Trinity:03






助手席からちちんと視線を流せば、秋山はラジオから流れてくる洋曲に合わせて途切れ途切れに鼻歌を歌っている。
(上機嫌だなあ)とさつきはその様子に小さく笑った。

秋山に対する返事はまだしていない。
いや、していないのではなくて、させてもらえなかった。

「今答えないでいい。広瀬の事もあるし…君には心を整理する時間が必要だろう」
でも俺が君をどう思っているかは知っていて。

秋山はそうとだけ言って昨日も今日もその事には全く触れては来なかった。
(優しい人だな)
追い詰めないように、答えないことに罪悪感を持たないように接してくれる秋山を見て、さつきはそう思う。


仕事は問題ないと言いつつ、おやすみを言った後で秋山が持ち帰った仕事をしていたことを、さつきは泊めてもらった初日に知った。
前は八時九時、遅い時には十時前に電話があったのにいきなり六時七時頃だなんて。
早く帰るのもいいな、なんて本人は言っていたけれど…
一緒に帰り始めてからずっとこうだったのでは、随分無理を掛けていたのではと思うと申し訳なくて仕方なかった。

だからせめてと思って食事を作らせてもらったのだ。たった数日ではあったけれど。
掃除や洗濯も秋山がいいならしたけれど、多分それは今の関係だと出過ぎている。
そう思って食事以上は言い出さなかった。

でも秋山は簡単な食事でもとても喜んでくれたのだった。
だから半ば冗談でお弁当もいります?と聞けば、返ってきたのは「欲しい」という即答。その上、
「本当にうまい。負担にならないなら頼みたい」
嬉しそうにそんな事を言う。
広瀬もそうだったけれど、大袈裟なくらい喜んでくれるのでこちらの方が却って気恥ずかしくなるくらいだった。


インぺリオ社員といえば超がつく優良企業勤めで、社会的にはエリート。
華やかな世界にいて星付きレストランやホテルでキラキラした女の子相手に派手に遊んでいて。
手癖の悪い噂や酷い話も聞いていたから、女の敵かとインぺリオ社員の遊び方に対するさつきの印象は最悪だったのだ。

それが。
秋山と広瀬とは作為のない親切から始まって、所属も何も関係ない所で損得なく、お互い会いたいから会ってきた。
だから多分、さつきは素に近いふたりを見ていたのだと思う。
いつか向井が言っていたけれど、そういう意味では彼等は本当に普通の男の人だった。
会社とか年収とかばかり見て、ふたりのこんな所を見る女子はいなかったのだろうか。
そんな事はなかったんじゃない?と思うけれども、そうだとしたらあまりにも…


「何かついてるか?」
「え?」
「穴が開きそうだ」
軽く話を振られ、
「目がふたつと鼻と口がひとつずつ付いてるね」
そう答えると笑われてしまった。

「秋山さん」
「んー?」
「私秋山さんのことが好き」
「…うん」
「それで、」
「広瀬のことも好き?」
「うん」
「知ってる」

秋山は小さく笑うと、
「あまり深刻に考えないでいい」
「え?」
「君はそのままでいいよ」

そうとだけ口にして後は運転に集中してしまった。



ここで待ってるから行っておいで。
駐車場で送り出されて到着ロビーに向かえば、広瀬の搭乗便は到着した所でそれ程待つ必要はなさそうだった。
出口から近いベンチに座って秋山とのやり取りを反芻する。

(…そのままでいいって)
それはつまり、ふたりとも好きなままで良いってことになるのだけど。
(それでもいいって。でも広瀬さんはどうなんだろう)

――― 俺も秋山も好きで君といる
――― 大丈夫だから

前にそう言ってくれた広瀬の事を思い少し俯く。
(大丈夫、か…)

一緒にいて生まれる気持ちがあれば、離れているからこそ募る気持ちもある。
どちらがどう重いという訳じゃなくて、どちらも同等に大切にしたい。
ふたりと一緒にいたいし笑う顔を見たい。
何度自問してもこれが自分の答えだった。


