「いってらっしゃい」
手を振ると秋山さんは少し安心したように笑って広瀬さんの後を追った。
角を曲がったのを見送って家に戻り、施錠すると作り笑顔が引っ込む。
ものすごく心配されている。
そうだよね不自然だよね。
だって財部さんと会ってから私はふたりの顔をまともに見られなくなった。
今まで目を見て話していたのに、いきなりそんな事になったら誰だって心配する。
でも笑えば顔は引き攣るし、広瀬さんも秋山さんも頻りに様子を伺ってくるから余計に俯いてしまう。
ふたりは何があったのかを知りたがっている。でも。
例の人に会いました。
貴方がたの同僚で友人の財部さんでした?
まさか話せる訳がない。
しかも財部さんが言っていた事は正論だ。私があの人の立場でもああ言っただろう。
「………」
畳の上でゴロゴロしながらあの日の事を思う。
(実家に帰れって言われてもなあ)
帰れるものならとっくに帰ってる。どうにかできるなら自分の力でとっくに何とかしてる。
それに。
――海外留学の辞令が下りる前に、変な噂を立てられたくないんだ
海外留学……
勉強する姿まで見てたのに、なんで思い出さなかったんだろう。
広瀬さん、確かロシアに何年かいて社交界ですごく人気がある士官だったって読んだ記憶がある。
秋山さんはアメリカだっけ、イギリスだっけ。確か英語圏だった。そっか。それ今年なんだ。
だからって、どうすればいいんだろう。
(誰かに相談したい。話聞いて欲しい……)
そう思い鞄から取り出したスマホを握りしめる。
これは今まで流石に自分の部屋から持ち出せなかった。
手帳型のスマホケースを開いて嘆息する。
「やっぱりバッテリー減ってない」
そうだ。
いつもは一日、二日で無くなるスマホのバッテリー残量は、こちらに来てからいつまでたっても満タンで一向に減る様子がなかった。
「なんでだろう」
明治に来た事と何か関係あるのかな。
よく分からないけどでも原因はそれ位しか思い浮かばない。
「この残量が減り始めたら帰れるのかな……?」
メールもメッセージアプリの連絡も事故に遭った日が最後。
電話も事故に遭った日職場にかけたのが最後。
「…………」
画面を操作して実家、友人、職場の番号に合わせてはタップする。
それは自分の部屋で今まで何度となく繰り返した動作だった。
でもどこにも繋がらない。当たり前だけど電波を示すマークだって表示されていないのだから掛かる筈なんてない。
お前はここでひとりなんだと言われているようで更に気分が沈んだ。
「……ご……んく……い…………ごめんください」
目を閉じて暫く。
意識が沈んでいくのに任せていたのだけれど、玄関先から飛び込んできた声で覚醒した。
「お客さん」
誰か来ても出なくていい。いや、出るな。そう言われていたのに私は全く忘れていた。
玄関を開けて迎えたのは若い女性と小さな女の子。親子かな。
「お初にお目にかかります」
丁寧な挨拶と同時に頭を下げられ、私も頭を下げる。
どちら様でしょうか、そう尋ねようとすると女の子と目が合った。
かわいいいな。三つか四つ位。小さく笑うと恥ずかしがってお母さんの後ろに隠れてしまう。
不意にコホンと咳払いがして視線を上げれば、女性が口を開いた。
「義弟がお世話になっております。広瀬武夫の義姉でございます」
広瀬さんは鬼門なんだろうか。
「粗茶ですが」
「どうかお構いなく」
何日か前にも似たような事があったなと思いながらお茶を出す。
今日は平日だし、義姉というのなら広瀬さんが普通に出勤しているのは知っているだろう。
そうだとするとこの人の目的もきっと私だ。全くもって嫌な予感しかしない。
「寒いですか」
「い、いえ」
体が小刻みに震えていて、腕をさすっていた事に気が付かなかった。
「お伺い致しますが、貴方、如月さんと仰ったかしら、この家のお手伝いをなさっているのかしら。住み込んでらっしゃるのよね?」
「……はい。そうです」
そう、そうなの。それは困ったわ……
そう片頬に手を軽く添えて俯かれると、こちらが何か悪い事をしているような気にさせられて酷く居心地が悪い。
この家に来るまでに、財部さんと同じようにある程度の様子は調べて知っているのだろうに。
言いたい事があるのなら溜めないで言って欲しい。
でも用件なんて。
今のこの人の一言で明確だった。要するに……
