少しぼんやりしたままビールに口を付ける秋山に、さつきは随分疲れているのだなと思った。
あまりアルコールを飲ませない方がいいような気がして、食事の方を勧めたのだけれど。
正面に座る広瀬と話をしていると秋山からの視線を感じ、どうしたのかなと思いきやスッと手を伸ばされて。
「………」
「秋山」
「…あ、ああ、いや、悪い、突然」
秋山本人でさえも驚いた顔でちょっと固まっていたので、わざと笑ってその場の空気を変えたけれど、
(今の何?触りたかったって何?)
とさつきは内心滅茶苦茶驚いていた。
それでもとりあえずお茶を頼んでその後の秋山の様子を見ていたのだけれど、何というか…
(本当に疲れてるみたい)
いつものしゃっきりとした感じが今はあまりない。
広瀬だけでなく秋山まで送ってくれるというので、いいのかなと思いながら断ることもできず、さつきは結局その言葉に甘えた。
ふたりに挟まれあれこれ話しながら歩けば、あっという間に自分が住むマンションが目の前に。
(もう着いちゃったのか…残念だな)
広瀬と帰る時もそうだけれど、三人でいるのは楽しいからもう少し一緒にいたいという気持ちが強い。
それにこうして送ってもらうのは実質的には今日で最後だと思うから余計にそう感じて、いつもなら広瀬と別れる辺りで足が止まってしまった。
「どうした?」
「広瀬さん、秋山さん、あの……もしご迷惑でなかったら、少し寄っていきませんか」
「………」
「………」
「インスタントコーヒー位しかないけど…」
「ごめんなさい、狭い所で。というか前は追い返したのにって感じだよね」
ベッドに凭れかかるなり寝てしまった秋山に毛布を掛けながら、さつきは謝罪を口にした。
「まあ、ふたりきりはね」
普通に理解してくれて、この人のこういう所は本当に助かる。
「それより、こちらこそ遅い時間に邪魔することになってごめん。すぐに帰れば良かったな」
「…秋山さん大分疲れてたみたいだったから、ちょっと休んだ方がいいんじゃないかと思って」
これは本当だった。
何だかいつもの秋山とは違う様子でもあったし…
忙しいのに無理をして来てくれたのではと少し気になったのだ。
何となくふたりと別れ難くてもう少し一緒にいたかったとは、流石に口には出せなかったが。
「でもまさか寝ちゃうとは思わなかったけど」
「確かに」
笑ったさつきに広瀬も釣られて笑った。
「帰り道や休憩中に電話くれるんだけど、いつも時間遅くて。本当に忙しいんだね。気楽に誘っちゃって悪いことしたかな…」
「秋山は集中して根詰めてやる方だから、息抜きで良かったんだよ。でも今日は随分気が抜けてたな」
三十分位休ませてやれば大丈夫だと思う、ありがとう。
そう言ってカップに口をつけながら小さく笑った広瀬にさつきはほっとした。
「広瀬さんも、いつもありがとうございます」
「どーいたしまして。それでプロジェクトは金曜で終わりなんだよな」
広瀬に確認されてさつきは頷く。
「本当に長い間ご迷惑を掛けてしまって」
「いや、そうじゃなくてね、打ち上げがあるだろう」
確かに大袈裟なものではないけれど、皆で飲みにいくという話にはなっている。
「あの男も一緒に行くんじゃないのか?」
(多分…)
黙り込んださつきに、やっぱりなと広瀬は小さく呟いた。
「店はどこ?」
「でも、何時に終わるか分からないし」
「その日が一番危ないって分かってるよな?」
「………」
ほら、教えてと優しく問い質されて、さつきは素直に口にした。
「迎えに行くから、ちゃんと連絡する事。ひとりで帰ろうとしたらダメだよ」
連絡なかったら電話するからなとまで言われて笑われて、さつきはもう全面的に甘えることにしたのだった。
「あとさ、土曜…日曜でも、良かったら会えないかな」
「え?」
「デートのお誘い」
「如月ちゃん、飲んでる?」
「(げっ来た…)…まあ」
居酒屋の個室でこれはと思い、あの男から一番離れた所に座ったのに、酒が進むと席の並びなんてあっという間にぐちゃぐちゃになっていた。
気が付けば正面に奴が座っていて間断なく”彼氏”の事を聞いてくる。
「話すことなんてありません」
はっきり拒絶しても聞く耳を全く持たず、酒も入っている為か時間が経つにつれ聞かれることが眉を顰めたくなるような内容になっている。
彼氏はどこの会社だとか、どれ位付き合ってるのとかから始まって、どの位の頻度で会ってるのかとか会った時はヤるのかとか。
「如月ちゃん胸大きいね〜彼氏が羨ましいなあ!」
(…ゲス…)
下品に笑う様子にグラスを握る手が震えた。
周囲にいる男共は止める処か話すフリをして聞き耳を立てているのが丸分かりで、助けてくれるような気配もない。
(もうやだ…)
素面の時は形だけでも気にしてくれていたからまだ我慢できていたけれど…
チーム全員がいる時にこんな状態、幾らなんでも酷過ぎる。
「如月ちゃんと仲良くしたくて会社から後つけてたのに、いっつも彼氏がいるからなあ」
その言葉に何人かはぎょっとした顔をこちらに向けた。
「如月さん、駅じゃなくてマンションの下まで送る。家に入った所を確認してから帰るよ。あと一緒に帰った日はもう外出しないで欲しい」
「え?」
「あー…ほら、心配だから。もし寄りたい所があるなら一緒に行くし。だから約束して」
さつきは送られるようになって言われた広瀬の言葉を思い出した。
初めは駅で解散だったのに、送ってもらった初日にいきなり家までという話になったのだ。
あの男は本当にプロジェクトの日にしか来ないのか、仕事帰りに職場近くまで来るような事はないのかも、その時執拗な程確認された。
どうしたのかなとも思ったし、家までというのは幾らなんでもと断ったのだけれど、「俺が心配だから送らせて」と説得されてしまったのだった。
そして一週間程経って、
「気のせいなら良かったのだけれど」
と事情を打ち明けられ、さつきは本当に顔色を失くしたのだけれど、
「ケリがつくまではちゃんと送り届けるから、安心して」
広瀬はそう言ってくれた。
(………)
無性に広瀬の声が聴きたくなり、
「でも今日は職場の付き合いだし、流石に彼氏は来ないよね?今日は俺が送ってあげるよ」
にやにやしながらそんな事を言う目の前の男が堪らなく気持ち悪くなった。
「………後つけてどうする気だったんですか……」
「え?」
だんっと叩きつけるようにグラスを置いて席を立つと、さつきはお手洗いに駆け込んだ。
『如月さん?どうした』
電話を掛ければツーコール程で広瀬の声が響き、少し力が抜けた。
「ちょっと居辛くてお手洗いに逃げてきた。広瀬さんは?」
『仕事終わって今そっちに向かってるよ。…大丈夫か?』
「…そろそろ帰りたくなって来たかな…」
えへ、と小さく笑ったのだけれど少し声が震えたのが伝わったのか、『すぐ着くからこのまま話そうか』と広瀬はさつきを笑わせるようなことばかりを言っていた。
気がまぎれて来た頃に何があったか尋ねられたけれど、受けたセクハラ発言を伝えようとは到底思えなかった。
「広瀬さんにお礼が言いたくなったのと、」
顔が見たくなって。
そう続けようとした矢先にふっと目前に影が差し、顔を上げた途端に、
「っ!きゃああ!」
『えっ、おい!どうした!?』
(17/4/2)(16/7/28)
セクハラ、ダメ、絶対。