15:marvelous bond




「さつきさん、カトラリーの使い方が上手いなあ」
「普通じゃない?」

いや普通じゃないだろう。
洋食が普及してきているとはいえカトラリーを使い慣れる程使っている人間は決して多くない。
食事中のさつきのマナーは洗練されているとは言い難かったが、それでもいかにもテーブルでの食事に慣れていますといった様子に広瀬はさつきと出会ってから何十回目かの「不思議な子だなあ」を心に浮かべてしまう。

「あれ、これ砂糖も入ってる」
さつきはそんな広瀬の心情は全くお構いなしで、「甘過ぎる」と食後のコーヒーに小さく不満を零した。
「そういうもんだろう」
「いやいやコーヒーはブラックだろう」
笑って秋山の口ぶりを真似ながら、ソーサーにカップを戻しスプーンはその奥へ。
淀みない動きだと思うに重ねて、コーヒーの好き嫌いを主張する程には飲み慣れているのかと思う。




待合せ場所での騒ぎの後は三人で連れ立って歩いた。
人の間を泳ぐように進みながらついて来ているかと振り返ると、秋山がさつきと腕を組んで笑いながら歩いていた。

お前らは西洋人か。
日本人の男女が往来でする事じゃないぞ、それは。

そう思いはするものの違和感がないのは照れもせず堂々としているからだろう。
不思議だ。そうしているのが普通に見える。

速度を落としそれとなく観察すると、楽しそうでいい空気が流れている。
家にいる時とはまた随分違う雰囲気になるもんだなと広瀬は口角を上げた。
元々さつきの方が背が高いのだが、よく見ると秋山との身長差は何故かいつもより広がっている。
ああアレか。履いている靴のせいか。
ふたりともが小綺麗な洋服を着ているだけに、その差が何だか哀れな感じだ。酷くちぐはぐだった。
(…ふっ)
秋山には悪いと思いつつ吹き出しそうになったのを我慢したのだが。それに気付いた秋山が途端にむっとしたのでやっぱり笑ってしまった。


今日の目的はノートだけだ。
明日は休みだから時間の心配もないし、男ふたりはさつきに合わせてぶらぶら歩くだけ。
その間、秋山と歩いていた筈のさつきがいきなり広瀬の腕を取って歩いたり、こちらが「え、そんな事で?」と思うような事で声をあげて感心したり笑ったり、今までと比べると目まぐるしい表情の変化だった。
こんなに表情豊かな女だったのかと改めて思ってしまう。

最近では三人の間にあった隔てが良い意味で薄れてきていたが、三人で話したあの夜からは急速にその距離が縮まったように広瀬は思う。
以前のさつきは打ち解けてはいても、どこかで酷く遠慮していた。
よく笑ってはいたけれど、今のような表情の変え方や、心底楽しそうな笑い方はあまり見た覚えが無い。

(無理にでも話す機会を作って良かった)

そう思った。

それに加えて「時間がない」という言い訳でさつきを家に閉じ込め過ぎたのかもしれない。
広瀬の腕を引っ張りながらうきうきと隣を歩くさつきを見下ろすと、知らず後悔を込めた溜息が漏れた。

「大丈夫?疲れた?」
さつきが広瀬を伺うように覗きこむ。
「いや……さつきさん楽しいか?」
「もちろん!連れて来てくれてありがとね」

肯定と共に返された弾けるような笑顔に、逆隣にいた秋山も小さく息を飲んだのが伝わる。
もっと早く連れてこれば良かったと思ったのは、きっと自分だけではない筈だ。


休憩がてら甘味屋に入っては話し歩きながら話し、予約していた洋食屋でまた話して、半日とはいえこんなに笑いながら話したのは久しぶりだった。
毎日顔を合わせて今日は長い時間一緒にいるのに、まだ話す事があるというのもすごい。
裏返せば今までこうしたコミュニケーションが足りなさ過ぎたのかもしれない。

