26:blind




流石に表から入るのは憚られて声を掛けて勝手口を開ける。
「あら竹下さん、……とそちらは?」
この格好だ。
応対に出て来た女将が随分驚いた顔で首を傾げた。

ここは懇意にしていて仲間で飯も食いに来る、酒も飲みに来る使い勝手のいい待合茶屋だった。
よく使うから女将ともそこそこの付き合いがある。
それにこの稼業の人間は口が固い事でも知られているから、さつきを連れてくるにはうってつけだった。

「知り合いのお嬢さん。さつきちゃん」
「ずぶ濡れじゃないの」

竹下とさつきの格好を見るなり人を呼び、持って来させた手拭いを竹下に手渡すと早く上にあがれと促してくれた。
店の女に引かれるようにさつきが連れて行かれるのを横目に見ながら、竹下は一応一番危ないところは脱したのかな、と胸の奥で嘆息する。

「女将、いきなりで悪いがいくつか頼みたい事があって。あの子を風呂に入れてやってほしい。あと手紙を書きたい。届けてほしい所があるんだが、人を貸してもらっていいだろうか」

突然の申し出に女将は若干きょとんとして竹下を見つめた。
「高くつくよ」
しかし細かい事は聞かず、おどけたように了承してくれた。
「あの子もだけどね、竹下さん、貴方も着替えておいで。うちの子に言って着物出させておくから」
ありがたい申し出だった。



着替えた後、通された部屋で落ち着いて出された茶に口を付ける。
いつもならさつきを連れて行った若い女がそういう事をしてくれているのだが、今日ばかりは女将が茶を運んで来た。
訳ありと思われても仕方ない。
面倒事に巻き込んでしまっているのは確かだし、完全黙秘という訳にもいかないだろう。

と言っても、竹下は彼女については広瀬から容貌と性格の片鱗を聞いているにすぎない。
どこまで話していいのかも分からない為自然と口数が減った所で、ぽつりと女将が切り出した。

「竹下さん、あの子貴方の恋人か何か?」
「えー……」
「……ってからかいたい所だけど」

どういう素性の子?そう問われて竹下は僅かに、しかし困ったように微笑した。答えられなかった。何よりも詳しい話は知らないのだから仕方ない。

「良いとこのお嬢さんか、そっちの人か……まさか遊廓から抜けてきたなんて事……」
「いや!それはない。事情があって……あんなナリだけど普通の子だよ」

多分、という言葉は喉元で止めた。それよりも遊廓?何故そんな発想になるのだろう。

「なんでって。さっき風呂場の様子を見て来たけどね、色が白くてよく手入れされているし手足も殆ど荒れてないし」
あれはそこそこ地位の高い体のお商売か傅かれる立場かのどちらかだ。そこらへんにいる一般人とは考えにくい。
その言葉を聞いて、竹下は少し驚いたように「そうなの?」と返してしまった。男では流石にそんな所までは気が付かない。

「そうなのって竹下さん、貴方知り合いじゃないの?顔つきを見れば日本人のようだけど随分変わった風貌だし、まさか見世物小屋にいたとかそういう」
「のじゃないから。あの子は広瀬の関係者」
そう続ければ、思わぬ人名だったのか女将は余計に眉間に皺を寄せた。

(広瀬だと余計に怪しいか)
だってあの広瀬だし。

「警察に御用になりそうとかそんな事は」
「それは(多分)大丈夫。歩いていて変なのに捕まったみたいでな、女衒か何かに売られそうな雰囲気になっていたのを俺が……」

「え、あの子泣いてるのってそれで?服も破れて泥だらけだし……酷い目に遭わされたの?」

突然割って入った声に竹下と女将が振り返る。
先程さつきを風呂に連れて行った女だった。それよりも、泣いている?

