拈華微笑にあらず 1






部屋番号を押して呼び出しボタンを押すとすぐに広瀬の明るい声が返ってきた。
久しぶりに聞く生の声に頬が緩むのを感じながら、一言二言言葉を交わす間にオートロックの鍵が開く。
「すぐ行きまーす」
一声置いてエントランスホールへと入れば、すぐに背後で自動ドアが閉まろうとしたのだが。
「すいません」
軽い謝罪と共に誰かが滑り込むようにドアを通り抜けたので、さつきは反射的に横へと避けた。

若い男のふたり連れ。住人だろうか。
(この人たちもエレベーターに乗るよね)
至極当然の事に軽い忌避感を覚えながら、さつきはエレベーターの入り口から少し距離を取った。
(先に乗ってもらおう)
男性しかいない中にひとりで乗るのには抵抗がある。
間を置かず到着したエレベーターを前にさつきが口を開きかけた時、期せずして向かいのふたりも口を開いたのだった。

「「「お先にどうぞ」」」
「「「…………」」」

完全に一致した台詞に目を丸くした後、三人は一斉に吹き出した。

「貴方が先だっだろう」
「そうそう。何時間も待つ訳でもなし、順番でいいよ」

ふたりともがにこやかに先を譲ってくれたので、さつきも軽く笑み返しながら礼を伝えてエレベーターに乗り込んだ。
お目当ての階と閉まるボタンを押してガラス越しのふたりに軽く会釈。
一日の終わりに軽い親切を受けて悪くない気分で最後に恋人に会えるのは最高だなと上っていくエレベーターの中でさつきは小さく笑った。

「どうしたの?機嫌良いね」

玄関で迎えてくれた広瀬はさつきの顔を見てこれまた機嫌良く笑う。
電話で声は聞いていても会うのは三週間ぶりで、相変わらずの広瀬の様子にさつきは安心の息を吐いた。
元気そうで良かった。
さ、上がってと背中に手を添えられ、廊下を歩きながら向けられた柔らかい笑顔に笑い返す。
「あのね、さっき下で」
そこまで言ったところでドアホンの音が言葉の続きを遮った。

「……秋山さん?」
「いいや、今日は来ない」
「元カノかな」
「ないないない!やめて!?本当にないからね!?」

あははと笑えば冗談だと通じたのだろう、広瀬は幾分かほっとしながら「オートロックは君が来た時に解錠しただけなんだけど」と首を傾げている。
「荷物とか」
「いや、何も頼んでない」
とりあえず荷物置こうかとの声に従ってリビングに移った時にもう一度ドアホンが鳴り、それに応対する広瀬を横目にさつきは洗面所へと向かった。

「――いや、だから今日は帰れよ、頼むわ」

そんな声が漏れてきて、どうやら知り合いらしい。
手を洗い終えリビングに戻ったさつきは広瀬のシャツを軽く引っ張った。
向いた視線に大丈夫?と口パクで尋ねれば、答えが返ってくる前にふたりの間に声が飛び込んで来る。

《おーい広瀬ー広瀬くーんいい加減開けろよー女でも連れ込んでるのかードア叩くぞー》

「……入れてあげた方がいいんじゃない?」
「………ごめん、ほんっとうにごめん……」

両手を合わせて頭を下げた広瀬に苦笑いを返すと、さつきはぽんとその背中を叩いた。


「待て本当に女の靴がある」
「だから……お前ら頼むから早く帰れよ」
「メシまだだと思ってデリバリー頼んだんだよね。暫くしたら来る」
「はあ!?」

(長居する予定なのかな)
近付いて来る会話の内容はそんな感じだった。
広瀬に何か話したい事もあるのかもしれないし、それなら今日は帰った方がいいかもしれない。
そう思い廊下へと顔を向けた時、

「あ」
「あれ」
「さっきの」

広瀬と言い合いをしながらリビングに入って来たふたりにさつきは声を上げた。
エレベーターの順番を譲ってくれたさっきの二人組だ。

「え、広瀬さんのお知り合い?」
「例の彼女?」
「噂の子?」
「例?噂?」

キョトンとするさつきに「そう、噂の」とひとりがにっこにっこしながら被せてくるから、さつきも釣られるようにして口元を綻ばせた。そう言えば八代さんにも同じ事を言われたなと思いながら。

「ごめんねさつきさん、こいつら俺の同期で親友」
「竹下でーす」
「財部です」

竹下はひらひら手を振りながら、財部は軽く会釈しながら自己紹介してくれたのでさつきも同じように苗字を告げれば、竹下がやっとだよと息を抜くように笑った。
やっと?

