Trigger-a:15






依然黙ったままでいる元彼に、さつきは自分が戻ってくると思われていたらしいことに心底驚いてしまった。
宇宙人を見るような目つきで彼を見てしまう。

この男、一体自分を何様だと思っているのだろうか。人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。
腹立たしさが募る反面、こんな男が好きだった自分が酷く情けなかった。


「さつきと、やり直したい…」
「は?」

暫くの沈黙の後、小さく呟かれた元彼の言葉にさつきは思わず絶句。
秋山から聞いていたものの、実際に耳にしてしまうと結構な衝撃だ。
しかしながら目的は復縁だろうと予想していた秋山は腕を組んで冷やかに前に座る男を見詰めていた。



「いやいやいや…やり直したいってあんた、頭おかしいの?普通無理でしょ」

今迄特段話し合いにも加わらず、成り行きを見ていた森山が冷静に突っ込んだ。
確かに元彼は結婚して子供もいるという立場で、別れるやり直すといっても単なる恋愛沙汰でない。
それに離婚、慰謝料、子供の親権とかそういう話に発展する類のもので、こんな所で簡単に口にする内容でないのは確かだ。

「騙された。結婚してからあいつ勝手に仕事辞めて専業主婦だって、でも家に帰っても掃除も洗濯もしてないし、食事もない。家でずっとごろごろしてて…」
「この前大喧嘩したんだ、そしたらあいつ、俺が彼女持ちだって知ってたけどこの年収なら専業主婦になれるからって、何回目かにゴムに穴開けて逃げられないようにしたって」
「さつきは忙しくても家事全部してたし優しかった。俺、さつきといる時の方が良かった。あんなギスギスした家に戻りたくない」


立て板に水のように元彼の口から流れていく理由に、さつきの顔は引き攣った。
(それで私とやり直したいと…この人、本当に…)
本当に、なんて勝手な。
やや唖然として、口にすべき言葉を探していると、

「ふざけるな」

聞いたことのない秋山の声音に、さつきは思わず隣に座る男の顔を見やってしまった。
怒っている。とても。

「んなもん騙される方が悪いんだよ。ゴムに穴?てめえの管理不足じゃねえか」
「遊びながら結婚相手探してるって有名な子と遊んだんだから、本当に管理不足だな」

自業自得だよなあと森山が秋山に追随する。
元彼も思う所があるのだろう、気まずそうに視線を落した。

「…あんた家事をしてくれるから如月さんと一緒にいたいの?」
「ち、ちが」
「違うも何も家事してくれて楽だから如月さんといる方が良かったんだろう?今そう言ったよ」
「………」
「まあ、気持ちは分からんでもないけど。けどさ、”彼女”ってそう言うもんじゃないでしょーが」
頬杖をついてコーヒーを混ぜるスプーンを見つめながら、森山は淡々と口にする。

「やり直して…どうすんの?家事してほしい?それならハウスキーパー頼めばいい話だろう。それにもしヨリを戻せたとして…でも彼女が忙しくて相手できないとなったら、君はまた浮気するんじゃないのか」
「…………」
「二度する奴は三度する」
そんなの今迄何人も見てきた。
そう付け加えられた言葉にすっかり黙り込んでしまった元彼に秋山が、は、とひとつ息を落とした。

「こちらの要望はひとつです。これ以上彼女に付き纏わないでほしい」


冷たく言い放った秋山の声にばっと顔を上げるや、

「…さつきは、さつきはどうなんだ…!そんな事ないよな!?」

そう言い放った元彼にさつきは今度こそ唖然としてしまった。
この後に及んでまだそんなことを言う目の前の男が、本当に信じられない。
迷惑、顔も見たくない、さつきは彼にはっきりとそう伝えているし、会う度に拒絶している。
それに今”付き合っている人”がいると、秋山が”恋人”だと、秋山だって何度も言っているのに。

