拈華微笑にあらず 2






マンションのエントランスを出るなり竹下が別の同期、向井弥一に電話を掛け始めた。
通り掛かった公園をちょいと指差され、入口付近のベンチに座る。

「ああ、今広瀬の所。そしたら彼女がいてさあ。話そうとしたら遮られて……え?うん、そうそう、お前か森山に聞けって。あー、ちょっと待て隣に財部もいる」

竹下がスマホをスピーカーにした後、向井が話し出した内容に財部は頭を抱えてしまった。

「迷惑しか……掛けていない……」
「思い上がるなみっともないとか何様のつもりとか普通に生きてて言われる事ある!?」

竹下はけらけらと笑ったが、同僚たちは彼女にそう言われるだけの事をして、そう言われるだけの事を言ったのだ。

「よく許してくれたな」
『本当にな。いくら元彼の件で助けられていてもあんな事を言われたら許し難い。秋山が追いかけなかったら広瀬だってそこでバッドエンドルート突入だったわ』
「森山の愛が重すぎる」
「はーギルティ」

向井によると広瀬と秋山が彼女と出会ったのは本当に偶然で、作為はないからそこは疑うなと釘を刺された。
抑々ふたりよりも森山の方が早くからの知り合いで、その森山曰く親切で良い子。
で、合コン女王が合コンにはついぞ連れてこなかった親友と。

『俺と森山は連絡先を交換した。それに彼女八代さんからも名刺を渡されている』
「は?名刺?」
「八代さんの?あいつら八代さんに紹介したのか?」
『それも偶然そうなったみたいだが、秋山と一緒に彼女だって言い切ったってさ』

隣に座る竹下と顔を見合わせる。
これは長い付き合いになるかもしれない。

『少なくとも俺たちの前であざとく振る舞うような真似をする子じゃない。俺らの職場を知ってもへえ凄いというだけで連絡先も聞いてこない』
そこで何か思い出したのか、向井が鼻を鳴らして笑った。
『広瀬なんて俺らと行くような飯屋以外拒否された挙句折半しかさせてもらってなかった。それに彼女、広瀬経由でしか俺に連絡してきた事ないぞ。あと芋のロクヨンが好きだと』

「あっははは!オッケ!分かったもういいわ」

竹下は立ち上がるなり向井に軽く礼を言うと電話を切った。
行くかと促されて公園を出ると少し先にある普段使いのスーパーではなく、目と鼻の先にある高級スーパーの方へと自然と足が向く。

「今日はビール箱買いの気分じゃないな」
「はは、財部も?さっき如月さんにビールで良いのか聞いたら俺たちの好きなものでってさ。カヴァでも買ってくか。スペインだけに」

そうだなと適当に返しながら財部はさっきまでの彼女の行動を思い浮かべた。
確かにエレベーター前でも広瀬の家でも感じの悪さはなかった。
後入りは私でしょう、なんて同期の関係を優先させようとするから却って気が引けたのだ。
広瀬の家だからといつもの様に前もって連絡もせず押し掛けたのはこちらなのに、嫌な顔もせず笑っていた。

(今までの女ならどうだろうな)

さっきの場面なら女が自分から帰ると言い出す選択肢はなかっただろう。
勤め先は優良企業だと割れている。名前を聞かれて連絡先を聞かれて、行きつく先は「合コンしましょう!」だ。
他にもっと条件の良い男がいるかもと自分の恋人が隣にいるのに合コン、また会いたいと言ってくる女は今まで一定数いた。

スマホの画面を広瀬と彼女に見せた時、買ってくるでもデリバリーでもなく、自然な口調で家であるもので作ろうと広瀬に話し掛けた様子を思い出す。成程あれは女子力アピールではなかったか。
それに人に財布を出させるような空気は微塵もなかったから、竹下共々思わず顔を見てしまったのだ。
好き嫌いがあるのかと思われるとは、流石に思わなかったが。
というか男の前であざとく振る舞う女なら向井に黄金比の芋焼酎が好きとか知られていない筈だ。

「はい、持って」
「お、おお」
竹下から渡されたカゴには既にチーズアソートとガーリックオリーブが入っている。導線に沿って歩きながら更にバゲット二本とスパークリングワイン三本追加。
「甘いのも入れとくか」
そう言って竹下が引き返したカップデザートのコーナー、その隣にあるデリ風惣菜が財部の目に留まった。

(あの様子じゃ『家で食べるならデパ地下のデリカじゃなきゃ嫌』なんて事言わないんだろうな)

そう臆面もなく言い放った、財部が就職してすぐにごく短期間付き合った男の前でだけ酒に弱くなり甘いカクテルを頼んでいた女の顔が脳裏に浮かぶ。
(…………)
レジで支払いをする竹下を店の外で待ちながら、あの子と付き合うのは大変だったなと財部は今更ながらうんざりとした。
未だに仲間内で思い出したように笑い話にされる黒歴史だ。

「しかし滅茶苦茶普通の子っぽいなあ。俺あの子は大丈夫だと思うよ」

荷物を分けて持ち、帰路に着くなりの竹下の言葉。
こういう物言いが何様とか思い上がりと指弾される理由であると財部は分かっている。
それは竹下だって同じだが、敢えてこんな言い方をするのは自分たちの輪に入れた時にコミュニティの和を女絡みの問題で乱す人間ではないかを見ているからで、向井と森山の根底だって結局はそこだった。
ただ、やはり傲慢の謗りは免れ得ないが。

