Trigger-a:14






食堂にいつもと少し違う種類のざわめきが混じっている。
どうしたのかと何気なく視線を巡らせれば窓際の席に秋山を見つけ、昼はほぼ社外に出て取るのに珍しいと森山は首を傾げた。
見れば秋山は弁当を広げていて、違う種類のざわめき…一部の女子社員が何だかざわざわしている原因はああこれかと森山は苦笑したのだった。

「卵焼き」
「……」
空いていた正面に座るや一個くれと要求した森山に無言を決め込む秋山に、
「いや俺にだってその権利はある筈だろー」
森山は笑った。


あの夜呼び出されて秋山の家まで車を出したのは森山だった。
元彼が玄関前にいたこと、そして彼が言い出した事を聞いて森山は心から同情し、車を出せと言ってきた秋山の隣で平謝りに謝ってきたさつき(と秋山)を快く送ってやったのは記憶に新しい。
ここ数日秋山が車で出勤しているのを見ると、どうせ彼女を職場まで送り迎えしてやっているのだろう。
確かに一番安全を確保できる方法ではあるが。
(如月さん、すっごい遠慮しただろうけど)
きっと秋山に押し切られて、せめてもと思って食事を作ってるんだろう。
そんな内情が容易に想像できて、森山は思わず笑ってしまう。


「……」
秋山は卵焼きをひとつ箸で挟むと、森山の皿に置いた。
更にもうひとつふたつ目ぼしいおかずを取り分けてくれたから、森山も自分のおかずをいくつか返しておいた。
ほんのり甘い卵焼きに(手作りの味がする)なんて思いながら、「で、どうよ」と水を向ければ、
「昨日一昨日は何も」
そりゃそうだろう。家に帰っていないのだから。

「秋山はまた来ると思うのか?」
聞けば目の前の男は軽く頷く。
「来る。一昨日も昨日も彼女のマンションの近辺には行ってたと思うよ」
「”付き合ってる男”がいてもか?」
「ああ」
「う〜ん…よく分からんのだけど、何でそこまで彼女にこだわる?」

今では結婚して子供もいて、完全に過去の恋愛じゃないか。しかも自分から終わらせたのだ。
今更関わっても揉めるだけで、そんなの子供でも簡単に想像がつく。
ちょっと火遊びするにしても、普通ならもっと手軽な所に行くだろう。

「……え、もしかして”手軽な所”認定してるのか?」
ぼそりと呟けば、それもあると返ってくる。

「それに声を掛ければ簡単に靡くと思ってたんだろう。しかし思いの外強く拒否されたから意地になってる所もあると思う。何より」
何より?
「家庭に不満があるんだろうよ」
「あー…」
森山と同じ見立てだった。

「今日一緒に乗って行くか。家まで送るし」
「…いた方がいい感じ?」
「そうしてくれたら助かる。今日あたり会社に来そうだ」
「こわー」
「そこで捕まえて引導渡す」
「(こわー…)引導渡すって…念書でも書かせる?」
「それだと時間がかかるから作った。法務部の知り合いに頼んで穴がないかも確認済み。今の段階のストーカーならこれで止むだろう」

背広の内ポケットから出された封筒を受け取り、中をさっと確認すれば、接近禁止から始まりその約束を破った時の罰金、また精神的苦痛に対する慰謝料など卒ない内容になっている。
これは”今の段階”に対してのペナルティーとしてはかなり重いもので、確かにこれはいいお守りになるだろう。
相手がサインさえすれば、だが。

「サインするか?させるんだよ」
(こわー…)

「そこの醤油取って」くらいの普通さで言い放った親友に森山は黙って頷いた。



「で、どうなの同棲生活カッコ仮は。弁当なんて作ってもらってさー」
冗談めかして聞いたのだが、

「…結構いいもんだな」
「……」

前聞いた時のように焦る様子も誤魔化す様子もなく、ほんの少し口角を上げてそう答えた秋山に森山は瞠目し、そして安心したように息を吐いた。
楽しそうで幸せそうで何より。さつきは今の段階では友達以上で恋人未満ではあるけれど。

