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「少し横になれ。怪我はないか?」

財部と竹下が静かに出て行ったのを横目に隣にいた秋山がそう問い掛けたが、さつきは頭を左右すると小さく息を吐いて足を崩した。

「ないよ。……ね、本当に誰も悪くないの。誰も責めないでね。私出て行きます。これ以上は本当に甘えられない」
「出て行くって、どこに行くつもりなんだ」
「頂いたお給金があるから暫くはなんとかなるし、その間になんとかするよ?だから」

一拍置いて「大丈夫」と小さく笑ったさつきに、広瀬は心底からの溜息を吐いてしまったのだった。
それにこちらが驚くほどさつきがびくっとした。

「さつきさん、それはこっちが大丈夫じゃない」
「え?」
「今まで君と話した事と君が話した事を秋山と考えた。考えて……」


「君は未来から来た人間じゃないかって」


血の気が引く。
本ではよく見る表現ではあったが、実際にこれほど人間の顔色が変わる瞬間を見たのは初めてだった。

「なに、言ってるの……?」

後ずさるように少し距離を取って、そうですと言わんばかりの様子になったさつきに自分たちの予想が当たっていた事を知る。広瀬がさつきににじり寄ればまた少し距離が開いた。

「何もしないから聞いてくれ。さつきさん俺はね、君がどこの誰でも構わない。未来の日本人でもそうじゃなくても、どうでもいい」
「…………」
「ただ君には本当に感謝しているんだ。前に話した事、覚えているか?」
「前に?」
「生活が快適で、やりたい事に集中できるって話だ」

秋山が足した言葉に、そうそれ、と肯首する。

「それだけで、ギブ&テイクの釣り合いは取れてるって話、しただろう?」
「うん」
三人で一緒に出掛ける事になった切欠になる出来事があった時の話だ。

「秋山も俺も……特に俺はさつきさんから与える以上の恩恵を与えられてる」
よく分からないといった風に首を傾げたさつきに広瀬は微笑った。

「留学の話は財部から聞いた?」
そう尋ねれば目の前にある頭が小さく上下に揺れる。

「黙っていて悪かった。それだけでも不安だったよな。秋山にはアメリカ留学の内示が下りている。でも俺はまだ分からないんだ」
「でも財部さんは留学するって」
「さつき、正確に言うと今広瀬は留学できるかどうかの瀬戸際なんだよ」

恐らく財部はその辺りの事をよく分かっていて、留学が決定しているかのような言い方をする事でさつきの気持ちを煽ったのだろう。

「じゃあ私がいたら、やっぱり」

「違うんだ」
「さつき、それは違う」
ふたりの声が重なった。

「広瀬は今肝心なところに来ている。それを支えているのがさつき、お前なんだ。俺の事にしたってそうだ。家に帰れば食事は出てくる、洗濯もしてある。極端に言えば俺たちは食ってやりたい事やって寝るだけだ。さつきがいるからそれができる。一極に集中していられる。こんな環境は俺たちだけでは無理だ」
「それに俺、段々留学できそうな雰囲気になってきたんだよ」
「……ほんとう……?」
「本当、本当。集中できるし……いいサイクルで生活が回ってるからだと思うんだけど」

そう大きく笑った広瀬にさつきがぎゅうと眉を寄せる。
泣くのを我慢するような表情になった。

「さつき、ギブ&テイクとか恩返しとかもうそんな話じゃないんだ。お前がどこの誰であれ俺たちの同居人で、相棒か何かだろう?」

まだ湿っているさつきの髪をわしゃわしゃと掻き混ぜて秋山も笑った。

「さつきが未来の人間だとしても、俺たちは何も聞き出すつもりはない。お前を利用するつもりもないし、どこに連れて行く気もない。たださつきが元にいた所に帰れる時まで一緒に過ごせたらいいと思う。それだけだ」
「ま、こっちが先に留学してしまうかもしれないけどなあ」
「それもそうだな」



