「ふ〜ん。……家に若い女連れ込んでる……とか?」
海軍省でふたりが持って来ていた弁当を指で摘んで、冗談でカマかけた一言。
しかしそれが冗談ではすまされない位あの時のふたりの空気は変わった。
その時は何も言わなかったものの、財部は横須賀に戻る汽車の中で考えれば考えるほど若い女が近くにいる事、厄介事を抱え込んでいるとしか思えなくなった。
「面倒に巻き込まれてんじゃねえよ」
溜息と一緒にそう吐き捨てたくもなる。
財部の勤務先は横須賀ではあるが、何かにつけ上京する所要があった。
それで本省に用事がある際、また講道館に顔を出した際にそれとなく広瀬と秋山の様子を周囲に聞いてみるのだが、意外にも弁当の事以外これっぽっちの話題も出てはこなかったのだった。
ふたりは家の話を外では全くしていない。
一体どれだけ気をつけているというのか。
(どれだけ知られたくないんだ)
ここまで徹底されていると却って知られると不都合な何かがあるとしか思えなかった。
それに調べるほどに何も分からないという事実が分かるだけで不可解さのみが募り、それに比例して財部の口元から落ちる吐息も大きくなる。
「あいつら自分の立場を分かっているのか」
そしてそう思うと腹立ちもまた膨らんだ。
数ヶ月先には海外留学。そういう話をされている筈だ。
それを思うと、財部はふたり、特に同期の事を思うと焦らずにはいられなかった。
やっと掴んだチャンスじゃないか。それをフイにするつもりか、広瀬。
大事な時期の筈なのにややこしい事に関わっていていい訳がない。
こそこそ調べるより直接聞くか。埒が明かない。
そう思ったのは調べ始めてからすぐだった。
一度上京の機会をとらえて麻布に向かったものの家は留守だった。土曜の午後だ。
(出掛けているのか)
連絡をして来た訳ではない。仕方ないとあっさりと諦め銀座に向かった。
そこで入った本屋で偶然同期の竹下勇と鉢合わせ、久しぶりに会ったのだからと夕飯を共にする事になったのだった。
「広瀬?いや……最近会ってない。行き違いが多くてね。それがどうかした?」
「いや、何でも」
もしかしたら竹下には何かと思ったのだが、それも空振り。
何処までも空振りが続くなと己の不運を呪いながら店を出、今から横須賀に帰る?ふざけるな俺の家に泊っていけと勧める竹下に従い連れ立って街を歩いていた時、人波の向こうをある三人が何やら賑やかに話しながら歩いていた。
間に挟まっている人間は知らない。
だがその両脇にいる後ろ姿は財部がよく知っているものだった。
もしかして。そう思った。
声を掛けるか迷う。いや、今は竹下がいる。でも竹下なら。
「財部?」
「あ?ああ」
隣からの声にツレを振り返り、ハッとして視線を戻したが三人の姿はもう見つからなかった。
「知っている人でもいた?」
「……、いや」
「変な奴だな。何?」
財部の肩に腕をかけると、「悩みなら聞いてやるよ」、と竹下がくすりと笑う。
(話したい)
話して竹下がどう思うかを聞いてみたい。しかし。
「……いずれ話す。だからもう少し待ってくれるか」
何も分かっていない状況の今、話して相談できる事は何もなかった。
「ん?そーか。なら良いけど。『剛毅』の財部がさ、元気なさそうだったら気になるじゃん」
最近悩み解決したばかりなのに。あの時だって大変だっただろう。
で、今はごんべさんと上手くやれそうなの?
そうこちらを伺ってくる同期。
当たらずとも広瀬絡みの話に財部は内心舌を捲いてしまう。
財部の縁談について広瀬と同期の向井弥一が海軍省軍務局長山本権兵衛に物言いをした事を竹下もよく知っているのだ。
「まだ時間早いな。明日も休みだし……帰る前にもう一軒行こうか」
知ってか知らずかこの男も妙に鋭い。
思わず漏らした苦笑をどう受け取ったのか竹下は行き先を変更した。
これで会えなかったら本省で広瀬を捕まえて聞こう。
そう思い後日、再度麻布を訪ねたもののやはり家は留守で。仕方ないと新橋停車場に向かおうとした矢先だ。
ある店で特徴のある頭を見つけた。髪が茶色い。
(外人か)
そこは町の普段使いの茶屋だった。こんな所で外国人を見るのは珍しい。
気安い様子で店の人間と言葉をやりとりしている後ろ姿。財部は抱いた違和感に暫く釘付けになる。
(……女?)
葉書を指差しながら話している時ふと見えた横顔にピンときた。
――見つけた。
服装は男だがあれは明らかに女だ。
あの時は暗くて髪の色までは見えなかったが、銀座で見た人物に違いない。
店の外から見えた両肘をついて湯飲みを持つ姿。
いつもならそのような姿を見ても行儀が悪い女だなと笑って終わらせるだけだ。
しかしこの時ばかりはあいつらは茶も満足に飲めないような人間を家に囲っているのかと棘を含んだ言葉が胸に落ちた。
話し掛ければ女は驚いた顔でこちらを凝視していた。
しかしそれも束の間、我ながら不自然な質問を浴びせてしまい、女は訝しさを隠そうともせずにこちらに対してくる。
近くで見れば髪色と服装は日本人女性のそれではないのに、顔立ちは日本人。
英語で聞けば英語が返ってくる。一体どういう人間なのだろう。
得体が知れないと思うだに「面倒な事に巻き込まれて」という苛立ちが言葉に少しずつ紛れて零れる。
"Is that so? By the way, where are you from?"