「君に会わせてくれって言ってたんだ。なのにコイツずっとスルーでさ、急に来て悪かったけど来て良かったよ」

竹下の嫌味のない口調と柔らかな人当たりは感じが良かったが、また同僚かとさつきの頬は外からは分からない程度に引き攣った。
インペリオの人で何も言わずにいてくれたのは八代だけ。
今までの人には剥き出しで、或いはオブラートに包んで、八つ当たりじみた牽制や詮索をされてきた。
それが思い出されて、「愛想良くても心の中は違うしな」とか「今度はなんて言われるんだろう」と卑屈に思いながらも外面良く笑い返す。

多分、それが少しぎこちなかったのだろう。
雰囲気を読んだ広瀬がさっと身を滑り込ませるようにして三人の間に入って来た。
さつきを背に、庇うような恰好になる。

「はいはい、後は事務所通してねー」
「は?」
「事務所って」
「向井と森山」
「いないじゃん。なになに俺以外の男と話すなって事?」
「束縛する男は嫌われるぞ広瀬」
「お前らなあ……」

ぽんぽんと軽く飛び交う言葉に感じの悪さはない。
暫し黙り込んだ後、思わず吹き出せば三人の顔が一斉にさつきの方を向いた。

「広瀬さん、大丈夫だよ」
「本当に?」
心配されている。
それがよく分かる彼の表情だったから、さつきは気にしないでと伝えるように少し口端を上げたが、逆に広瀬の眉尻が少し下がってしまった。
「本当に大丈夫?」
無理してない?と念を押されて点頭すれば、大きく溜息を吐いて広瀬はふたりに向き直った。

「意地の悪い事言ったり聞いたりしたら出禁にするからな」

(えっ)
飛び出しそうになった驚声をぐっと飲み込んだ。
財部と竹下とばちんと目が合うも、威力強めのワードにふたりは完全に引いている。
焦って目の前の袖を引っ張ると広瀬が振り返った。
少しだけ咎めるような視線を向けて軽く首を左右すると、広瀬はうっとのけ反るような姿勢になったが、これは譲れない。
守ってくれようとする気持ちは嬉しいけれど、これは圧倒的に言葉不足、説明不足だ。
出禁と言うに至った広瀬の気持ちの経過を省き過ぎている。
と言うかさつきの為にそこまでしてくれなくていいし、寧ろしないで欲しい。

「広瀬さん……」
「あー、うん、分かった、ゴメン、分かったから……あのな、ウチの社員がさつきさんに散々迷惑掛けてる」
その言葉に目の前のふたりが、ぱち、とまばたきをした。
「ウチの……あ?……ああ……」
「ああ、我がド迫力美人同期」
竹下の分かった風な相槌ちと財部の断定に頷きながら、広瀬が言葉を付け加える。
「それとあのゆるふわの子と向井と森山。特に森山は秋山を滅茶苦茶怒らせた。凄かったみたいだぞ」
「それは聞いてなかったわ」
「森山は秋山に嫌われて生きていけるのか」
「「それな」」

さつきは俯くと震える口元を押さえた。
財部が真面目な顔で中々シュールな呟きをしたが誰も突っ込まないどころか頷いている。
(森山さん……)
森山に対してはその認識が普通なのか。

「あれ、さつきさん笑ってる?」
「ふ、ふふ、うん、あはは。森山さんと秋山さん、本当に仲がいいんだね」
元彼の件で大体分かっていたけれど、同僚にそうまで言われるのならよっぽどだ。
「それにみなさんも仲が良いんですね。広瀬さん、だから出禁とか言わないで。寧ろ後から割り込んだ私が出禁じゃない?」
「待て待て待てそれはダメ止めて」

さつきの両肩を掴んで食い気味に否定してきた広瀬の背後で今度は竹下と財部が笑い出す。
「いやー確かにそれはダメだわ如月さん広瀬が死んじゃう」
あっはっはと広瀬の背をばしんばしんと叩きながら笑う竹下にさつきも声を上げて笑った。

「すいません、私感じ悪かったですね」
「や、警戒するのも無理ないというか」
「そうだな、気にしないでくれ。ウチの社員がと聞くと大体想像がつく。広瀬がここまで言うのなら随分嫌な思いをさせたのだろう」

