1.
あれから竹下さんが時々家にやってくるようになった。
事前連絡なく同居人が連れて帰ってくる事が殆どで、現代だったら一言くれよと思う所だけれど、ここでは向こうのような連絡手段がないのだから仕方ない。
「いつもいきなり来て悪いとは思うんだが。それに家計圧迫してない?大丈夫?」
「何言ってんですか。今更遠慮なんてなしですよ」
客膳分を用意してなくても次の日のお昼に回す位のおかずは作るから予告がなくてもひとり位なら問題はないし、竹下さんこそ「これ俺の食い扶持」とか言ってお米を渡してくれたり。
その上何回かに一度は肉とか野菜をばーんと持って来てくれて家計圧迫どころじゃない。
かといって凝った料理は出せないし、寧ろ申し訳ない気がするんだけど。
「さつきちゃん『却って申し訳ない』なんて言うんだよ」
でも麻布に持ってきた食材はその日のおかずになって出てくる事も多い。
「はいこれどうぞ〜持って帰って下さいね〜お重は次来られる時にお願いしま〜す」
それにこんな風に言われて日持ちしそうなおかずを帰り際に渡される事が殆どで、多分持ってきたものの半分は竹下が消費している。
「俺が言うのも何だが、本当に負担になっていないか?色んな意味で」
連れだって歩きながらそんな事を聞いてきた竹下に、それは問題ないと広瀬はその懸念を打ち消した。
実は広瀬も同じ事を思って一度聞いた事があるのだ。
「負担?大丈夫ですよ。竹下さんはそういう所きちんと大丈夫?って聞いてくれるから全然嫌な気持ちにならないし。ぶっちゃけ竹下さんが手土産持って来てくれた時は一日二日の食費が浮くので助かります」
きゃらきゃら笑いながらそんな事を言っていた。
「そう、それなら良かった」
頬を綻ばせた親友に、お前こそ家計圧迫じゃないのかと広瀬は思う。
「いや、俺も助けてもらってるんだよ。近所の人が分けてくれたりするんだが、野菜をそのまま貰っても男ひとりだとなぁ。かといって捨てるのも」
麻布に持って行けば悪くならない上上手く料理してくれるし、しかもお土産付き。
「正直ありがたい。無駄が出なくて済むし」
「そうか」
そう言っていると知ったらさつきも喜ぶだろう。
「そう言えばこの前台所を覗いた時、さつきちゃん何か作りながらえらく上機嫌で何か歌ってたぞ。いつもあんな感じか?」
「あれは最近」
思わぬ所に話が飛んで、広瀬は思い出し笑いをしてしまった。
そうだ。掃除する時、料理をしている時、彼女が何か作業をしている時に鼻歌が聞こえてきたり、小さく歌が聞こえてくる事がとても多くなった。
こんな事、前まではなかったのに。
今までは彼女自身も気を付けていたのだろう、元の世界に繋がるような事を口にする事は殆どなかったのに、ここに来ての変化はどうだ。
「彼女、本当にお前らに対しては警戒心がないんだな」
竹下はそう言ったけれど、広瀬だってそう思うのだ。
多分あの騒ぎを通してひた隠しにしていた秘密を打ち明けた事で気持ちが随分ほどけたのだろう。
それが反映されているのか、
「最近よく笑うようになったな」
秋山がぽろっと零すほどさつきは以前に増して笑うようになった。
「……よく笑う女の人はかわいいな」
「え、何それどういう心境の変化」
「一般論だよ!」
「ムキになるなよ。でもさつきちゃんがあんな感じだと家の中明るくて本当に居心地いいだろ」
「そうなんだよ。居心地良すぎてなー。遊びに来た子供たちが帰りたがらない……」
「分かる。俺も麻布に行ったら帰りたくなくなるからな」
隣でげらげら笑う親友につられて広瀬も笑った。
2.
