入れ替わりに秋山が風呂に向かうと、広瀬は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しながら、何かいる?とさつきに声を掛けた。
「さっき貰ったよ」
「ならそろそろ寝る準備するか」
「え、でも秋山さん…」
「いい、いい。待ってなくて」
そう言って広瀬はあははと笑った。
「広瀬さん、…」
しかしここ、と開けられたのは明らかに寝室として使われている部屋で、さつきは思わず怯んでしまったのだった。
「シーツとカバーはさっき取り替えたと言ってたから」
パチンと部屋の電気が点けられ、中に入るように促されたのだけれど、今更ながら気が付いたことがある。
「ふたりはどうするの?」
「そっちで雑魚寝。あー…慣れてるから、ほら、気にしない。よくやるんだよそういうの。同期とか仲間と集まって」
だからここに布団があるのも知ってるし、と勝手知ったる感じで広瀬は収納を開けた。
(本当に仲良いんだ)
さつきに向かって全く同じ言葉を吐いたり、平気で冷蔵庫を開けたり。
家の中の様子もよく知っている風で。
「ん、何?」
「んーん。何でもない。私も運ぶの手伝うね」
と言っても運ぶ先は隣の部屋で、結局さつきは見ているだけで終わってしまったのだけれど。
「広瀬さん、あの、」
どうやらソファで寝る気満々らしい広瀬に改めて声を掛ければ、こっちに座る?と誘われ、さつきはそのまま広瀬の隣に座った。
「さっき秋山さんにも伝えたんだけど…今日は助けに来てくれてありがとうございました」
今日だけじゃなくて、ずっと一緒にいてくれて。
それにどれだけ救われたか。
「私、今日は本当に怖かった。あの時広瀬さんが来てくれなかったらって、思うと、……」
「どうした」
リビングに響いた声に顔を上げると、シャワーを浴びてきたばかりの秋山と目が合った。
視界に映る少し驚いた表情はうっすら滲んで見えて、さつきは軽く目元を擦る。
「…おい、広瀬」
「ああ、大丈夫だ。思い出したら少し怖くなっただけだ。な?」
背中をさすられる。
「ん…ごめんなさい、今日はみっともない所ばかり見せてしまって。なんか不安定みたい」
小さく震える口元を上げて少し微笑えば、目を眇めた秋山が、
「みっともなくなんてない」
「………」
「無理しなくていい。今日は本当に大変だったし、それだけ大事だったんだ」
ローテーブルを挟んでソファに座るさつきの正面に座った。
「そうだぞ。あいつも上司も周りにいた奴らも、階段から蹴り落としてやってもいい位だったんだぞ」
にこにこ笑いながら物騒な事を言う広瀬に、さつきは目をぱちくりさせたけれど、
「…それは…違う問題が起こるよ…」
釣られるようにして笑ってしまった。
場の空気が緩んだのを機に秋山が明日話す積りでいたのだが、と口を開く。
「さっき如月さんの職場で担当者の人と少し話をした。結論から言うとあの人に任せていいと思う」
「このご時世だし、今回の事が表に出たら会社が大変だってこともあるだろうけど…あの人なら適切に処理してくれると思うよ。それに如月さんと同じ年頃の娘さんがいるらしくて、それもあって随分憤慨していたし」
「如月さんの立場も考えて悪いようにはしないと言っていたから、まあ…安心していいだろう」
「そっか」
「ああ。お疲れさん」
「本当によく頑張ったよ」
おやすみなさいの声の後、部屋を区切る引き戸が閉まる。
「鍵閉めろよ」
「はーい」
くすくす笑う声と同時にカチンと鍵が掛かる音がして、暫くすると軽い寝息が聞こえてきた。
今日は本当に疲れただろうな、と言う広瀬の声に、
「広瀬もお疲れ」
秋山も応じた。
「秋山もな。呼んだ方がいいと思って電話したんだが、仕事大丈夫だったか?」
「ああ、丁度会社出た所だった。そっちこそかなり危ない所で助けに入ったみたいだが」
「…彼女、助けて欲しくて電話してきたんだよ」
その時点で声が震えていたから、既に嫌な目に遭っていたに違いない。
話している最中に急に叫び声が聞こえて、急いで店に駆け付けたらアレだ。
「正直肝が冷えた」
「しかし録音なんてよく出来たな。警察も正直感心した。あれこそ言い逃れできない」
「ちょっと大事になったけどな…」
広瀬は苦笑いした。
録音は電話中メモが取れない時に活用していたから咄嗟に。
「警察呼べ」だって咄嗟に口から出たことだった。
本当はもう少し穏便に済ませられたら良かったのだろうけど、泣いていたさつきの姿を見て頭に血が上ってしまった。
そうでなくても強く出られない彼女を良いことに、今迄随分怖がらせてきたのだ。
痛い目を見せた方が良い。
そう思ったのは否定しない。
「まあ、何とか解決しそうで良かったよ。とゆーか秋山、」
「あ?」
「俺はお前が女を家に上げるとは思わなかったんだが」
にやにや笑いながらの言葉に秋山は苦虫を噛み潰したような面持ちになった。
「…あんなの、幾らなんでも放っておけないだろうが」
タクシーで目に見えるほど震え出して。
「そうだな。俺でも同じことしたと思うし。それに連れて来ても勝手に合鍵作るなんてことも、彼女はしないだろうし」
「ああ」
「秋山、俺はあの子が好きだ」
突然素で言い放った広瀬に秋山は盛大に吹き出してしまった。
「知ってる、それはさっき店にいた全員が知ってるよ。はっきり言い放ってたしなあ」
「…は?」
やっぱり気付いていなかったか。秋山は声を上げて笑ってしまう。
「言ってたぞ、”好きな女がこんな目に遭って泣いてるのに黙ってられるかー”って。本音だろう?」
「実はあまり隠すつもりもない…」
秋山に釣られて広瀬が苦笑いする。
広瀬のこういう所は酷くこの男らしいと思うし、この男の憎めない所だと秋山は思うのだ。
誰にであれ困っている時にさらっと手を差し伸べるようなことを普通にするし…
女から好かれる理由だってよく分かる。
さつきに対してなんて、出会いからして正にそんな感じだったし。
(…………)
だからまあ…仕方ないかと。
しかしそう思う気持ちは表には出さず、秋山は静かに微笑って話を続けた。
「…彼女びっくりした顔でお前の事見てたよ」
だがさつきの反応は悪いものではなく、寧ろこれはありだなと思う位であったけれど、
「ちゃんと伝え直した方がいい」
彼女だって大体気付いているだろうが、あの流れから言って広瀬の演技だと思っていないとは限らないのだし。
そこまで口にした所で、
「なあ」
遮られてしまった。
「俺は先制するつもりで言ったんじゃない」
「………」
「秋山、お前もだろう?」
(17/6/3)(16/7/24)
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