「今、……」
「ん?」

どうした、と秋山が被せようとした時、さつきの口から「何年ですか?」という言葉が漏れた。
明治と言おうとした途端に、「西暦は」と。
今は一八九七年だ。
それを聞くや少し考えるように間を置いて、さつきは顔を上げた。

「私、今から百二〇年位後から来ました」

瞠目するふたりから視線を逸らさずに、次の言葉を繋げる。

「日本の一般家庭に生まれて小中高校、大学を卒業して就職して……東京には仕事の出張で来てたの」
仕事が早く終わりカフェにでも入ろうと思いながら歩いていたら突っ込んできた大型車に撥ねられた。
「ぐるっと視界が回って、あ、これは死にそうだな死ぬんだなって思った。でもそんな事なくて。起きたらあの家だった」

「それは初めて会った日、だよ、な?」
「うん。すごくびっくりした。怪我もしてないし全然見覚えない所にいて窓から見える風景も全然違うし。聞いたら年号は明治でふたりは海軍の人だって……怖くて……絶対に素性をばらしたらダメだと思った」
「さつきさん、無理に話さなくてもいいんだよ」
「いいの。ちゃんと話させて」

何も知らなくて何もできなくて初めは本当に酷かった。
ふたりは至れり尽くせりなほどよくしてくるのに、こちらは何もできない上聞かれても肝心な事は何ひとつ話せない。
いつか話した事があったけれども、どんなにいいと言われてもそれはずっと引っ掛っていた。

「申し訳ないなって、ずっと思ってた」
「……でもね、最近そんな事少し忘れてた楽しくて。色々あっても秋山さんと広瀬さんといて私毎日笑ってる。私正体不明の不審者で、ふたりにはリスクもあるのにすごくよくしてくれて、本当に感謝しないといけないのは私の方だよ」

だから余計に思う。

「私ができる事なんて本当にない。だからせめてオフィシャルの事でもプライベートの事でも貴方たちの邪魔にだけはなりたくない。それにふたりの為になるんだったら、私ができる事は何でもしたいの」


秋山と広瀬は思わず顔を見合わせてしまった。

(その選択のひとつが家を出るって事か)
(と言うか、なんだか話が堂々巡りになってるな)

分かっていないという事ではないのだろうが、さつきの立場からすると難しいところだろう。
それは理解できるのだが、ふたりは苦笑いを禁じ得なかった。

暫くの間沈黙がその場を支配した、が。
「なら、ひとつ頼みがあるんだが、いいか?」

秋山がそう言いながら、放っておくといつまでも起きたままでいそうなさつきを無理矢理布団に寝かせた。
掛け布団を首元まで掛けてやる。

「もう出て行くとか言うな。黙って出て行くのもなしだ」

目の前の驚いた顔から、「でも」とくぐもった声が漏れる。
何か言いたげな表情のさつきを制するように広瀬が言葉を被せた。

「俺たちがいてくれと言っているんだから、それでいいんだよ。いきなりいなくなるのだけは本当に止めてくれ。頼むよ」
「……はい……」
「竹下から話を聞いた時は心臓が止まるかと思った。頬、まだ腫れてるな」

広瀬が軽く赤みの目立つ頬に手を当てれば、さつきがその手に自分の手を重ねた。
広瀬は手を引こうとしたが逆にぎゅうと押さえつけられる。

「さつきさん?」
「……こわかった……」
「……」
「ああ。ひとりで今までよく頑張ったな、さつき」

今日だけの事ではない。この世界に来てからずっとだ。
そもそも見知らぬ世界に来ていきなり男ふたりの中で暮らすのも相当勇気がいったに違いない。




その日秋山と広瀬は待合茶屋に泊る事にした。
外は雨で熱があるさつきを動かすに動かせず、「明日があるでしょ?帰らないと」と言った彼女をひとりここで置いていく事もできず、その様子を察した待合の女将が黙って布団を同じ部屋に持ち込んでくれた。
その上、だ。
「あのね、男ばかりの家で女の看病ができると思ってるの?」
それにあんたたち明日も仕事なんでしょうが。家でひとりで放っておく気?と、至極真っ当な意見を付きつけられ、二、三日程世話になる事になったのだった。