この前清流庵に行ったのだが、と突然切り出した財部に秋山は首を傾げた。
何か用事でもあったのだろうか。
「この前の騒動の事を俺からも謝っておこうと思って」
そうだった。財部はあの出来事の当事者だ。
財部とさつきが言い争った場に居合わせた客も、助けてくれた清流庵の夫妻も驚いたに違いない。
それにさつきが倒れて店がちょっとした騒ぎになった事は事実だ。
これから顔を出す事もあるだろうし、このまま放っておく事もできないだろうと判断して店に顔を出してきた、そういう事だった。
相手をしてくれたのは八重で、財部が話を切り出したら少し驚かれたものの、
「もうあんな騒ぎは勘弁だよ」
秋山たちから粗方聞かされていたから財部がくどくど言葉を尽くす必要もなく、簡単な謝罪だけで許されてしまったのだという。
「さつきちゃんが困っていたら助けてやって。それだけでいいよ」
財部としては何だか拍子抜けだったもののそうとだけ言われたらしい。
「確かにあの店なら彼女を預けても大丈夫そうな感じがするな」
妙に納得している様子に、財部もそう判断するかと秋山は少し安心した。
「それでな、俺が向こうに行った時、彼女端の席で小学生の勉強を見ていたんだが」
その子供がおんぶしていた小さい弟を下ろさせてさつきが抱っこして、机に向かう子供に聞かれたら鉛筆を持ってあれこれと教えている様子だった。
そして手持ち無沙汰になる間は肩に頭を預けてうとうとしている子の背中を軽く叩きながら小さく何かを口遊んでいた。
「何だったか、私を月に連れて行ってとか何とか。あの歌詞は子守歌じゃないよなあ」
何よりも財部はさつきが至極普通に、さらっと英語で歌っていた事に驚いたようだった。しかも慣れているのか、それを周りの客が気にする様子もない。それもまた驚きで。
「西洋の曲が好きで英語を勉強したと言っていたからな、色んな歌を知っているんだろう」
そう答えながら秋山が口端を上げる。
秋山もさつきが歌っているのを耳にした事があるが、なんだかいつも変な時にばかり遭遇するのだ。
歌いながら作業するのに夢中で、秋山が後ろで眺めていても気が付かないなんて事がザラにある。
前なんて何かが煮えるのを待っていたのだろう、両手で持った菜箸で鍋の縁や机の角を軽く叩きながら小声で、しかし結構激しめに歌っていた。
「英語でしかも滅茶苦茶早口なんだ。あれには本当に驚いた」
声は掛けなかった。というか掛けられなかった。
それで秋山はそこら辺に適当に腰を掛けて待っていたのだが、何かを取ろうとしたのか、ふっと横を向いた彼女の視界にその姿が入ったのだろう。お手本のような二度見をされた。
「………………いつからいたの……」
「………………」
その日の秋山の味噌汁には具が無かった。
「あっはっはっはっは!」
「お前笑うけどな……そう言えば俺あいつの日本語の歌なんて聞いた事がないぞ。英語ばかりだ」
「そうなのか。俺はこの前聞いたけどな」
「財部が聞いた事があるのに俺がないってどういう事だ」
「どういう事だと言われても」
広瀬としては苦笑しか出ない。しかしない事はない筈だ。
秋山は一度聞いているのだが(少し歌わされたという方が正しいが)、あれはカウントされていないらしい。
財部が聞いたのはきっとそんな広瀬に騙されてとか言っていたあれだ。
「あれは替え唄みたいだったし……俺も変な時にばかり遭遇するぞ。前は茄子を焼きながらナスが好きとか歌っていたし」
「……」
「あ、でもこの前きれいな歌を聞かせてくれたな。ロシア民謡らしいが日本語だった」
「ロシア民謡?そんなものまで」
3.
「え、私そんなに歌ってる?それにしても歌かぁ。スマホに入ってるから聞いてみる?」
「すまほ?」
「この見せた電話の事。英語なの、スマートフォンの略」
「スマートフォン」
「あ、造語か。えーと、スマート、テレフォンでいいのかな?」
そう言いながらさつきが薄板の表面に指を滑らせる。
そして側面を何度か押した後、結構な音量でいきなり始まった音楽に秋山の体が跳ねた。
「うわっ」
「えっ?」
驚いた秋山に驚いたのか、さつきが曲を止める。
「そ、騒々しいな」
照れ隠しの様に呟けば、騒々しいって!と笑いながらの抗議を軽くスルーして、秋山は少し見せてくれと一言告げてさつきが持っていたスマホを手にした。
「前見た時も思ったが、電話だけではなく色んな事ができるんだな」
画面を軽く操作するだけでも察せられるものはあるが。
「んー……まあ、そうだね」
さつきは少し言い渋るような迷いを見せたが、結局は口を開いた。
「これでかなりの事ができるよ。財布代わりになったりもするし」
「財布代わり」
「うん。設定すればこれで支払いもできる」
「…………」
(さつきは本当に未来に生きる人間だな)
