31:uneasy feeling




「今日はいつもの弁当じゃないんだな」
そう掛けられた言葉に広瀬は苦笑しながら軽く言葉を返した。

そうだ。いつも弁当を持たせてくれた同居人があんな様子で、今日は今日で午餐の事なんて思いもしなかった。
秋山は弁当を持って中庭に行っているのだろうか。
下りて行こうかどうしようかと思いながら割り付け弁当の蓋を開けて内心で一言。
(茶色い)

分かってはいたものの、広瀬はうんざりしてしまった。
さつきが持たせてくれる弁当とは違いすぎる。
昨日までのそれは茶色くても絹サヤや卵焼きや海老で彩りがあったし、何より美味そうだった。
前の日の夕食、朝食とおかずは重なりはするものの、弁当箱の蓋を開けるのはやはり昼時の楽しみだったのだ。
それがないだけでもテンションが下がってしまう。いや、広瀬のテンションを下げているのはそれだけではないのだけれども。

(どう、すべきかなあ)

悩んでしまう。こうなる引き金を引いたのは自分の家族、それも一番世話になっていると言ってもいい人だ。
秋山は何も言わなかったけれど、どんな形であれ何らかの決着を自分がつけなければならない。
思いを巡らしながら暫し固まり、結局そのまま箸を下ろしてしまった。その時。

「少しいいか」

掛けられた声に顔を上げれば、目の前に兄が立っていた。





「おかえりなさい」

「………………」
「わお」

秋山さんが引いた。
辛うじて反応してくれた竹下さんに感謝。
女将さんに教えられた通りに三つ指ついて出迎えた反応がそれですか!
「お、おま、どうした」
どーしたもこーしたも。そんなに変ですかそうですか。確かにこんな風に出迎えなんて一度もした事無いけどさ。

「いや、それはいい。寝ていなくて大丈夫なのか?」
「それはいいって、秋山」

華麗にスルーしようとした秋山さんに竹下さんが苦笑いした。一緒に来たのかな?でも広瀬さんいない……

「さつき?」
「あ、うん。もう大丈夫だよ。ご飯まだだよね?先に食べる?広瀬さんも来る?待つ?」
「あれ、メシあるの」

竹下さんの言葉に私は頷いた。結構沢山作ったんだ。それは起きて来た女将さんが少し驚くほど。
家には健康優良児がいるのでその感覚で、つい。
どうせ今日も来るんだろうし、仕出しを取らないでみんなで食べたらいいって女将さんが。

「そりゃありがたいな。俺もう腹ぺこぺこ」
「熱は下がったのか」
お腹をさすりながら上がった竹下さんを余所に、秋山さんはまだ心配してくれていた。
「ホントに大丈夫。竹下さんと一緒に来たの?」
「そこで会った。広瀬は来ると言っていたが、時間は遅くなると思う」

用事かと聞けば「そんなもんだ」と返事が返って来る。
そっか。そう口の中で呟けばぱちりと目があった。どうかしましたか。

「着物、借りたのか」
あーはいはい。寝巻き以外の和装はここでは初めてだもんね。

「似合う?」
「馬子にも衣装」
「ちょっとあっきーひっどい」
「は、はは!」
笑って奥に歩いて行った秋山さんの後ろについて行った。


「先日はすいませんでした。あと、ありがとうございました」
部屋に入って少し落ち着いてから、改めて自己紹介をして竹下さんに向かって頭を下げた。
「ああ、うん」
それっきり続く言葉がないのでどうかしたかなと思って顔を上げてしまう。

「さつきちゃん、大変だったと思うけどあんな風に捨て鉢になったらだめだ。あそこで俺が見つけなかったら、もう会えなくなっていたかもしれない」
「ハイ……」
「あの辺りは物騒でね、君が絡まれていたのはスラムの入り口付近だよ」
「え」

スラム。
そう言えば随分前に秋山さんが教えてくれた事がある。
それに八重さんも葉書を見せた時に少し言葉を濁していたけど、それって。

「そうだ」
秋山さんが隣から口を挟んだ。
それが本当に沈んだ口調で、秋山さんが心底心配してくれていた事が伝わってくる。
「……本当にごめんなさい」
「ああ」
「ま、でも無事で良かったよ。後な」

これと差し出された包みを受け取る。何だろう。促されて開けてみれば。
「あ」
ダイヤのネックレス。
それはすぐに思い出せた。確かふたりに渡してって私……思わず竹下さんの顔を見返してしまった。

「さつきちゃん、ダイヤはね、大きさがあれば銀座の一等地一坪が買える位の高級品。迂闊に人に渡したらダメだ。それにそんなのを広瀬と秋山にだなんてもったいないよ」
「どういう意味だそれは」

憮然とする秋山さんに「豚に真珠」と言い切って竹下さんは笑った。

「首は大丈夫?後ろ。鎖、引っ張られていたから」
「首?」

あ、それでか、ひりひりするのは。でもちょっとピリッとする位だし。
大丈夫と首を縦に振れば、竹下さんが破顔した。

「じゃあ、改めて。竹下勇、広瀬とは攻玉社の頃からの親友です。財部ともね。あいつらとはよくつるんでいるのでよろしく」
「よろしくお願いします」
はい、握手とフランクな口調で言い放った竹下さんに私の口角も上がった。



