出てから後つけられてる」
多分駅までだけど、念の為家迄送らせて欲しい。
改めてさつきにそう伝えれば、彼女は流石に動揺を隠せずに言葉を失ってしまったのだけれど。

(本当に付き合ってるんならどうにでもなるんだがなあ…)
泊まることも、泊まらせることもできるのに。
ちらんと視線をやればぱちりと目が合い、
「どうしたの?」
ふわんと笑う。
「いや…」
(…可愛いよなあ)
顔の作りではなくて。


いつも迎えに来てくれてありがとう、ごめなさいと掛けられる言葉。
疲れていないかと心配されること。
彼女が一番疲れている筈なのに、嫌な顔を見せずに一緒にいる時間を笑いながら過ごそうとしてくれること。
そして広瀬がしている事を"当たり前"にしてしまわない所。
当然と言えば当然の事なのだけれど、柔らかな優しさで気遣われる事は気持ちのいいものだと改めて思う。

「広瀬さん、いつもはご飯どうしてるの?」
「ん?適当に…」
「適当に?」
「買ってきたり食いに行ったり。どうして?」
単なる世間話と思いきや、何かを言い淀んでいるので先を促せば、

「て、手料理とか、大丈夫…?」

思わず立ち止まってさつきを凝視した。

「あっ、あの、変な意味じゃなくて!作り置き沢山作ったから良かったらって…」
段々尻すぼみになって行く言葉に広瀬は声を上げて笑ってしまった。

「作ってくれたの」
「作り過ぎたから広瀬さんはついでです…」



(2017/3/7)
例の現パロ第3弾。