(怖い…)
あまりにも話が通じなくて。

ぞわりと粟立った腕を無意識にさする。その動作に隣にいる秋山が机の下でそっと手を握ってくれて、はっとした。
(秋山さんも、森山さんもいる)
ちゃんと助けてくれる人がいる。
そう思って秋山の手を握り返すと、さつきはぎゅうと目を瞑った。
今断ち切らなければ、この男はまたきっと同じことをするだろう。

息を吸い込んで視線を上げると元彼と視線が絡んだ。
それをどう思ったのか、向こうは安心したような表情(かお)をしたが、こちらが半ば睨みつけていると分かると、それもやや強張ったものになる。

「私はもうあなたと関わりたくない」
「なんで、」
「…何で?何でって…あなたが言うの?さっきも言ったけど…婚約直前に浮気されて、しかも浮気は私のせいにされて、挙句捨てられた私に、あなたが言うの?顔も見たくないと私が言う理由が分からないの?」

どれだけ悲しかったか、どれだけ苦しくて辛かったか、どれだけ悔しくてどれだけ傷ついたか。立ち直るのにどれだけの時間がかかったのか。
それを水に流して今更元に戻りたいだなんて。虫が良すぎると思う以前に頭がおかしいのかと鼻で笑ってしまう。

「しかもあなた、今の今まで私にただの一度も謝ってない。私の事なんだと思ってるの?家政婦位にしか考えてないんでしょう」
「そ、そんなこと…」
「そんなことないんだったら、私の前に顔なんて出せないよね。あれだけ人のことを蔑ろにしておいて、自分の都合で平気でヨリを戻したいなんて言える。そんな人と一緒にいるのは、私には無理です」
「………」
「あなたとはもう二度と会いません。付きまといも許さない。今後何かあれば然るべき所に相談します。連絡先は今、私の目の前で消して下さい」


強い、キツい口調。
森山はそれに少し驚いたようにしかし若干面白そうに見ていたけれど、「はい、スマホ出して」、と隣に座る元彼を促した。
「会社から支給されてるのも」
「え…」
「個人のが着拒されてるのに掛けられるって、その線しかないでしょ」
「…………」
そんなやりとりの様子を見ながら、秋山は例の封書を取り出して彼の目の前に広げる。

「こちらもだ。これを読んでサインしてくれ」

サイン?
ぱっと元彼の顔が上がり、文章を読み進めるや元彼の顔色がどんどん悪くなっている。

「こ、こんなの、サインできない」
「どうして」
「どうしてって罰金って慰謝料ってこんなの」
おかしい、と語尾が震える。

「こんな物にサインしないといけないような事をあなたは彼女にしてるんだ。これ位のペナルティは引き受けるべきです。それにお分かりでないようですが、」
「え?」
「あなたは彼女に不倫を持ちかけているんですよ」
「!不倫だなんて、」

反論しようとした元彼に、「どう思おうと既婚者との恋愛は彼女にとっては不倫だな」、森山が呟く。

「俺は彼女をこれ以上傷つけるなと言っている。それに彼女と二度と関わらなければこれへの署名だって問題ない話でしょう」

そこまで言われて漸く元彼は、渋りながらではあったが文書に署名をした。


「…捨てた女の事じゃなくて、ちゃんと家庭の事考えて」

サインをする元彼の手元を見詰めながらそう口にしたさつきに秋山が顔を上げる。

「経緯がどうであれ、あなたもう父親なんだから…子供の事ちゃんと考えて。奥さんとだってちゃんと話し合ってよ。軽々しく人を巻き込んで離婚に繋がるような行動しないで」
「……」
「相談なく仕事辞めちゃうとか専業主婦で何もしないとかは、正直私もどうかと思う。でもあなた、奥さんと話す前に私の所に来たんでしょう」
私に何か言う前に浮気したのと同じように。

元彼の喉元がぐっと詰まる。

「都合が悪いと全部人のせいにして。自分のことばかりで本当に勝手すぎるよ。私はそんな人とは一緒にいたくない。だからもう、会うのはこれで最後です」


中々ハードな彼女を掴んでしまった元彼でした。
2019/2/23(18/6/13)