「バゲットがあるならブルスケッタとガーリックトースト作りましょうか。オニオンスープもありますけど、どうします?」
さつきが財部と竹下は酒を飲むだろうからと確認すれば、ふたりは一も二も無く頷いた。
ふたりが買い物に出た後、広瀬はさつきにスペアリブの他に何か準備しているかと聞かれた。
男のする料理だ。米は炊いていたが汁物なんかは用意していない事を伝えると、さつきはもう一度冷蔵庫を覗き込んで幾つか野菜を使っていいかと尋ねてきたのだった。広瀬としては勿論の一択。
「トマサラと……胡瓜とハムあるから胡麻サラダしよっか。広瀬さんオニオンスープいる?いるなら作るけど」
「でもあいつらが帰って来るまで三十分ないよ」
「いけるいける、レンジ使ったらすぐだよー」
さつきは切った野菜をレンジに掛けて、火に掛けて、冷蔵庫に入れて、家にある調味料でドレッシングを作りながら広瀬が肉を焼く様子を隣から見ていた。
恋人になってからさつきはよく広瀬にご馳走してくれたが、こんな短時間で作っていくのを見るのは初めてだ。
手際の良さに目を離せずにいると、不意に合った瞳と唇が三日月を象る。
そのままどうしたの?と首を軽く傾げるから広瀬が素直に驚きを言葉に乗せれば、慣れだと思うよと彼女は事も無げに笑った。
それで本当に親友が帰って来るまでに出来上がった三品。
「ブルスケッタってそんなに簡単にできるものなの?手が込んでそうなのに」
その上でまだ何かしようとしているさつきに竹下が興味ありげに聞いている。
「スライスして焼いたバゲットに何か乗せれば何でもブルスケッタなんですけどね。これは角切りにしたトマトに塩胡椒するだけですよ」
「え、そんな簡単なのか」
「料理できる感が出て助かります」
「はは、そりゃいいや」
そんな遣り取りを聞きながら広瀬は冷蔵庫からサラダを取り出した。
トマト使う?と声を掛ければ、はーいと返ってきたのでひとつをワークトップに出せばさつきがすぐにキッチンにやって来る。
「何か手伝う事は?」
「本当に切るだけだよー。種取ってサイコロに……あ、どうしよ、さっきのオリーブも入れます?」
「お、いいね」
さつきがリビングにいるふたりに声を掛ければ、すぐに竹下がガーリックオリーブを持って来た。
それを受け取ると彼女はオリーブを幾つか刻んでトマトと一緒にボールに放り込む。
そこに軽く塩胡椒をしてさっと混ぜたらスライスして軽く焼いたバゲットに乗せるだけ。
「うわ本当に簡単」
「生パセリとか粉チーズがあればもっと映え〜ですね」
感心する竹下にさつきがガーリックトーストはもっと簡単ですよと、今度は冷蔵庫からバターとチューブにんにくを取り出した。
バターを軽くレンチンしてにんにくを混ぜ、そこにオリーブオイルと塩を少々、キッチンの引き出しから取り出したドライパセリも混ぜて、バゲットに塗ってトースターへ。
「待ってめっちゃ美味そうなんだけど」
「チューブバターとチューブにんにくだけでもできますよ」
「そうなの?家でやってみようかな」
「ぜひぜひ」
和やかに言葉を交わしながらトースターをふたりして覗き込き込んでいる。
それを横目に広瀬は手にしたサラダをローテーブルに置いた。
「コミュ力が高い」
ソファに凭れ掛かってキッチンのふたりを見ていた財部の呟きに「否」と広瀬も小声で呟き返せば、ちらと同期の視線がこちらを向く。
広瀬の知るさつきは初対面の男に対してはもう少し距離感と警戒感を持っている。
自分と秋山の時もここまでフレンドリーではなく、近付くにはそれなりの経緯と時間が必要だったのだ。
それがあの様子。
辿り着く結論はひとつだ。
「俺の為にお前らと仲良くしようとしてくれている」
「へえ……」
財部が面白そうに目を細めた。
「向井から粗方聞いた」
「頼むわ。これ以上職場の人間の印象が悪くなるのは流石にキツい」
簡潔にそれだけ告げるとクッと笑われる。
「八代さんは何て?」
「八代さんは、」
ニヤニヤ笑いながら味方につけておくべきだと思うぞとか、一度家に来いとか。
言われた事をそのまま口にすれば、財部は流石に驚きで目を見開いた。
そしてじっと広瀬を見て一言。
「…………おめでとうごさいます」
「…………ありがとうございます」
広瀬が彼女をどう想いどう扱おうとしているか。
財部はそれを正確に汲み取ったらしい。そんな反応だった。
「ま、それは今ここで聞く話ではないな。ところでいつからお前の家の冷蔵庫に生野菜が入るようになったんだ。なんだよオリーブオイルってドライパセリって」
気を取り直したように揶揄う同期に広瀬は鼻を鳴らした。
まあ気持ちは分かる。
友人同士で集まる場になる事も多いから食器だけは数があるが、そもそも炊飯器すらない家だ。