「で、さつきちゃんは独身者合宿所の救世主だって?」

大皿に並べた料理を突きながらの竹下さんの一言に秋山さんが吹き出した。
「財部から聞いたんだけど」
「え?あっきー?何の話?」
「あっきーて!」
竹下さんはけらけら笑いながら突っ込んでる。
「こいつらの部署で独身はふたりだけなんだよ。それで合宿所」

あながち間違ってないと思って、つられて笑ったのだけど。
それって。それってさ……
「さつき?」

「あのさ、もしかしてお弁当って私余計な事してる?」
弁当男子でもあるまいに独身男ふたりが家からお弁当持参なんて変に目立っていたに違いない。

(……あ)

そう言えば広瀬さんのお義姉さんも家に来た人からお弁当の事聞いたって言っていた。
私が麻布の家に住んでいる事がばれたのって結局自分のせいって事じゃないの?
それでこんなに周りの人を振り回して。

「さつき、それは違う。悪い方に考えるな。それに余計な事なんてない。本当にありがたいんだ、美味いし」
「……そっか」

気を使ってくれているのかもしれないけど、そう言って貰えるならまだ救われる。
ホッとして思わず笑ってしまった。

「いいよなあ秋山」
何がと言い返した秋山さんに、竹下さんは腕を組んで何かに感心するようにうんうんと頷いている。
「朝晩飯は出てくるし弁当まである。身の回りの世話も全部やってもらってるんだろう?」
「あ、ああ」
「居心地良すぎて困る?」
「まあ」
居心地いいんだ。

「ちょっとごめんね」

私を余所に竹下さんはこちらを見てにこっと笑うと、私に届かないほどの声で秋山さんに何かを話し始めた。
それは私に聞かれると都合の悪い話なんでしょうか……

「あ、違う違う。悪い話じゃないから」
まあいいですけどね、と秋山さんに耳打ちしている竹下さんを見ていたら。
「げほっ!」
「えっ!」
秋山さん⁉ちょ、どうしたの⁉弾みで徳利まで倒してるしお酒だだ漏れだよ!

「布巾取ってくるね」
そう言い置いて私はそのまま部屋を出たのだけど。一体何の話してたの?



「あっは、ははははは!」
「た、竹下……」
「で、どうだよ。俺は悪くないと思うけど?」

意地悪く笑いながら、秋山の開いた盃に竹下が酒を注いでやる。

「居心地良くって今の生活手放したくない。職務にも集中できる、か。広瀬も同じ事言っていたけどな、お前ら分かってる?」
「……んだよ」
「嫁さんもらったらそういう生活になるの」
「…………」
「本当にお前らのどっちか、さつきちゃんを嫁さんにする気ないの」

誰かの養女にでもしてしまえば問題は簡単に解決するだろう。

そう続けた竹下に秋山の眉間には渓谷が生まれ、そして珍しく、やけに鬱陶しそうに舌打ちしたので竹下は笑いながら突っ込むのを止めてやった。

「でも難しい所だよな。お前らふたりともに辞令が下りたら、彼女はここでひとりになる。財部もイギリス行きがほぼ決まりのようだし、当面は俺がいるからいいけど」

海軍は転勤が多い所だ。竹下だっていつどこの勤務になるか分からない。

「財部も巻き込んでいるなら、一度集まって考えた方がいいかもな」
そう言う竹下に秋山は相槌を打った。

「悪いが、知恵を貸してくれたらありがたい」
「さつきちゃん悪い子じゃなさそうだし、それはいいけどさ。俺も一緒に住ませてくれないかなあ」
「は?」
「あー俺も一緒に住みたい。楽したい」
「お前な……」

どこまで本気なんだこの男。秋山は思わず苦笑した。

「ところで広瀬は今日来るのか?」
「分からん。広瀬は今麹町だ。来るとは言っていたが」
「麹町?ああ……今日は無理かもな」


夕方、定刻になり帰るかと声を掛けた時、ちょっといいかと広瀬は秋山を引き止めたのだ。
昼に兄と少し話をしたのだと言っていた。
昨日義姉が麻布の下宿に突然来訪したのを謝られた事、それからどうなったのか気になって声を掛けてきたのだという事。

「流石に本省でさつきの事は話せない」
「だろうな。ま、相手は広瀬大尉だろう?温厚で有名な人だから大した事にはならないと思うが、問題は義姉さんだろうな」

常々独身主義を貫くと言い張っていた義弟が若い女とひとつ屋根の下で住んでいた。
その事実に対して女性特有の嫌悪感だって湧いただろう。
それに広瀬が兄一家に随分世話になっている事はふたりともよく知っている。
広瀬の立場からして文句を言いにくいのは百も承知なのだが。

「その辺りは広瀬になんとかして貰わないとどうしようもない」

そうだ。なんとかいい方向に転がして貰わないとどうしようもない。
小さく息を吐いた秋山に竹下は苦笑した。



(120618)130305
uneasy feeling:ちょっと気になるよね…

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