――― 今度は電話じゃなくて会いたい

以前電話越しに言われた言葉を思い出す。

(私も顔が見たいな…)


がやがやと人が流れてくる気配にそろそろかなと視線を上げれば、

「……」
「……」

出口を出てすぐの所で、広瀬が驚いた顔で佇んでいた。

急に立ち止まった広瀬を後続の何人かが迷惑そうに追い抜いて行く。
その波に急き立てられるようにして足早にこちらに歩いてくる姿に、(広瀬さんだ)、そう思うと自然と唇が弧を描いた。

スーツケースを引きながら、あっという間に目の前に現れた広瀬に「お帰り」と声をかければ、
「秋山が来るって…話したいことがあるって」
「秋山さんの方が良かった?」
「まさか」

苦笑いする広瀬に笑って、
「お帰りなさい」
もう一度告げれば、不意に伸びてきた腕に抱き寄せられてしまった。
(え、)
内心酷く驚いたけれど、身じろぎもせず心臓が跳ねるのを耳の後ろで感じていると、はー…と吐息が落とされる。

「心配した」
「うん」
「何もなくて良かった」
「ん…」
「会いたかった…」

ストレートな言葉に躊躇いながらも両手を広瀬の背中に回せば小さく笑う気配。
それに少し距離を取ろうとすると、広瀬の腕に力が篭った。

「あー…もう少しこのまま」
「……」
「…如月さん、俺と付き合って」

突然の言葉に慌てて広瀬の顔を見ようとすると却って強く抱きしめられ、

「好きなんだ」

耳元に落とされた言葉に体が震えた。
答えあぐねるさつきの背中で手を軽く弾ませると、広瀬が体を離す。

「君に何かあった時に側にいて当然の立場でありたい。君に近づく男に嫉妬する権利が欲しい」
「……」
「好きだ」

ぶわあっと顔が赤くなるのが自分でも分かった。
秋山といい広瀬といい、どうしてこう面と向かってはっきりと口にするのだろう。
ただ、そうすることでふたりともが、なし崩しではなくきちんとした関係を築こうとしてくれているのがさつきにもよく分かった。

(…嬉しい…)

そこまで想ってくれているのがとても嬉しい。
素直にそう思えた。


「困る?」
答えなんて半ば分かっているだろうに。
少しむ、としたさつきに広瀬が目を細める。

「困らない。…けど…困る…」
「秋山にも言われた?」
問われて肯首すれば広瀬は更に笑みを深くした。

「選べない」
「っ」
「…と思う位には俺達のこと好きになってくれてると思っていいか?」

「広瀬さんのことが好き。それで…秋山さんのことも好きなの」
「ああ」
「自分でも優柔不断だって思う。でも…」
言葉が喉にひっかかる様子に、広瀬が微笑した。

「そんなに困らなくていい。分かってるから」
「……」
「選ぶ必要はないよ」
「え?」
「秋山とも話をしよう。俺達三人同じ事を考えてる」

同じ?とさつきが口を開こうとした時、
「さつきさん、広瀬」
背後からの声。
随分遅いから迎えにきたという秋山の言葉に時計を見れば、結構な時間が経過していて驚いてしまった。


「話している所スマン」
「いや秋山とも話したいと言っていた所だ。てゆーか、秋山、」
「一昨日からな」

にんまりと口角を上げた秋山に軽い不満を漏らすと、
「俺も名前で呼ばせて」
いいよね?と念押ししてきた広瀬にさつきは笑ってしまった。さっきまでのシリアスどこ行った。

(…やっぱり好きだな…)
どちらかと過ごす時間も、ふたりといる時間も。楽しくて、いつも笑っていられるような気がする。

「広瀬さんと秋山さんが好きです」
「……」
「……」
「好き。ふたりと一緒にいたい」

思い切って口に出すと彼等の顔を見ていられなくて顔を反らしてしまった。


2019/3/24