(財部さんとおんなじ……)
ああもう無理だなあ、ここにいるの。
何の疑問もなく、ストンとその気持ちが胸に落ちた。
お世話になっている人の大切な人たちにこんなに心配させて、私何やってるんだろう。
甘え過ぎ。頼り過ぎ。
そう言われている気がした。
「……そうだよね……」
「何か?」
この人もじわじわ絞め殺していくようなやり方より一気に突き落としてくれたらいいのに。
今なら何言われても結構平気な気がする。
「いえ何も。はっきり仰って下さい。私がいると都合が悪いって。邪魔なんですよね?出ていけってそういう事ですよね」
普通に笑って言ったから驚いたのか、広瀬さんは無言だ。
でも無言は肯定でもあるんだよ。
「武夫がお昼にお弁当を持参していると夫の来客より伺いました。独身主義だなんて言っておりますから心配していたのですが、ついに好い人でも見つけたのかと……」
「住み込みで貴方のような若い方がおられたのは……意外でしたけれど、なら尚の事いい機会ですわ」
みなまで聞かなくてもよく分かる。
この人は男だけの家に平気で住んじゃうような女じゃなくて、きちんとした、素性のはっきりしたお嬢さんの写真を用意したいんだ。
分かるよ。それが普通だ。
(広瀬さん大事にされてるじゃん。あんまり家族に心配掛けちゃだめだよ。……それは秋山さんも一緒だろうな……)
それにこの言い草だと結局のところ私が玉の輿狙ってるとか春を鬻ぐような女だって、それと同等の女だってこの人からも財部さんからも思われてるって事か。
私が余計な心配掛けさせてるんだよね。変な女に引っ掛かってるんじゃないかって。
ホント、私なにやってるんだろう。
ふっと不意に漏れた嗤いに広瀬さんのお義姉さんがぎょっとした。
そりゃびっくりするか。笑う場面じゃない。
「出ていきます」
「……え?」
「流石に今は無理ですけどすぐにでも。義弟さんにもご親友にもご迷惑はお掛けしませんのでご心配なさらないで下さい」
口からは正に立て板に水の如くさらーっと言葉が流れ落ちる。
「すぐにって貴方……ご実家は近いの?東京?そう言えば訛りが無いようだけど」
「実家……?」
思わず笑った。
「そんな事、出て行きさえすれば、……広瀬さんには何の関係もない事じゃないですか」
それ以外にできる事があるなら教えて欲しい。
玄関での送り際、土間に立つ女の子に指を引っ張られた。
「おねえちゃん」
そう言えば名前すら聞いてないな。そんな事を思いながら、しゃがみ込んで目線を合わせる。
「だいじょうぶ?おなかいたい?」
「……え?痛くないよ?大丈夫」
そして広げた掌にちょんと乗せられる飴玉。
「これあげるから、なかないで」
「え……、っと……」
泣かないで?
いきなり頭をよしよしされて戸惑う。お母さんも慌てて止めようとしてたけど……
「このあいだおじさんからもらったあめ。おいしいよ。げんきでるよ」
「そっか。……ね、おじさんの事好き?」
女の子は大きく笑った。返事なんて聞かなくても分かる。
「大切にしてあげてね……」
「……馨子、失礼しますよ」
「またね」
バイバイと手を振りながら帰っていく姿にもう会う事はないだろうと思いながら手を振りかえす。
「はは……」
一体なんなんだろう、これ……
自室に戻るとそのままへたり込んでしまった。
床に放り出したままのスマホを拾い上げる。
何回リダイアルしても繋がらない。振りかぶって壁に、……ぶつけたかったけど、できなかった。
「は、情けなー……」
ひとりで住んでいた時はこんなんじゃなかった。もっと色んな事をひとりで解決していた。
それなのに。
元の世界が恋しくなってシステム手帳を開ける。そこそこびっしりだったスケジュールはある時から真っ白になっていて、余計に寂しくなるだけだった。
「……見るんじゃなかった」
嫌になる。
パタンと音を立てて手帳を閉じようとした拍子に、ページの間からはらっと一枚の葉書が滑り落ちた。
「あれ?これ、……」
畳に落ちたままのそれを凝視する。
その葉書を引っ掴んで鞄から財布とスマホを出すとポケットに突っ込み、立ち上がった。
11022012912
by surprise:思わぬ所からの
春江さん憎まれ役でごめんなさい。実在の人物を悪く描きたくないのだけどどうしようもなかった…