「俺もそう思う。それに八代さんにごまかさずに紹介したのなら『そのつもり』でいるんじゃないか」
「やっぱり財部もそう思う?でも三人で付き合うってどーすんのかな。それが上司にバレてるのも凄いけど……八代さんそこは何も言わなかったんだ」
「プライベートだしな」

財部の適当な相槌に竹下は「ま、そっか」と小さく零す。
確かに意外な気はするが、抑々恋人云々は個人的な話だ。あまりに目に余る様な事がなければ、要するに仕事に支障さえ出さなければ、特段口を出されるような事でもない、のだが。

「名刺を渡した、か」
「そこだよ財部ぇ」

幾らかわいがって懇意にしている部下だとしても、その付き合い始めたばかりの彼女に名刺を渡すような真似は普通はしない。

「多分彼女、八代さんに気に入られた」
財部の短い言葉に竹下が点頭した。
「八代さんの連絡先ゲットしてる時点でもう何も言う事ないな。さっきの様子見ても良い雰囲気だったと思うよ。しかもあれは広瀬の方が」
「ベタ惚れ……」

被った確信に笑い声が重なった。

「そりゃ事務所通せって言うわ。下手な事言われて逃げられたくない」
「あいつ、嫌に出し渋ると思っていたが、彼女に会わせる前に俺たちに話すつもりだったんだな」
「尚更今日来て良かったわー。先入観無しで会えて良かったんじゃない?常識的な子っぽいし、向井の話聞いても良さそうな子だと思ったし。本当に長い付き合いになりそうだなあ」

戻ったマンションでエレベーターに乗り込み広瀬の家まで。
オートロックを抜けた時点でいつものように玄関の鍵を開けてくれているだろう。
そう思った財部はドアノブに手を掛けたが、そこではたと動きを止めてドアホンを指差した。

「……鳴らした方がいいか?」
「うーん、多分、念の為」

男だけならまだしも女の子がいるなら配慮がいるかもしれない。
と言うかいきなり扉を開けていちゃいちゃしてたら目も当てられない。この短時間で流石にないだろうが。


「開いてるぞ」との声に家に入り、リビングに続くドアを開けるなり聞こえてくるソースがじゅわじゅわと煮詰まる音に甘辛系のにおい。食欲がそそられる。

「腹が減る……」
「ん」

財部の口から転がり落ちたそのまんまの感想に竹下が頷くと、キッチンに立つ広瀬の隣にいる彼女がぱっと振り返った。
花が散るように笑顔が広がる。しかもエプロン。

「おかえりなさい」

ひぇと零し掛けた声を竹下が喉元で嚥下したのが伝わる。財部も同じ気持ちだ。
自分たちの元カノだったり今まで合コンしてきた女の子とはタイプが違う。
勿論広瀬が付き合ってきた子たちとも明らかに違っていた。
そこはかとなく恋愛の先を意識させるところがある。

(これは何と言うか)
(ああ、うん)
(広瀬が好きになったのはここか)
(多分そうだろうね)

「あ、あ、広瀬さんもう火止めた方がいいかも。お肉取り出してソース煮詰めて大丈夫」
ただそんな風に思われている事など露知らず、彼女はフライパンの蓋を取り上げて広瀬に箸を渡すと今度はこちらを向いた。

「デリバリーもついさっき来たところで」
「もう来たのか」

既にテーブルの上に小皿と共にセットされているのを見てありがとうと伝えながら、竹下と共に袋の中身をローテーブルに開けていく。
バゲット、酒、つまみ、デザートと出てくる物を見て、人数分のグラスを持ってきた彼女が「プチフードファイターの会……?」と驚いていたが、やがて少し困ったように微笑った。
その様子に財部がどうしたかと問えば、やや言い辛そうに口を開く。

「私にも幾らか出させてもらえませんか?」
「……おお」
「聞いた通り」
「え?」
「あ、さつきさん、今日は気にしないで迷惑料だと思って」
「迷惑料って広瀬」

スペアリブを盛り付けた皿を手に移動してきた広瀬に、ひっどい言い方だなと竹下が笑う。
デリバリーは財部のクレカ払いで、スーパーの方は竹下持ち。
仲間内ではいつも持ち回りで大体均等になるように支払うのが暗黙のルールになっていた。

「でも」
「いつもの様に外で飲むより安くついてる。本当に気にしないでくれ」

財部のフォローに彼女の視線が広瀬へと向けば、うんと頷き返されている。

「お前たちとはもう二度と会わん手切れ金だっていうなら受け取るよ」

それを見てにこにこしながらそう言い放った竹下にしんと一瞬沈黙が下りた後、広瀬と財部、どちらともなくぶっはと吹き出すと爆笑が広がった。

「あっはっはっはっは!払うか?如月さん」
「さつきさん払ってもいいよ!」
「広瀬お前は何という友達甲斐のない……」

いつもの軽い貶し合いを前に彼女は呆気に取られていたが、やがて釣られた様に一緒になって笑い出した。

「じゃあ……ご馳走になります」



20220603