「布団で丸まって……風呂に入れたら濡れた服着て出ていこうとするから無理矢理寝巻着せて部屋に押し込んだのだけど。様子がおかしいから知らせに」
促されてさつきがいる部屋の前に立てば、奥からは確かに啜り泣くような声が聞こえる。
「入るよ」
小さく声を掛けて足を踏み入れるとこちらを向いていた背中が震えた。

「さつきちゃん、大丈夫。誰も危害なんて加えないから」
「お願い私の服返して。迷惑掛けない、出て行くから」

出て行くってどこにだよ。
そう心の中で突っ込んだものの、起き上がろうとするさつきの様子が酷く緩慢であったのを見て竹下は首を傾げた。

「ちょっとごめん」
そう断って額に指の背を当てる。
(熱が出ている。雨でずぶ濡れだったしな)
それにここに来るまでのやり取りから察して、竹下はさつきに圧し掛かった負担を想像せざるを得なかった。

ずっと「迷惑掛けない」「消える」「出て行く」を繰り返している。
何があったのか詳細までは分からないが、面と向かって酷い言葉で殴られたのだろう。
彼女は女だ。
年頃の女が男だけの中で暮らしていれば事情を知らない人間からどう言われるか、どう思われるかなんて簡単に想像できる。

それにこの日本人とはややかけ離れた容貌だ。
色々な事が積み重なり、大きな心因的負荷があったのではないかと思う。
雨に打たれた事で疲れが一気に出てきたのかもしれない。まだ熱が上がるかもしれないし……
「医者を」
呼んだ方がいい。

「止めて、呼ばないで」
胸中での呟きのつもりだったが声に出ていたようで、突然袖を掴まれ竹下は思わずのけ反った。
「呼ばないでって……」
「出てくから服」
「諦めな」

肩を押さえつけるようにしてさつきを寝かせ、抵抗する力がなさそうなのをいい事に掛け布団まで掛けてやった。
「いい?今は寝る事。後はそれからにしよう」
言い聞かせるようにすれば、案外素直に瞳を閉じたのにホッとした。

「……竹下さんごめんなさい、私貴方の事知ってる……広瀬さんから聞いてた」
「そう?」
「これ」
布団の下から差し出されたものを受け取れば、それは竹下が取り返してやったネックレスだった。

「ダイヤ。これお金になるの?」
「ダイヤって」
そんな高価なもの……

「高価なんだ。ならまだ家の鞄にダイヤのピアスがあるから……広瀬さんと秋山さんに伝えて下さい。少ないかもしれないけどお礼ですって」
「もういいから黙って。目を閉じて」
「お願い、ごめんなさいって、」
「……分かったから」

竹下の返事に安心したのかどうか、そのままさつきは寝入ってしまった。

「ごめんね」
(もう呼んじゃったよ)

今の言い草だと彼女は同居人たちとはもう本当に会うつもりはなかったのだろう。
しかしあと小一時間もすれば広瀬たちはここに着く。さつきを探して行き違っていなければの話だが。

彼女は今こんな状態で彼らに会いたくないだろうが、竹下の立場からすれば広瀬たちに会わせざるを得ない。
嫌な役だなと思いながらさつきが完全に寝てしまったのを確かめると、ふうと一息。起こさないように静かに部屋を出た。



「女将、悪いね」
「それは構わないけど、あんなに女を泣かせるのは流石に頂けないねえ」

竹下は憮然とした。それは後から来る奴らに言って欲しい。
それはとにかく客商売をしている女将だ。ダイヤの実物を見た事はあるのだろうか。

「一度だけ。お大尽がつけていた指輪だったかしら。きらきらで」
「高価だよなあ」
「『金色夜叉』読んでないの?」
呆れたように流行の新聞小説を上げた女将に竹下は苦笑した。

「小さかったらどの位するのかな」
「どの位も何も私たちじゃまず持てないでしょうに」

けらけら笑う目の前の女に軽く返事をすると竹下は口を噤んだ。
そうだ。いくらするかより持つ者持たざる者という問題なのだ。

(あの子、きっとピンキリのピンの方だ)

どう見ても。


(120304)121028
blind:行き場がない…
尾崎紅葉の『金色夜叉』は明治30年当時大人気の新聞小説でした。流石に金剛石(ダイヤモンド)の件がいつの時期の連載かは分からないけどまあそこはご都合主義で。

wavebox(wavebox)