ふたりの理解に軽く瞼を伏せるとさつきはほっと息を抜いた。
そう言ってくれれば気持ちが楽になる。

「まあそういう訳だから。詳しくは事務所通せ」
「はいはい」
「よーし森山とっちめてやろ」

本当に遠慮のない仲の良さ。
見ていてさつきも笑えてきてしまった。


「あの、でも私今日は帰りましょうか」
デリバリーを頼んでいるのならふたりはそれなりに時間を過ごすつもりで広瀬宅に来たのだろうし、その邪魔はしたくない。
さつきがそう伝えると広瀬が首を横に振った。

「後から来たのはこいつらだし、今日は俺が作ったメシ食うって約束だっただろう。この前教えてもらった通りに準備してるんだけど食わずに帰るの?」
「え、マジ」
「広瀬が?作った?」

瞳を細めて微笑しながら引き留める広瀬に驚いたふたりをよそにさつきは首を傾げた。
教えた……

「……スペアリブ?」
「そうそう」

以前さつきの家でご馳走した時、家でこんなのできるの?と聞かれて教えた料理。
料理というか市販のソースに漬けるだけなのだけれど、ちょっとしたコツでおいしくなるよと伝えただけの。

「女の子に出すのにスペアリブって広瀬」
「何人分あるんだ」
財部は笑っていたけれど、竹下の質問に広瀬は冷蔵庫に入れてあるボールを取り出した。
「結構あるな。来るのはオードブルだし、これなら四人全然いける。一緒に食おうよ」
「……いいんですか?」

勿論と返ってきた三様の声に、これなら構えずにいて良さそうかなと安堵感からさつきは知らずふんわりと微笑った。

「財部、何系頼んだ?」
財部が差し出してきたスマホを広瀬と一緒に覗き込む。
「タパス?スペイン料理ですね」
見た感じ完全に飲むつもりのチョイスだった。そして野菜が全然ない。
「サラダか何か作りましょうか」
「そんなすぐできるの?」
「ん?トマトと玉ねぎあったし、簡単なので良ければすぐだよ。ある物使おうよ。それか何か違うものがいい?」

画面を見ながら広瀬に何気なく聞いて顔を上げれば、竹下と財部が目を丸くしてさつきを見ている。

「あ……何か嫌いなものとかあります?」
「……いや、ない」
「大丈夫だよ」
「えっと、このメニューだったら飲まれるつもりだったんですよね?」
「置いてあったビールはこの前向井が飲んで行ったぞ」

広瀬の言葉に財部がスマホをポケットに突っ込むと、買いに行ってくるとそのまま玄関へと向かう。
俺も行くわとその後を追おうとした竹下が振り向き「何かいる物あるか」「如月さんビールでいいの」とか聞いてくるので、さつきは軽く笑って返事をした。


「さつきさん、気を遣わせて本当にごめん。でも近い内に会わせたいとは思ってたんだ」

こっちで話をしてから会わせるつもりでいたのに予定が狂ったと不平を漏らす恋人に抱き着くと、さつきは広い背中に両腕を回した。
(珍し。拗ねてる)
そう気付いて上目遣いで広瀬を見上げれば、さつきを見下ろす男の片眉がぴくりと上がる。

「出張から帰ってきたばかりなのにご飯作らせてごめんね。でも嬉しい。広瀬さんが作ってくれるなんてそれだけでごちそう」
「ウン……」
「おふたりも久しぶりなんでしょ?広瀬さんに会いたくて来てくれたんだよ」

私と一緒でと付け足すと、広瀬の唇からははーっと長ったらしい溜息がまろび出た。
そのまま額がさつきの肩口にぐりぐりと擦り付けられる。

「あいつらタイミングが悪い。何も今日でなくても良かったのに」
「ふふ、うん。でも会いに来てくれて良かったね」
「……いい奴らなんだ。これからも会う事があると思う。できるならで良いんだ、もしできるなら仲良くしてくれたら嬉しい」

懇望が見え隠れする口振りにさつきは広瀬の後頭部を梳くようにして撫で付けた。
エレベーター前でもさっきの遣り取りでもふたりの印象は決して悪くなかったし、それに広瀬の親友と知れば尚の事。

「ん、大丈夫だよ」
そう答えれば広瀬は少し体を離して顔を上げた。
「酒入れたらあいつら中々帰らない。なんでビールないとか言ったんだろう」

軽く落ち込み気味の声に笑いそうになりながら名前を囁けば顔が近付く。
その頬にわざとらしく音を立ててキスしてやれば、ああもうとやけくその様に言い捨てて、広瀬はもう一度さつきを抱き締めた。

「君は俺の機嫌を取るのが上手い」



20220528