(金輪際女を家に上げないって言ってた奴が…)

聞いていると広瀬も含めて三人、確かに少し変わった関係であるようだが、それはそれでいい。
目の前の親友の様子を見ていると、そう思わざるを得なかった。

「…向井じゃないけどさ、本当に彼女泣かせるなよ」

わかってると秋山が肯定するや、がたがたと周囲の女子数人が席を後にしたのを目にして森山は苦笑した。





今から迎えに行って大丈夫かとの連絡にお願いしますと返す。
時計を見れば定時をやや過ぎた頃で、さつきは秋山が無理をして仕事を終わらせているのではと若干心配になってしまう。
何度か同じ事を本人に確認したが、特に問題ないと事もなげに、そして早く帰ると一日に余裕があっていいなとまで言われて、さつきはじゃあそれでいいかと納得したのだった。

時間を見計らって会社を出ようとし、その玄関の出入口からやや近い所、広瀬が待っていてくれた付近に元彼が佇んでいるのを見つけて、(えっ)、さつきは思わず踵を返してしまった。
会社に来るかもとは思ってたし秋山からも言われていたけど、まさか本当に来るとは。

(…一体何なの…)

浮気した揚句別れてくれと言ったのは向こうじゃないか。
裏切られて傷付いて、それを漸く忘れてきたというのに今更何なのか。
ここまで来ると怖いと言うより、ふつふつと怒りが沸いてくる。

と。
着いたと秋山からの簡潔な連絡に折り返して電話をかければ、
『元彼、会社に来てる?』
話が早過ぎる秋山には、こちらが驚いてしまう。
駐車場に車置いてくるから待っててと言われ、会社ビルの前を見慣れた車が通り過ぎるのを確認、暫く待てば、
「如月さん」
秋山ではなく森山が迎えに来てくれた。
「…お疲れ様です……?」
首を傾げながら口にすると森山は笑って、
「秋山は彼を捕まえて、先に向こうのファミレスに行ってる」
俺達も行こう。
促されてさつきも足を進めた。



「さつき」
姿を見せるや元彼が立ち上がる。
それを無視してさつきは秋山の隣に座り、森山が元彼の隣に座った。元彼は壁際であったから逃げ場を塞いだ形になる。

秋山は元彼を制するとボイスレコーダーを机に置き、改めて聞きますがと話を続けた。

「あなたはどうしたいんですか?」
「どうって…」
「執拗にさつきとふたりきりで会いたがる。しかも彼女の部屋で。子供じゃないんだ、家に上げたらどうなるかなんて容易に想像つく」
「……」
「お分かりでないようだから言いますが、今の状態で事に及べば強姦ですよ」
「……」
「男は馬鹿な生き物だからな、一度部屋に上がり込めたら味を占めてまたやってくる。さつきの優しさにつけ込んで、なし崩しにして」

図星だったのだろう、元彼の体がびくりと動いた。
ぎくりとしたと言う方が正確かもしれない。

「警察にはまだ相談していません。ただ今の状態だと時間の問題だと思って頂きたい」
「そんな…」
未練がましくこちらに視線を寄越してくる元彼に、さつきは溜息を吐いた。


「ねえ、今更連絡寄越したり会いに来たり、何のつもり?」
「………」
「家の前まで来てしつこく騒げば私はきっと中に入れる、そこで無理やりでもヤってしまえばって思ってたんでしょう」
黙りこくる様子に、もうひとつ息を落とす。

「それで私が戻ると思ってたの?正気?浮気して子供作ってその相手と結婚までしておいて…しかもその浮気を、あなたは私のせいにした。私が忙しいから浮気したんだって、だから私が悪いって。忘れたの?」

「そんな仕打ちした女が自分の所に戻って来るって、本気で思ってたの?」

どうしてそう思えるのか、教えて欲しい。


ナチュラルに名前呼びのあっきー。
(19/2/10)(18/6/13)