「秋山と布団並べて寝るのは初めてだわ」
広くはない部屋に川の字に並んだ布団を見て広瀬がしみじみと言った。
「そうなの?」
「別に同じ部屋で寝る必要なんかないだろうが」
そんな他愛ない話をしていたのだが、さつきが思い出したように口を開いた。

「ね、どうして私が未来から来たんじゃないかって思ったの?」
「それは」
「なあ?」

それはさつきが今までしてきた話を総合してだった。
科学技術は比較できないほど進歩しているようだが、歴史文化は随分似通っているようで……その他にもいくらか不思議に思う所や疑問に思う所はあったのだ。
未来という言葉を思えば、それらのピースが違和感無く収まった。

「なんだ、結局私が自分で話してたんだね」
「お前は肝心な所で間が抜けているからな。このまま隠し続けてもいずれはばれたんじゃないか?」
「えー……ひっどーい……」

そのやり取りに広瀬がくすくすと笑う。

「恥ずかしいけど、これから起こる事聞かれてもよく分からないんだよね」
「勉強しなかったのか」
「勉強はしたけど、受験が終わったら忘れちゃったなあ」

曰く小説やなんかで読んだ事は覚えているが、それも断片に過ぎない。
大きな出来事は覚えているが詳細な年号なんかは頭から抜けている。第一覚えていても話せるものではない。

「それに科学が進歩してるって言っても私は使うだけだから、機械の原理とか仕組みとかは分からないし。……結局私は何の役にも立たないし利益もないって事だよ」

気の抜けたように笑いながらそんな事を言う様子が先程の「できる事が何もない」のニュアンスとはまるで違っていて、秋山も広瀬もほっとしたように笑った。



「ところでさ」
電話って知ってる?あるの?とさつきが聞けば両隣のふたりが是の返事を口にした。
「あるんだ」

あるとは言ってもまだ日本で登場してから十年も経っておらず、大掛かりでその上数える程しか施設がないと秋山が口にした。
公的施設や富裕層等のごく限られた所にしか設置はされていないらしい。
その説明を聞いたさつきは、ふーんとだけ相槌を打つと、枕の下に置いていたスマホを取り出した。
枕に頭を置いたまましゃらっと音を立てたストラップを纏め、翳すように腕を上げてスマホケースのベルトを外す。

「これね、電話」
「「は⁉」」
「えっ?」

がばっ!と音がしそうなほどの勢いで左右から詰め寄ってきたふたりにさつき自身が驚いた。
文章も写真も動画も撮れるし送れるよ、地球の裏側の人の顔を見ながら話せもするよとは、何となく続けない方がいい気がして喉元で飲み込んでしまう。

「で、電話⁉これが⁉」
「線がない……さつき、これ受話器だよな?受話器だけか?単体でどうやって話すんだ」
「え、どうやって?何だろ、む、無線?電波?うん、電波受信してるんだと思うんだけど」
「!無線電信か」
「しかしこんな小さな……掌位だぞ、どうやって話すための機械を収めるんだ」
「え?え??機械?基板?半導体とかかな?」
「…………」
「……本当に使うだけなんだな……」
「……だからそう言ってるじゃん……」

物珍しげにスマホを触っている秋山を余所に広瀬が「良かったのか?」とさつきに話し掛ける。

「良かった?」
「未来の事とか電話とか、俺たちに」
「あそこまで言ってくれる人たちなら、誰かに話したり……悪い事したり酷い事しないって信じてる」

布団の上で頬杖を付きながら広瀬は声を立てずに笑った。



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reveal:大暴露大会

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