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「で?さつきは納得いかないし、気になる訳だ」
この前のピンヒールぽっきり事件の顛末を仲のいい同期に話して言われた言葉がそれだった。
「それはそうでしょ…気になるよ」
むっとして、ランチセットに付いて来たサラダをザクザクとフォークで纏めて口に放り込んださつきを見て彼女は笑った。

助けてくれた人はストッキングや絆創膏にとどまらず、いつの間にか靴の修理代まで払ってしまっていた。
「あんなに親切にしてもらったのに私お礼も言ってない」
「名前は?」
首を左右する。
「でもこの辺りに慣れた感じだったし、近くの会社の人かと思うんだけど」
知らない?
そう言えば、さつきの目的はそれね、と笑われた。

配属先はビジネス街にある支社で、明るくて面倒見がよく合コンの幹事役をよく頼まれる同期はこの近辺の会社では顔が広かった。
だから、それならと思って覚えている容貌を話したのだけれど。

「それだけじゃ流石に…本当に全然知らない人?プロジェクトの関係で最近さつきよくここの支社に来るじゃん?現に今日もそうだし。それにお昼も休憩もいつもこのお店でしょ。それを陰で見てたとか」
そんなことをきゃらきゃら笑いながら言われて。
「こ、怖いこと言わないでよ」
「でもナンパじゃないよね、それ」
そんなのだったらきっと連絡先ぐらいは渡してくる。
「親切だけでそこまでしてくれる人なら、フツー彼女いるでしょ。合コンに出てくるような人じゃないんじゃない?」
つまり分からないと。
何処の人かも分からない、名前すら知らないでは流石に難しい。
「黙って奢られといたらいいんじゃない?っても、思うけどね。ま、一応気には掛けとく」
そう言って忙しいから先に戻るねと席を立った同期を見送った。


食後のコーヒーに口をつけながら、さつきはやっぱり無理かとひとりごちてしまった。
余裕がなかったとはいえ名前さえ聞かず、まともにお礼さえ言えなかったのは本当に失態だったと思う。
それに今思えば「ありがとう」を一度も言っていないのだ。
払ってもらった諸々の代金だってちゃんと返したい。
そう思って、立て替えてもらった大凡の金額を封筒に入れて持ち歩いているのに。
(分からなかったらそれはそれで仕方ないか…)

伝票を持って立ち上がろうとした所、同僚と入れ替わりに隣のテーブル席に座った客も同じ行動に出たのでさつきは一旦座ったのだが、
(…コーヒー頼んだばっかなのにもう行くの?全然飲んでないし)
怪訝に思いながらふと隣席を見れば鞄が取り残されていて。
驚いて席を立った男性を視線で追った。
(伝票は持ってる。後で荷物取りに来るのかな…なんかそれも変な感じだけど)
何となく視線を外せずにいたら、ポケットから出したお金で支払いを済ませてその人は店を出て行ってしまった。

(え、うそ、ちょっと……えー!?)

数秒考えてさつきは伝票と残された鞄をひっつかんで立ち上がった。


急いで支払いをして店の表に飛び出し、もうかなり遠くを歩いていた背中を追いかける。
(ちょ、異様に早いなあの人!)
それでも信号で捕まったのに追いつき、息を切らしながらすいませんと声を掛けたが、
(無視かよ!)
仕方なく肩を叩く。怪訝そうに振り返られたところを、
「か、かばんっ…わすれもの…」
ハアハア言いながら差し出せば、あっという顔をされた。
「すいません、もしかして走って追いかけて…?」

もう少し何か言葉を次がれそうな感じではあったのだけれど、時計を見ればそろそろ昼休憩も終わってしまいそうな時間で。
内心うおっと思い、
「ちゃんとお渡しできて良かったです!それじゃあ」
急いで立ち去った。


…のだけれど。

「あれ…社員証がない…うそ…」



(16/6/5) 
人の忘れ物の心配をしている場合ではなかった。