土曜日の午後に銀座に行ってちょっと遊んでディナー、だそうです。
いい笑顔の秋山さんに銀座に現地集合と恐ろしい約束をさせられました。
げんちしゅうごう……
普段なら大した問題じゃないけど今回ばかりは問題だ。JR無いよね?地下鉄無いよね?どうやって行けばいいのさ。
というか私、現代の東京でも情報サイトとかガイドブックがないと辛いんですけど……
言い渡した秋山さんの隣で広瀬さんが「ちょっと気の毒だな」という表情でこっちを見ていたけど、結局「ごめんな」の一言が決定打で無理ですとも言えなくなった。
そうですよね。
ふたりとも麻布から霞ヶ関まで徒歩通勤(!)ですもんね。遠いよね。一回家に帰ってからまた同じ方向に戻るとかマジあり得ませんよね。お前が来いって感じですよね分かります。
「人力車使ったらいいよ」
それを先に言えぇ!私も歩きかと思ったわ!
だったら帰りも人力車使ったらひとりで行けたのではと思ったけれど、これはきっと彼らの優しさだろう。
うん。そう思っておく事にする。なんせ三人揃って初めてのお出掛けだもんね。
という事で現地集合すべく人力車に乗ってますよ。
俥を引いてくれたのは若いお兄ちゃんで、走りながらあれこれ話し掛けられたけど周りの風景を追うのに夢中で殆ど聞いてなかった。
ここには高層ビルなんてないし地面はコンクリじゃない。
馬走ってるし!ば、馬車とか。馬車が東京の交通手段とか!
歩いている人は殆どが着物で、その中にちらほら洋服が混じってる。リアル明治村だよここ……
江戸や明治の東京は関東大震災と東京大空襲で壊滅したって昔本で読んだけど、今自分が見ているのは確かになくなった筈のその「まち」だ。
本で見たり博物館で見るようなレトロな看板とか、和風だったり洋風だったりなんだかとてもごちゃごちゃしてる。
人力車の上から見る風景にも次第に飽きてきて、そうなると数日前に秋山さんと広瀬さんに諭された事が頭の中で再生された。
不自然に話を切ったり話題を変えたりした事は今まで何度もあったけど、ふたりがあんな風に思ってくれていたなんて、私は考えてもいなかった。
もっと甘えていいとか頼っていいとか。家族とか悪友とか相棒とか……
まさかそんな言葉を聞かされるとは思っていなかったからびっくりした。
びっくりしたけど嬉しくて、でもそれ以上に申し訳なかった。
だって、私はここに来てからふたりから与えられるばかり、ふたりに甘えるばかりで、何も返せてなかったから。
でも、そう並べた本心を怒られるなんて本当に思ってなかったんだ。
あの時のふたりの口調は柔らかくて優しかったけど、ふたりともすごく呆れてたしあれは本当に怒っていた。
それだけ私の事をちゃんと見てくれていたんだって、今なら分かる。
ここでの生活に慣れてくるにつれ、私からはふたりに対する表面上の遠慮が段々と消えていった。
その一例が言葉遣いだけど、遠慮しなさすぎて時々自分でも危機感を覚えてしまう。その位親しくなってきてる自覚はある。
でも私は現代人で、ふたりは明治人なんだよなあ……
同じ日本人でも生きる時代が違うから、価値観や考え方に、時に埋まらないほどの隔たりがあるんだろうなって思う。
でも私たちの間にある一番大きな隔たり……問題は、私が大雑把でも未来を知っているという事だ。
ふたりが海軍軍人だと知ってから、私はずっとこの事でドキドキしてる。
好感しかない中で同居しているのだから、親しくなるのは当たり前だ。
でもふたりと親しくなって好意が深まる度に頭の中で警鐘が鳴るんだよ。
親しくなりすぎると何を口走るか分からないよって。
それがあのふたりに、後世にどう影響するか分からないよって。
だからあまり深く関わり過ぎるのはいけないって思ってた。
