Trigger:03






『こんばんわ、まだお仕事ですか?』

電話から響く声にホッとして、秋山はネクタイを緩めた。
「ああ、今電話大丈夫か」
大丈夫という返事と同時に向こうの方で小さく聞こえてきていたテレビの音が消えた。
『もう九時過ぎですよ?前は十時頃だったし、秋山さんこそ大丈夫ですか?帰れそう?』

毎日という訳でもないけれど、秋山は一週間にニ、三回はさつきに電話をしていた。
広瀬が彼女を送る原因になった件が気になっていることもあるから、その様子を聞きたくて。
しかしそれよりも残業続きの中、一日の終わりに僅かでも彼女と話をするのが結構な気分転換になるからだった。

かと言って特別な話なんて何もない。
テレビの話だとか、CMで流れている新商品を試してみたとか、一緒に帰っている広瀬の話だとか、広瀬と話した話だとか。
「秋山さんの会社の近く、遅くまで開いてるおいしいお店ですよ。おススメ^^」と料理の写真が送られてきた時もある。
本当に取り留めのない雑談ばかりだけれど、日々のどうでもいい話をあーだこーだと言い合って笑う。
さつきの安否確認もあったけれど、秋山にとっては酷く落ち着く時間だった。
正直彼女と接触する機会が多い広瀬が羨ましい。

(あー…俺も一緒にメシ食いに行きたい)
『なら明日はどうですか?』
「え?」
『…あ、ごめんなさい、そういう話じゃなかった?』
「いや(声出てた…)」
『広瀬さんに来てもらう日なんです。秋山さんももし御迷惑でなければ。本当に急ですけど』
「邪魔じゃないか?」
そう尋ねれば、何で?と素で聞き返されてしまった。
『前は三人だったじゃないですか、寂しいこと言わないで下さいよ』




「仕事終わりそうか?」
「終わらせる」
今日は俺も行くと秋山が簡単に昨日のあらましを話せば、広瀬は快く了解した上でそう確認してきた。

「三人は久しぶりだな」
「俺もまともなメシ食いたいわ…なんだよ手料理って…」
ごつっと拳を広瀬の肩口にぶつければ、役得だろ、と悪気もなく笑う。
「美味かった…痛って!」
ごすっと向う脛を蹴ってやった。

彼女を送った翌日、彼女と電話で話した翌日には、ふたりはあったことや話した内容を報告して共有していた。
だからさつきの状況については共通の認識がある。

「今日と週末で終わりだって?最後にきっと打ち上げがあるな」
「だろうなー」
「あの子部署で紅一点なんだろ。しかもセクハラはほぼ黙認、人事でもスルー」
かわいそうに、と秋山が零す。制止する男は誰もいないのか。
「余り話したがらないけど、口頭とメールで嫌なことも随分言われてるし…多少触られてる」
嫌かもしれないけれど、そういったことは証拠として記録を取っておいた方がいいとは秋山からも伝えているが。

「…なあ、広瀬」
「ああ。正直酒が入る打ち上げが一番危ない。”飲ませて酔わせて”だろ」
「…会社出てからも暫くは後つけられてるんだよな?」
「職場の最寄駅までな。それでも彼女ひとりで帰すのは怖くてできない」
「だな」

秋山は肯首した。
恐らく自分が広瀬の立場でもそう思って家まで送ることになっただろう。
そう言えば以前さつきは元カレとは酷い別れ方したと聞いた事を秋山はふと思い出した。
そして今のこの被害。
(男運が悪いのか…)
全くもって同情に堪えない。



「…なんか…全然久しぶりって気がしないね…?」

広瀬と共に迎えに来た秋山を見てそう言ったさつきに男二人は笑った。
口元と一緒に空気がふっと緩んで肩の力が抜けるのが分かる。
それが何とも心地いい。

三人で食事をするのは久しぶりで、しかも秋山は誰かとまともな食事をとること自体が久々だ。
さつきと広瀬が話しているのをビールを飲みながら見ていて、
(一日の終わりに誰かといるのもいいもんだな)
なんて思ってしまう。

広瀬もさつきも陽性で、ふたりともが適度に気を使う性格だった。
特にさつきはギスギスした感じがなく、これ見よがしに女を主張したりもしない。
話は最後まで聞くし意見を言うにしても押し付けがましさがないから、疲れている時に一緒にいてもイライラしない。
笑うふたりに釣られることも多くて、気持ちが軽くなるのが分かる。

「秋山さん、飲んでばかりないでこっちも食べて。広瀬さんもどうぞ〜」
「あ、ああ」
「ありがとう」
笑いながら渡された小皿を受け取る。

(いつも笑ってんな、この子)

それに思えば彼女は食事を挟んで「いただきます」と「ごちそうさまでした」がいつもある。
困っている時に助け、また家まで送っている広瀬ヘの礼といい、社員証を拾った秋山への礼といい。
初めて三人で夕食に行った時は奢ることになったけれど、あの時だって丁寧過ぎる程の礼を言われた。

(素直に感謝できるんだな…)
素直にというか、それが彼女にとっては普通なのだろう。
(………)
とは言えよくよく考えればこういうこと、本当なら特別でもなんでもないことの筈なのだけれど。

奢られて当然で「ごちそうさま」も「ありがとう」もない女子に遭遇することはそこそこある。
デート代にしても全額男が持つべきと言われたこともあるし。
職場にいる女子社員にしてもイケメン、出世コースに乗りかかっている男、羽振りのいい男の周囲でしか愛想を振りまかないのもいるし。

思えば秋山に近付いてくるのは肉食系女子ばかりで、とにかく表裏の差が激しいのが多い。
あの天然系女子だってそうだった。
手酷く追っ払って自分の仕事に影響が出ては面倒だと思ったから適当にあしらっていたのだが、彼女はちょっと調子に乗りすぎた。
そもそも目立つ子であったのに、給湯室や社員がいるかもしれない居酒屋で大きな声でネタをばらして…
こちらの耳に入らないとでも思っていたのだろうか。
浅はかさに呆れてしまう。

(…なんだ。俺の周りにいる女がろくでもないだけか)
広瀬と話している正面の女を片肘をついてぼんやりと見つめながらそう思った。
ぱちりと視線が重なるや、少し頭を傾げて笑った彼女の肩にさらりと髪が流れる。
(……)
無意識に手を伸ばし、肩にかかる髪を掬った。

「………」
「秋山」
「…あ、ああ、いや、悪い、突然」

広瀬もさつきも少し驚いた表情をしていたが、秋山本人さえも自分の行動に驚いてしまったのだった。
しかしその空気を壊したのはさつきの笑い声で、

「何かついてました?サラダ菜とか」
「あー…触りたくなった?」
「何ですかそれーしかも何で疑問形なの」

あははと彼女は笑ってはいたけれど、
「秋山さん、温かいお茶頼みますね。疲れてる時に飲み過ぎるの、あまり良くないですよ」
少し心配されるように顔を覗き込まれてしまった。


(17/3/24)(16/7/24)