調理器具なんて長らくキッチンの引き出しにしまわれたまま触られる事もなかったし、コンロなんて三口もあるのに完全に無用の長物になっていた。ホットプレート?いつか誰かが置いていった気がするがどこにしまったか覚えていない。
冷蔵庫に入っているのは水と友人が置いていく酒、申し訳程度に入っていた出来合いの総菜とパックご飯位だったのに。
「以前炊飯器なくても出来るからって、フライパンで、目の前で飯を炊いてくれた」
「フライパンで?」
「それに煮干しで出汁取った味噌汁付けて。それが無茶苦茶美味くて、そうしたら簡単だから作ってみるかって」
「教えてもらったのか」
広瀬は肯首した。
「それから簡単にできるものを幾つか。それに彼女、ここに来る時はいつもと言っていいほど何か作ってくれるから買い出しをするようになった」
「まさかの自炊男子」
ふはっと吹き出した財部に広瀬は首を横に振った。流石に自炊まではいかない。
「作ってくれる気持ちは嬉しいんだ。だが好意に甘えて、それを当たり前の事にするのは違う」
彼女は恋人だ。自分の世話を焼く為にいるのではない。
「ああ」
「外食と弁当ばっかりなのはバレてる。だから作り置きもしてくれたり、分けてくれたりなんだが」
「あ?まさか」
「はは、そうだ、一緒にしてる。足引っ張りながら」
自分の口に入るものなのに、自分が何もせず彼女の労と時間を奪うのは違う。
それは彼女には言わなかったが、手伝いたいから教えてほしいとキッチンに立つさつきに頼んだ時、彼女は本当に嬉しそうに笑った。
そんな事初めて言われたと言って、包丁の握り方から教えてくれた。
ついでに言えば白米と味噌汁であんなに喜ばれるとは思わなかったと。
何でも喜んで食べてくれるから嬉しいとも。
その言に元彼は料理に対する文句が多かったのだなと広瀬は悟ったが、そこで秋山から聞いた話を思い出したのだ。
曰く――家政婦扱い。
「……彼女がしてくれる事を当たり前に享受したらダメだ。感謝と……一緒にいたいのなら、こちらにもそれ相応の努力がいる」
「これはその努力の一環か」
テーブルのスペアリブに視線を向ける財部に広瀬は頷いた。
「それに俺は出張が多いからなあ……」
だからこそ広瀬は彼女と一緒にいられる時間を大事にしたいと思っている。
「小綺麗にして高いメシ食いに行くとかじゃないんだ。そんな気取ったもんじゃなくて」
もっと些細な日常を積み重ねたい。
その中でさつきが自分にしてくれるように自分も彼女に何かをしてやりたい。
それで彼女の喜ぶ顔が見たいだけ。
だから本当は料理でなくてもいいのだが、一緒にキッチンに立つ事でそれが叶うなら一石二鳥だ。
「楽しいよ。こういう付き合い方をするのは初めてだ」
「そうか」
財部は小さく笑った。
「んーーっおいし〜」
「……これは美味いわ」
「本当に広瀬作……?」
竹下の物言いに苦笑いしていると「広瀬さん本当においしい。すごく上手にできてる」とさつきがソースのついた指先をぺろりと舐めた。
広瀬が差し出したティッシュを受け取りながら、これからスペアリブは広瀬さんに任せようなんてにこにこして、もう一度おいしい〜と言葉を重ねる様子に思わず口端が上がる。
「でもこのキャベツの千切り繋がってるぞ」
「うっさい」
「うはははは!」
そんな様子を前にさつきがワインボトルへと手を伸ばせば、財部が素知らぬ風でそれを攫って空いた竹下のグラスへと注いだ。
「如月さんも注ぎ足すか?」
「だ、大丈夫です」
「財部には俺が入れてやるよ」
竹下がボトルを奪って注ぎ返すのを見ながら、広瀬も自分のグラスに手酌で水を注ぐ。
何度かそんな事があってさつきは誰ひとり彼女にボトルを持たせようとしない事に気が付き、それから酌は男の方に任せていた。
「どこのお店のデリバリーですか?このパタタス・アリオリすっごくおいしい」
「ね、広瀬さんこれスペアリブのソースと一緒に食べてもおいしいよ」
「このチーズ初めてです。おいしいー」
「あー……ワインもおいしい……幸せ……」
「ピスタチオプリン食べてみたかったんです!嬉しい」
冷蔵庫から出してきたカップデザートを前にちらちらと広瀬を見てくるさつきに、どれと迷っているのか聞いてやれば。
「えとね、抹茶と黒蜜のゼリー」
「半分こしようか」
「やったーその言葉を待ってた」
それは本当に普段通りのさつきで、取り繕うつもりが微塵も感じられない。あるのは他人が鼻白まない程度の恋人への甘えくらい。
しかも自分たちを前にして女性にしては中々の食いっぷりだ。最後のデザートまでしっかり腹に収めている。
小食アピール皆無のそれは見ていて気持ち良く、作ったものも買ってきたものもこれだけ喜んでくれたら嬉しいものだ。
リップサービスでない事は顔を見れば分かるから、同期ふたりも機嫌良くグラス片手に随分と笑っていた。
いい夜だ。
20220604