そして広瀬や秋山の事を抜きにしても、また財部でなくとも出自を聞きたくなるというものだ。
しかしそれを問えば、どこが引っ掛かったのか見て分かるほどに女の顔色が消えて行った。
席を外そうとしたので反射的に腕を掴んでしまい、すると手を叩き落される。
そんなつもりはなかったのだが店はちょっとした騒ぎになってしまい、注目が反れた隙に財部はそっと店を後にしたのだった。
麻布の広瀬らの借家、その玄関先で在不在の確認をした時、奥から聞こえた返事に三度目の正直、やっとか、と財部は息を吐いた。
応対に出てきたのはあの女だ。その姿を認めて眉を顰めた途端、開き掛けた引戸がすぐに閉まりそうになる。
咄嗟に足を挟み強引に戸をこじ開ければ、先日と同様に随分と怖がらせてしまったようで、女は上り框にへたり込んでしまった。
「すまない、大丈夫か。……いや、Are you alright?...Don't be so afraid. I am Captain Takeshi Takarabe, Hirose and Akiyama's colleague.」
「財部さん……広瀬さんの、大親友=c…」
軽く自己紹介をすれば、広瀬から話を聞いていたのか、思わずと言った風に女の唇から言葉が零れ落ちた。
日本語。
そして如月さつきと名乗った女は図らずも日本人だった。
不審な所はあるがそれならば話は早い。
知りたいのは何が目的なのか。つまりは。
「どちらが目当てだ」
そう問えば女はキョトンとした表情で小首を傾げた。
本当に覚えがないのか、単にカマトトぶっているだけなのか……
その様子に財部は小さく舌打ちした。苛々する。
語気が鋭くなるのを抑えるように丁寧な言葉に切り替える。
「如月さん、広瀬と秋山が海軍なのは知っていますね。あいつらが今どういう立場にいるのかは?」
「立場?いえ、そこまでは……」
嘘ではないらしい。
ただ一緒に住みながらあのふたりの職務を知らないという事実に、財部は違和感と若干の驚きを禁じ得なかった。
海外留学生は一年後には海外駐在員になり、さらに公使館付駐在武官へと繋がる可能性がある。
そしてそれは本省の枢要部に入るルートのひとつ、言わばエリートコースのひとつなのだ。
可能性のある士官とくっつけば、それなりの生活を送れる確率も増える。
(どちらかとの結婚が目的ではないのか?)
財部だって首を傾げたくなった。
どうやってふたりの事情を知ったのかは分からないが、性別が分かった時点で財部はそれがさつきの目的だと思っていたのだから。
「あいつらは今エリートコースに乗り掛っています」
「そう、なんですか」
「秋山はあの聡明さで、広瀬は積み重ねた努力でそれを掴みかけている。大事な時期なんだ。邪魔しないで欲しい」
「…………」
「率直に聞きます。貴方はあのふたりのどちらかとの結婚を考えているのか?」
「えっ?」
本当に驚いたようで、バッと音がしそうなほどの勢いで俯いていたさつきの顔が上がった。
「……何言って……あのふたり、独身主義ですよ……?」
「知っています。あのふたりではなくて、貴方は、」
「私はただの居候で、結婚なんて」
「そんな言い訳は世間では通用しない。未婚の男女が三人で同居しているなんて不自然だ。その位分かるだろう?それに貴方は不審だ。一見して日本人の姿とも思えない、出自を問われても話せない。海軍軍人の結婚には当局(うえ)の許可がいる。素性のはっきりしない者と結ばれる事は許されない」
「以前俺がこの家に来た時、貴方はまだいなかった。どこであいつらの話を聞いてどう転がり込んできたのかは知らないが……」
迷惑なんだ。
そう言おうとした時、さつきの顔が酷く歪んだのを目の当たりにして、財部は口を閉ざしてしまった。
話もさせず、話も聞かず、事情も知らずにこちらの都合を一方的に押し付けているという自覚は財部にもある。
さつきにすれば酷い話で、酷い内容だろう。
ギシリと良心が軋む一方でしかし僅かな嗜虐心が満たされる。苛ついているからかもしれない。
白黒のマーブル模様のように入り混じる気持ちに内心複雑になりながら双眸を閉じると一度息を吐いて、財部はさつきを見つめ直した。
「海外留学の辞令が下りる前に、変な噂を立てられたくないんだ」
「……海外留学……?」
くぐもった声にそれさえ知らなかったのかと驚いた。
ここまで来るといっそ気の毒な気がする。
「俺は広瀬には恩がある。縁談絡みの一生に関わる話でだ。だからあいつに何かあれば助けになりたいと思っている。如月さん、今回の留学の話は広瀬の将来を左右するかもしれない問題なんだ。こんな事で潰したくない。あいつのチャンスをフイにする可能性のある芽は、俺はどんなに小さくても摘んでおきたい」
直視していられないのか、さつきは財部の話を聞きながら机のある一点をぼんやりと眺めていた。
「ここの事は忘れて、貴方は実家に帰って欲しい」
「実家……」
「――頼む、困らせないでくれ」
向けられた顔からは表情が抜け落ちていて、その上に畳み掛けるように反論を許さない言葉を被せた自分は酷い男かもしれない。財部はそう思った。
11002(1102081)
turbulence: 乱気流 財部君に玉の輿狙いだと思われていた