この前の夜、感じている事を伝えなければさつきはきっと出されたコーヒーを文句ひとつ言わずに飲み干しただろう。
そもそも今一緒に出かけるような事も無かった筈で、こんな時間を共有する事も無かった筈だ。
そう思うと広瀬はあの時の自分を褒めてやりたい気持ちで一杯になる。

良かった。
月並みな感想しか出ないのが恨めしいが、それが本心だった。
今日は反省と後悔とさつきを連れ出して良かった、そんな事ばかりぐるぐる思っている気がする。

「コーヒーをもう一杯頼みたいのだが。ああ砂糖とミルクは入れないでくれ」
広瀬が頼む前に秋山が給仕に頼んでしまい、ぱちりと目があった同僚と思わず苦笑いが重なる。
(考える事はお前も同じか)
(どうせ広瀬も頼むつもりだったのだろう?)
多分、今日は秋山も反省と後悔と、あまり見た事のないさつきの姿に対する驚きで一杯の筈だ。

「やった、あっきー大好き」

秋山が噎せた。うん。普通は女の人はそんな事は言わない。それでもここまで素直に喜ばれると誘った身としては嬉しいものがあるのは確かだ。
しかしそんなに喜ぶ事だろうか?

「だってコーヒーなんて一日何回も飲んでたのに、ここじゃ無理だし」
「さつきさんの所ではコーヒーはそんなに一般的なのか?」

聞いてみるとコーヒーだけの話ではないようで、それならばさつきの様子にも合点がいく。
しかし西洋慣れしているのはさつきに限らず社会全体に言える事だなんて、すごい世界だ。


「そう言えばさつき、ノートは子供に話をする為に使うんだろう?どんな話なんだ?」

秋山の質問にさつきが真新しいノートを取り出すと、上部に『指輪物語』と記しさらさらと人物関係図を書き始めた。出てくる人物は全て外国の名前だ。どこの国の話だろう。

「それは内緒。ごめんね」

そう言って、台詞を入れながらストーリーを掻い摘んで語っていく。
それは色々な種族の代表が集まって仲間となり、絆を深めたり決裂したりしながら自分たちの世界を守る為にある指輪を捨てる旅に出るという話だった。

「登場人物が多いね」
「うん。名前もややこしいし話も結構複雑。でも話すからには私がドキドキしたり感動した事が聞いている子たちにも伝わればって思う。とても好きな物語だから」
「そうか」
「うん。この、ね」

ある人物名をぐるぐると何度か丸で囲んで、
「人間の代表、執政官の息子。国と民と家族を愛する迷いの多い誇り高い人。大好きなの。彼が旅の仲間の中で唯一脱落する。それがこの後の物語に様々な影を落とす事になる」

彼の死を切欠として仲間は離散し、連れ去られたホビット、彼らを探しに行く王の末裔、エルフ、ドワーフに別れてまたそれぞれに新しい物語が紡がれていく。

さつきは少し興奮気味だった。話しながら所々に挟まる登場人物の台詞に感情が入り込むのか、声を上げたり潜めたりしながら、滔々と物語を進めていく。掻い摘んでとはいうものの話し方が上手い。
そういえば話を聞く子供が増えたとか、勉強よりこちらの方がメインになりつつあると言っていた。

分かる気がする。掻い摘んでがこれなら、普通に話を進めたらどうなるのだろう。
宿題そっちのけで聞きたいと思う気持ちはよく分かる。それにこんなに熱心に話をするさつきの姿を見るのは多分初めてだ。

「――で、ここで一部完ね」
「一部?何部まであるんだ。随分長い話だな」
「確かにこれなら何か書く物は欲しいな。さつきさん、どこまで話したの?固有名詞だけでも……これだと大変だな」
「全部で三部。今は一部の折り返し地点だよ。話は適当に端折ってるけど、あの子たち結構しっかり覚えてるし、ちゃんと辻褄合うようにしないと。話す前に頭の中で組み立てるのはもうそろそろ限界」

