Trigger-a:13






何度かインターホンが鳴ったものの応答しないままでいると、今度はスマホに着信があった。
幸いサイレントモードにしていたから音は鳴らなかったけれど、これも何度目かの着信が切れた後、

―――俺だけど。何で出ないの
―――会いたいんだけど
―――付き合ってる男がいるなんて嘘だよな
―――話をしたい
―――中にいるんだろ
―――開けろよ

間髪のないメッセージの入り方に、
「えっ…」
思わず声が漏れた。
元彼からの連絡は全て着拒・ブロックしていたのに、スマホを変えたのだろうか。
自分の家なのにじっと鳴りを潜めていると、元彼は諦めたのか一時間ほど玄関前に滞在した後帰って行ったようだった。

(こ、怖い怖い怖い怖い)

何事もなかったから良かったものの、怖すぎる。
知らず鳥肌が立った両腕をさすっていると、再びスマホが振動した。
びくびくしながら恐る恐るディスプレイを確認、映る名前に安心してすぐに電話に出ると、「秋山さん」、と溜息に似た息が漏れた。
それで秋山は察したのだろう、元彼から連絡が来た?もしかして家に来たのか、とストレートに聞かれてしまい、さつきは正直に先程の事を伝えたのだった。

『明日から一緒に帰ろう。家まで送るから、絶対に一人で帰らないでほしい』
「でも」
『仕事の方は問題ない。ただ少し待ってもらわないといけない時もあると思う。それでも大丈夫かな』
「えと、…うん、大丈夫」

さつきはもう遠慮せず、素直に秋山に甘えることにした。
今日はたまたま家の中にいたから何事もなかっただけで、マンションの前で、或いは玄関前で鉢合わせなんてしていたら…
想像してぞっとする。
「秋山さん」
『ん?』
「ありがとう…」
どういたしまして、と耳元で柔らかく響いた声はさつきを落ち着かせるには充分だった。


そして今、自宅の玄関前に元彼が座り込んでいるのを目の前にして、さつきは秋山に心から感謝したのだった。
エレベーターを降り廊下の角を曲がった時、元彼の姿を見つけて立ち竦んでしまった。
パッと目が合い、さつきが後ずさるのと、元彼が立ち上がったのは同時。
恐怖が湧いたものの、傍に秋山がいたことを思い出して知らずその袖を掴めば、
「大丈夫だから」
さつきに聞こえる程度の声で囁いて、秋山が元彼との間に入ってくれた。

「何の用ですか」
元彼の苗字を呼んだ上での秋山の無難な質問に、
「さつきとふたりで話したい。あんたには関係ないだろう」
今度は相手も冷静に応答してきたけれど。

「関係はあるし、それはできない」
そう事も無げにあしらわれ、咄嗟に反論しようとした元彼の先手を取って、
「前にも話しましたが、」
秋山が口を開く。

「あなたはもう違う女性と結婚しているんでしょう。一年以上も前に。それに今彼女と付き合っているのは私です。今更何を話すことがあるんです?」
「それは…」
「拒絶しているのにしつこく連絡が来て、家に帰ればエントランスのオートロックを通り抜けて玄関前までその昔の男が来ている。それは一人暮らしの女性には怖いよ」
現にさつきは怯えているし、世間一般ではそれをストーカーという。
「話したいって…彼女の家で?それもふたりきりで?」
冗談でしょう。
秋山は軽く口角を上げたが、目元は笑っていない。

「私と立場が逆だったら、それをあなたは許しますか?」
「………」
「話したいことがあるなら外に出ましょう。私が同席します」

秋山は丁寧に淡々と正論のみを口にした。
特に「立場が逆だったら」の言葉には納得をせざるを得ないのだろう、元彼は憮然としながらも立ち去る素振りを見せたのだが。
「さつき、俺」
「もう来ないで。迷惑なの」
未練がましく話しかけようとする男をきっぱりと拒絶して、さつきは秋山の腕を引いてドアの鍵を開けたのだった。



扉を閉めて鍵を掛けるやぺたんと座り込んでしまったさつきに秋山がぎょっとした。
「だ、大丈夫です。力が抜けて」
辛うじて秋山に向けた笑顔は若干引き攣っている。
しかし秋山は何も言わず、玄関にしゃがみ込むと「立てるか?」とだけ口にして顔を覗き込んできたのだった。

「…怖かった…」

それは息と共に吐き出した本当に小さな声だったけれど、目の前にいる男の耳には届いたのか、ぽすんとその手が頭に乗った。
しかも秋山はそのまま無言で何かを考え始めてしまい、
(…え、えーと、秋山さん…これは動いていいの…?)
何となくじっとして、秋山のアクションを待っていると。

「俺の家に来るか?」

いきなり爆弾が落とされた。


「あ、秋山さんの家…?」
「ああ。ニ・三日…いや、三・四日ぐらいか?それ位で片付けられると思う」
(片付ける…)
「如月さんは…彼が言う”話したいこと”って何だと思う?」
不意に問われて、さつきは顔を上げた。

話したいこと。
今日もこの前もそんな事を言っていた。
(謝罪、)
…ではないだろう。
それこそ本当に今更過ぎるし、謝りたいなら秋山がいる前でも問題ない筈だ。
そんなこともしないで自分が裏切って捨てた女の家に上り込んで、しかもふたりきりで話したい、だなんて。
謝る気なんてない。あわよくばヤりたいとかそういう事で、普通に考えると都合のいい女扱いだろうと思う。
ただ彼氏がいると分かっていても、言い寄ってくるというのは…

「復縁したいんだと思う」
「復縁」

は?え?と、秋山の言葉を頭の中で反芻する。
復縁?
今付き合っている男がいる元カノと復縁?
何を言われているのかよく分からなかった。だって。

「あの人もう結婚して、子供もいて、」
「それでも君の方が良いと思ったんじゃないか」
「…えええええ…今更そんなこと言われても…」
だよなあ、と秋山も頷く。

「彼、また来るよ」
「…………」
今付き合っている男がいるとは思っていなかったようだが、
「ふたりで話せば、君は自分を選ぶと思ってる」
「いや、選ぶって……本当にありえないんですケド…」
とはいうものの、この数日の元彼の言動を思い出すと、そんな気配が確かにあるように思えてぞっとした。
「凄いメンタルだよな」
苦笑しつつそう言った秋山にさつきは同意した。

そういう男が玄関前まで来ることが分かっていて、ひとりにさせるのは流石に心配だと繋げ、
「俺がここに泊まるというのは、ひとつの選択肢としてあるが…」
それはな、と秋山は苦笑する。
さつきの家には別々に寝られるような部屋もないし、一組の布団しかない。
これは流石にどうかと思う。
それに、現実に元彼がここにやって来ることを考えると…

「場所を知られていない俺の家の方が、安全だと思う」
一応内鍵のかかる部屋もあるし、何よりさつきは一度秋山の家に泊まっている。
いきなり行った所のない家に行くよりは抵抗は小さいだろう。

「でも…」
「迷惑じゃない。それなら俺も別れた後に大丈夫かと心配せずに済む。…なんなら嘉月を呼べばいい」
俺とふたりでいることが心配なら、とそこまで言ってくれた相手にさつきは心を決めた。
「…お邪魔してもいいですか」
そう伝えると、

「よし。広瀬が帰って来る前にカタをつけよう」

秋山は破顔一笑した。


あっきーの家が一番危ないのでは(笑)
(19/2/2)(18/5/15)