Trigger-a:08






呆然と突っ立ったままの男をほったらかし、ざくざくと歩く秋山を追う。
手はあれから繋がれたままで解放される気配はなく、秋山は余程機嫌を傾けたのか無言のままでいた。
しかし、
「秋山さん、ありがとう…」
その声にハッと振り向くと秋山は少しバツ悪そうに、ごめん、と口にする。
立ち止まった秋山の顔を見て、首を左右すると、
「嫌な思いさせてごめんなさい」
さつきも謝罪を口にした。

さっき話題にしたばかりの男がまさか目の前に現れて、あんなことを言い出すなんて。
今更そんなことが起こるなんて、しかも自分にあんな漫画みたいなことが起こるなんて、そんなこと微塵も思っていなかったのだ。
彼は何度も連絡したと言っていたが、別れてからあれもこれも拒否もしくはブロックしているので、さつきのもとには通知すら来ていない。
だから本当にいきなり現れた元彼だった。
勿論びっくりした。びっくりしたけれど、それ以上に動揺している。

「……大丈夫か?」

そう問われて頷いたけれど、秋山は無理しなくていいよと小さく笑った。
「帰ろうか。家まで送る」
なんとなく話し辛くて、さつきは黙って引かれるように秋山の後を付いて歩いた。
手はやっぱり握られたままで、でも酷く安心したのだ。

しかし、
「なあ、如月さん」
突然沈黙を破った秋山に、ハイ、と返事を返せば、
「…俺たち付き合ってることになったんだが」
「え?…あ、」
そうだった。
今付き合ってるのは俺だって、元彼を追い払うのに秋山はそう言っていた。
「勢いで、つい」
「悪かった」と眉間に皺を寄せて言い募った秋山に、さつきは笑ってしまったのだった。
さっきからお互いに謝ってばかりだ。


「いいんです、あんな男。それに本当に助かりました」
彼氏がいないって分かったら、きっともっと大変だったと思うから。
話したいことがあるって、部屋に上げろって…
それなりに付き合っていた男のことだから、何を考えているのかなんて大体分かる。

「その、子供ができて…結婚してんだろ?」
「うん。だから何を今更って。離婚したとも聞きませんし、家族が待ってる筈ですよね」
「………」
「家で何か気にくわない事があってこっちに来たんですよ、きっと。それで家に上り込んであわよくばーって。…馬っ鹿みたい」
元彼も、あんな男が好きだった昔の自分も。




オートロックのエントランスを抜け家の玄関前に着く。
「ありがとうございました」
この後森山の家に行くことになっているからと、文字通り家まで送ってくれた秋山にそう伝えたものの、何となく別れを告げがたくてお互い無言で佇んでしまった。
さつきが漸く「あの、」とだけ呟いて、しかしまた口を噤めば、

「大丈夫か」
「え?」
「震えてる」
「…………」
「10分…いや、5分でも寄らせてもらってもいいか……あ?…これじゃさっきの男と同じだな」
自分の言に苦笑して、中に入る様に促してきた秋山に、
「良かったら上がって行って下さい」
そう告げると、さつきはドアノブに手を掛けたのだった。



「秋山さん、ありがとうございました」
そう声をかけると、湯呑みから立ち上る湯気を見詰める視線がこちらを向く。
「うちに寄ってくれて」
我ながら変な言い草だなと思わず笑ったら、秋山も同じように思ったのだろう、口端を上げた。

秋山の言う通り、さつきは確かに震えていた。
初めは元彼の余りの身勝手さに対する怒りからだったけれど、それは帰る頃には質を変えていて…

「…ちょっと怖かったから」
「ああ」
裏切った挙句自分を捨てた男がいきなり現れて、しかもあんなことを言い出して…
怖くなったのだ。
こちらの話に聞く耳を持たなさそうな向こうの独善さが、余計に。
「秋山さんがいてくれて良かった」

そう言葉にしてから、明日からの事を考えてしまった。
今日は秋山がいて事なきを得たけれど、これで終わりなんだろうかとか、彼はまた来るんじゃないだろうか、とか…
自然と視線が落ちていく。

「……何でだろ、最近こんな事ばっか……」
あは、と秋山に向かって口角を上げたものの、視界が軽く滲むのは誤魔化しようがなかった。
「私、そんなに都合のいい、軽い女に見えるのかなぁ…」
泣くつもりなんてなかったのに、ぽろりと瞳から雫がひとつ転がり落ちる。
こんな事が立て続けに起こって平気でいられる程、さつきのメンタルは強くない。

「如月さん」
名前を呼ばれ視線を上げると、秋山の手がゆっくりと近付いて来てさつきは思わず瞳を閉じた。
親指の腹で雫を払われ、そのまま掌で頬を包まれる。

「家に上げてもらえて良かった」
「………」
「ひとりにせずに済んだ」
無意識に秋山の手に自分の手を重ねていた。

「男はクソだな。勝手な思いで女の子をこんな風に怖がらせて、泣かせて」
「…………」
「無理して笑わなくていい。それに辛い時は頼って欲しい。俺でも、広瀬でも」

小さく頷けば軽く空気が震えて、秋山が微笑したのが分かる。
俯いた顔を上げ、今日だけで何度伝えたか分からないありがとうを口にしようとして、視線がかち合った。

「…………」
「…………」

あ。

お互いそう思った所で、ぱっと掌が離れていき、

「…あー…さっきの男、合鍵は?」
「わ、渡してないから、勝手に上り込むとかそういうのは…」

何事もなかったかのように話を続けた秋山にさつきも話を合わせたのだけれど、

「悪い、俺も人の事言えない。…君といると気が緩む」

苦笑いした秋山に、
(…それは私も同じです…)
さつきは曖昧に笑った。


気が緩んでしまうのはさつきも同じだった。
秋山には、…広瀬にも、安心感というか、信頼感がある。
出会ってから今までの経緯が経緯であったから、余計なのかもしれない。
それほど長い付き合いではないのに、ふたりには心の割と奥の方まで踏み込むことを許していて、それが嫌かと言えば、そうではない。
そして今日のようにふとした時に触れられても、ちっとも嫌な気はしないのだ。
寧ろ安心する。
…ふたりともに。

(…私…)

弥生に聞かれて、広瀬が気になると答えたのはそう昔のことではない。
でも、広瀬と同じように親身に寄り添ってくれる秋山のことだって同じように気になっている。
はっきりと言われたわけではないけれど、秋山がここまでしてくれるのは、きっと恋愛感情からくる好意からだ。
それくらいのことはさつきにも分かる。

「あのふたり優しいけど、優しいだけでそこまでする人たちじゃないよ」

そう言っていた親友の言葉がふと頭に浮かんだ。

(…このままでいいのかな…)

ふたりの間にいて、ふたりともに惹かれている自分は一体何なのだろう。
”軽い女”、なのではないのだろうか。


ここのあっきーは無意識に手が出る様です。こっちはこっちで結構良い雰囲気になりつつありますが、さて。笑
(18/11/24)(18/3/15)