袖:03






「如月さん電話ー」
「今の外線でしたよね?」

所属先からなら外線でも分かるけれど、それならきっと支給されている携帯に来る。
支社にいて外線を受けることなんてまずないのだけれど。
「うん。でも如月さんピンポイントだったみたい。受付経由で来てる」
「誰?」
「インぺリオの秋山さんと仰る方。如月さん、お知り合いですか?」
(…誰?)
怪訝に思いながら電話口に出れば。

「さっきはありがとうございました」
あ、鞄の人だと思ったが、どうして会社の電話番号を知っているのだろうと思った所で、

『あの時社員証を落として行かれて』
「え!」

思わず大きな声が出た。
周囲の視線が一斉に集まったので、受話器を手で覆って声のトーンを下げる。
「さ、探してたんです…良かった〜」
電話の向こうから小さな笑い声が届いたが、社員証は職場への入室証でもあり勤怠管理にも使っているので紛失は結構な大事だ。
少なくとも失くした側にとっては笑い事ではなかった。

『気づいた時にはもう姿が見えなかったので渡せなくて』
それで態々会社を調べて連絡をしてくれたとのことだった。
今日は社員証がなくても平気か、それとも今すぐ必要かと聞かれ、手元に戻って来るなら大丈夫だとさつきは答えた。
今日一日くらいなら多分問題ない。
相手の話しぶりから届けに来ようとしてくれている雰囲気を何となく察し、取りに行くと伝えれば、

『いや…今から外せない会議で…六時頃には昼間の店に行けると思うので』
向こうの受付にでも預けてくれたらそれで済むのにとも思ったけれど、直接渡してくれるらしい。
確かに身分証明書でもあるし…きっと相手は親切でそう言ってくれている。
そう思い了承の旨を伝えて電話を切ったのだった。

「如月さん如月さん!インぺリオの人と知り合いなんですか!?」
電話を取り次いでくれた子が声を落として、しかし興奮した様子で迫って来たので、さつきは引き気味になって軽く否定した。
連絡が来たのは意外だったけど、お互い本当に”ただの通りすがりの誰か”だ。

「え〜だったらなんでご指名なんですかぁ…」
(確かに向こうは大手の優良企業だよね…合コンしたい企業上位だっけ?)
などと思いながら、この会話の行きつく先は「会う?一緒に行きます!」だろうと安易に想像でき、さつきは適当に話を打ち切った。



自分の落し物を態々持って来てくれる人を待たせるのもちょっと。
そう思い買い物を済ませて六時前にはお店の窓際の席を陣取って、さつきはノートパソコンを広げた。
上司にメールを送信した所で声を掛けられ、顔を上げれば間違いなく昼間の人だ。
「お忙しい所ご迷惑をおかけしてすいません」
席を立ってお互いに簡単に挨拶をすれば、秋山はコーヒーを頼みながら前の席に座り、背広のポケットからカードホルダーを取り出した。

「…良かった」

持ってお昼に出た筈なのに支社に戻って来た時にはなくなっていて、同期に出てきてもらって一緒に職場に入ったのだ。
携帯したと思っただけだったのかと、鞄の中も机周りも丁寧に探したけれど無くって。
朝の入室時には使ったから家や本社にあるということは絶対にない。
どこで落としたかと本当に冷や汗をかいたのだ。

「それでこれ…本当にちょっとですけど。本当にありがとうございました」
こちらに来る前に買ってきたお礼を差し出せば、
「いや、実は俺も」
持っていた紙袋を渡され、さつきは反射的に受け取ってしまった。

「あの鞄に今日使う資料を入れていて、助かったのは寧ろ俺の方…」

きちんと礼を言う前にさつきは去ってしまい、しかし見れば足元に社員証が落ちていて。
いかにも昼を食べに出たという感じだったからきっと職場は近くだろうと踏んで、直近の支社へ電話を入れたということだった。
そして本当は社員証を取りに来てもらっても良かったのだが、直接礼を言いたくて持ってきたのだと。
「大事な会議用だったんだ。本当にありがとう」
丁寧に礼を重ねられて、さつきは却って恐縮してしまった。

「でも鞄忘れるって。支払済ませて席に戻ってくるのかなって思ってたら、そのまま出て行かれちゃうし。びっくりしました」
失礼かなと思いながらくすくす笑うと、バツ悪げな様子で考え事を始めると色々なことが抜け落ちて忘れ物が増えるのだと言い訳めいたことを言われてしまった。

しかし考え事をしていて鞄を忘れるって。驚きだ。
(それにしても限度ってもんがあるでしょうよ…)
「…俺もそう思うんだよ…」
「………」

思っていたことが声に出ていたようで、目の前の人は苦笑していた。
焦って取り繕えば「いいんだ、本当の事だし」と笑いながらそう言われてしまい、決まりが悪くて思わず視線を彷徨わせた所で
(あれ?)
ふと気づいた襟元。

「秋山さん、それ社章ですよね?」
「ん?」
「先日凄く困っていた時に同じ社章をつけた方に本当に親切にして頂いたんです。それなのにお礼を伝える前に…」
知らない間に何も言わずにいなくなったのなら、向こうもそんな事期待していない。
だから気にしなくてもいいのではと言われたのだけれど。

「こけてしまってストッキングは破れるし足は流血してるし、靴のヒールは折れてました」
そんな状態だったさつきを靴修理に連れて行ってくれて、手に取りにくかっただろうにストッキングなんかも買ってきてくれて、気付けば靴修理の支払いまで済まされていて。
お礼をきちんと言いたいし、ちゃんと返したくてお金を封筒に入れて持ち歩いているのだ。

秋山は暫く黙ってさつきの話を聞いていたけれど、
「いつの話?何時頃?」
「丁度一週間前の夕方…出張から帰ってきて、上司に報告も終えて、後は帰るだけだって」
「あー…それはきっと…というか、間違いなく」

不意にコンコンコンと窓を叩かれたので視線をやれば、
「…こいつ?」
そう窓の外を指さされて。
「え…?」


「秋山すまない、待たせた。あれ?君…」
思わず立ち上がって呆気にとられた表情で顔を凝視してくるさつきを見て、後からやってきたその人は首を傾げた。
「せ、先日はありがとうございました」
「あー…やっぱり。あの後大丈夫だった?」
無造作に椅子を引いて秋山の隣に座ったその人に、さつきはもう一度頭を下げた。

「大丈夫も何も本当に…本当に助かりました。なのに修理屋さんに戻ったらもうおられないし。あ、それでお代を」
「え?」
「彼女、広瀬に返すつもりで封筒に代金入れて持ち歩いていたんだと」
「……」
「今日お会いできるとは思っていなくて、お礼も何もないんですが…」
封筒を差し出せばそんなつもりではなかったからいいと断られてしまい、困って眉を落したさつきに、

「そんなに気になる?」
「気になります…」
「なら今から一緒にメシ食いに行ってくれないか?ああ、ふたりじゃないよ。今日はコイツと約束してたんだ」
笑いながら誘ってくる様子に即答できずに口籠っていると、
「如月さん、もし嫌じゃなかったらでいい」
あんまり困った顔をしていたからか、秋山が助け船を出してくれた。

「遅くならない内に帰すし」
「…お邪魔じゃないですか?」
「「いや、全然」」


(16/6/10)(16/5/13)
適当過ぎる社名(※笑う所)はインペリアルのスペイン語読み