隣に座る秋山が笑いながら身を乗り出し、ノートを覗き込んで指を差しながらあれこれと聞き始めた。

広瀬は組んでいた足を組み替えると、テーブルに頬杖をついてふたりを見つめた。
今までの広瀬の中における女の分類は家族親類、知人の家族妻女、その他の大雑把に三つになる。
その枠に当て嵌めればさつきは「その他」になる筈だが。

(……違うよな)

「その他」に分類するほど浅い関わりではなくなっている。
そうするには彼女と関わり過ぎているし、好意を持ち過ぎている。「知人の家族」という分類には当てはまらないし、「家族」とはまた異なる情があるような気がする。
それにさつきは今まで広瀬が関ってきた女性とは全く違う部類で、自分の中で彼女がどういう位置付けなのか、実は自身でもいまいち把握しきれていない。

流石に女性だなと感じる事は多いが、さつきは広瀬が思う日本人女性像とは程遠い。
女性ってもっと……ああだろうし、こうだろう。
いやに男らしいと感じる時もあるし、今だって娯楽の話とはいえ秋山相手に怖じ気付く事もなく、対等にはっきりと受け答えをしている。
アドバイスくれだとか、変だと思う所は指摘しろと言ってメモを取っている。
まるで仕事のようだ。

知っている、この雰囲気。
既視感がある。まるで部内の上司同僚や西洋人と対しているような……
――ああそうか。物事の進め方や発想が西洋に近いのか。

(ああ、)

そこで空いていた隙間にぱちんとピースが嵌る音がした。身のこなしやマナーだけでなく合理的な考え方や物事の進め方など、自分たちが海軍で叩き込まれた事を完璧ではないにしろごく自然に行っている。一般女性が。
彼女を見て不思議さを感じ続けていたのは、ここだったのかもしれない。

さつきは秋山と自分のふたりで守ってやらないといけない女性だ。
だがそれと同時に彼女は海軍の同僚たちと似たような――一部かもしれないが自分たちと同じ世界を共有する同類の人間なのだ。
そういう意味ではさつきは女だが、広瀬にとってはある意味で男に近い存在でもある。
今までの交際範囲にはいなかったニュートラルな存在だ。
さつきに対する気安さはそこから生まれて来ているのかもしれない。

――家族っていうのも妙だが親友というか悪友というか……まぁそうだな、いい相棒位にはなりたいと思うが

さつきに向かってそう言った秋山は、聡い男だからとっくにその事に気がついていたのだろう。

(友人とか相棒か……)

今まで頭に浮かんだ事のない異性との関係だった。
それでもノートにかつかつ爪を打ち付けながらまだ半ば言い争うように話しているさつきと秋山を見るとそれも悪くないと思うし、そうとしか形容ができない気がして広瀬はうっすらと笑った。

「……ん?」
「ぼんやりして、どうした広瀬」
「あ、えっと、ごめん、つまらない?」
「いや、楽しいよ」
「え〜ホントに?ぼんやりしてたみたいだけどちゃんと話聞いてた?」
「The Breaking of the Fellowship(一行の離散)だろう?」
「本当にちゃんと聞いてたんだね、びっくり……孫を見るおじいちゃんみたいな目でこっち見てたから焦ったよ」
「は?えええ……」
「ぶふっ」
「あっは、あははは、ごめんごめんわざと!」
「……」
「わざとかよ。タチ悪いなさつき。いつもながら」
「ちょ、どーゆー事かしらあっきーうふふ」
「お前のそーゆーとこがだよ」
「ふっ」

広瀬も声を上げて笑った。
男友達と交すような遠慮のない、何気ない会話で何気ない軽口だ。
それに全く女らしからぬ物言いや笑い方をするさつきと、それが自然過ぎて咎める気も起らない自分と秋山。
非常識で非日常な日々がいつのまにか日常になっている。

この生活は長くは続けられない。それは確定に近い事項だ。それでも。
(……楽しい。三人でいるのが)
分かっていてもこの日々を手放すのが惜しいと思い始めている自分がいる。
心の距離が間違いなく縮まっている事が分かるから、余計に。



110205
marvelous bond : 不思議な関係

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