一緒に住んでおいてそんな事は難しい。
でも私は私自身の事は話さなかったし、話を振られてもはぐらかすばかりでまともに答えた事はなかった。
そして私からも彼らの詳細を殆ど聞かなかった。知っているのは海軍にいるという事だけ。
ふたりがどんな仕事をしているのか、昔読んだ本の記憶を辿りはしても、私から聞いた事はない。
この一線引いた態度を見てふたりは「遠慮してる」って言ったけど、本当は違う。
遠慮じゃない。
関わり過ぎないように、わざと一定の距離を取っていたんだよ。
それとは別にふたりにこれ以上の負担も迷惑も掛けたくないっていうのも本心で、これも遠慮に見えてるって事だって分かってる。
この態度と本心の底に沈んでいるのは恐怖だ。
私が持っている一番の秘密を知られた時の事を想像して戦慄する。
私はこの国の未来を知っている。
朧げでも貴方たちの未来を知っている。
そう言ったらあのふたりはどんな顔をするんだろう。
きっと気持ち悪いし、いい気分はしない。薄気味悪いと拒絶されるかもしれないという恐怖。
この先の歴史の知識があると知られて、当局に突き出されて利用されるかもしれないという恐怖。
知らない人しかいないこの世界で、ふたりに嫌われたり見放されたら私どうなるんだろう。
怖い。怖くて堪らない。
考えるだけでも体が震えた。だからふたりと距離を置くのは保身の為だったんだ。
それなのに。
一緒に過ごすのにどこまでなら許されてどこから先がだめなのか。
何をすれば受け入れられてどうすれば嫌われないのか。……なんて、心の奥でそんな事を考える自分に嫌気が差す。
だって矛盾してる。
関係を深めたくないならそんな事考える必要ないのに、私はあのふたりに受け入れられたいと思ってる。
最低だ。私は一体どうしたいんだろう。自分でもそう思ってしまう。
ふたりとも勘が悪そうではないから、私の持つ矛盾にも、薄々は気付いているんじゃないかと思うけど。
――言いたくなければ、言わなくてもいい。大丈夫な所まででいい。無理強いはしない
――誠意を以て対してくれる人間にはこちらも誠意を以て対したい。無下にはしない
きっと言いたい事も問い質したい事も沢山あるだろうに、ふたりはそう言って私が引いた線のぎりぎりの所で手を伸ばしてくれた。
それにこんな風に私を見て、付き合ってくれる人たちだったら。
歴史上の人物だから、関わり過ぎて歴史を変えてしまう可能性があるから、必要以上にふたりの事情に踏み込まない、私の中に踏み込ませない……のではなくて、ひとりの人間として、「如月さつき」としてふたりと付き合いたいって思う事は、きっと間違ってない。
話せない事は確かにあるけど、でもこれだけ歩み寄ってくれているのに、保身という理由でふたりの手を振り払うのは恩知らずではなくて人でなしのする事だと思う。
いつ元の世界に帰れるのかは分からないけど……
でも、いつか来るのだろうその時に、何の掛け値なく「楽しかった」「居なくなるのが残念だ」とふたりに思って貰えるように、私も「ありがとう楽しかった」「帰るのが残念」って言えるように、伸ばされた手をもう少しきつく握ってみてもいいかと思う。
焦点をまちへと合わせて、もう一度流れていく風景を眺めた。
現代の東京と違って小綺麗とは到底言いがたい。でもすごく活気があってビビッドなまちだ。
(この世界で生きてるんだな)
あのふたりも、今自分とすれ違う人たちも、今の自分も。
今まで殆ど出歩いた事のないまちだったけれど、少しだけ愛着が湧いた。
100824
step by step:少しずつ歩み寄りましょう
書いてる途中で思った以上に深刻になった。さつきちゃんが馬車と言ってるのは鉄道馬車の事です