片手に収まる程度の長方形を見つめながら、それは最早疑いようのない事実だと秋山は感じる。そしてこれ以上この手の話を掘り下げない方がいいと内心でひとりごちた。
進み過ぎた技術の話を聞くのは毒にしかならない気がする。
「秋山さん?どうかした?」
「ああ、いや、きれいな飾りだと思って」
秋山の手許を覗き込んできたさつきに、何となくごまかすようにそう言った。
「ストラップ」
「ストラップ?」
「うん、きれいだよね。だから私も欲しくなって。それ小さいけど天然石だから結構いい値段したんだよ」
天然石?いい値段?という事はダイヤか何かと同じようなものか。
「ちょっと貸して」
手に戻ったスマホからさつきがあれよという間にストラップを外してしまう。
「こっちが水晶と翡翠、こっちが水晶とルチルクォーツの組み合わせ」
改めて手渡されたので灯りに透かすようにまじまじと見ていると、「ふたり揃ってどうした?」、風呂から部屋に戻る途中だったのか居間を覗き込んだ広瀬が声を掛けてきた。
近くに座り俺にも見せてくれと言うから渡してやれば、その様子をさつきがにこにこしながら眺めている。
「それ、ふたりにあげる」
「え?」
「あげるってさつき」
ついさっきいい値段したと言っていたじゃないか。
「まあね。でも値段だけ見たらそんなに高い訳でもないの」
「さつきさん、大事にしているものじゃないのか?」
「そんな大袈裟なものじゃないよ。ふっとね、ふたりに貰って欲しいなと思っただけ」
そう言うとさつきは広瀬の手の中にあったストラップを摘まみあげ、薄緑と金色掛ったそれを見比べてそれぞれの掌に置いた。
「翡翠のは広瀬さんね。ルチルのは秋山さんに」
何となく、イメージだけどと付け加える。
「翡翠は幸運を引き寄せるとか魔除けとか。ちなみにおふたりの誕生日っていつですか?」
「俺は今月、秋山は四月だな」
「は?ちょっと待って秋山さんの過ぎてるじゃん!私三月からここにいるのに言ってよ!まさか広瀬さんのは終わったとか言わないよね⁉」
「に、二十七日…」
いきなり怒られる理不尽に広瀬が引くと、さつきはこほんとひとつ咳払いをして。
「分かりました。お祝い、しますからね。ちゃんと帰ってきてね。でもそれなら丁度いいかも」
丁度いいとは。
宣言するように言い放ったさつきにふたりで顔を見合わせる。
「翡翠は五月の誕生石だよ。ルチルは勝負運とか勘?直感力が上がりますようにって感じかな。あ、でもあっきーがこれ以上鋭くなったら怖そう」
「どういう意味だよ」
「あはは!でもふたつあって良かった。どっちもきれいで選べなくて欲張って両方とも。でも気に入って買った割には付ける所が無くてスマホに付けてたの。でもそれで良かったみたい」
「しかし」
高価な物なのでは。
「いいから気にしないで。私が持っていた物だし、本当にささやかでごめんなさいって感じですけど、誕生日プレゼント。お守りみたいなものだと思って貰ってくれたら嬉しい」
そう押し切られ、結局男ふたりが折れる形で受け取ってしまった。
「あ、でも四月の誕生石はダイヤなの。秋山さんダイヤの方にしようか」
「お前竹下に言われた事を忘れたのか」
至極真面目に言われて思わず止めた。
「本当に貰っていい物だったのか」
風呂に行くとかでさつきが居間を出た後、秋山がそう零した。
聞けば一個の値段は外食ランチを二、三日我慢すればいい程度のものだとは言っていたけれど。
確かに安いものではないだろう。何だか気が引ける。
それにダイヤモンドといい、一般家庭に育ったと言いながらさりげなく高価な宝飾品を持っている事にも正直に言えば驚いてしまう。
宝飾品なんて用途を云々する前に、価格だけを見ても自分たちとは無縁過ぎるほど無縁なものだ。
「さつきさんの世界は本当に色々な意味で豊かな社会のようだな」
広瀬の言葉に秋山も肯首した。今までさつきから聞いた話を併せて思い浮かべても、社会一般の生活レベルがこことは違い過ぎる気がする。
「驚いただろうな、彼女がここに来た時」
ストラップから同居人へと視線を移す。
「不便で、貧しくて」
するとそんな答えが返ってきて。そんな中で本当によくやってくれていると思う。
「俺もそう思うよ。でな、物は相談なんだが……」
「……あー、分かった。俺もそれでいい。一緒に頼む」
持ち掛けられた話に快諾すれば、広瀬は満足そうに笑った。
しかし、だ。
手の中に収まったストラップを視線を移す。色の違う小さな玉が連なっていて、灯りの当たり具合で変わる輝きが美しい。
きれいで欲しくなったとさつきが言ったのもよく分かる。そんなもの、簡単に人に渡してしまって。
しょうがない奴だなといった溜息がひとつ秋山の口元から吐き出された。
「魔除けとか幸運とか、本来なら今あいつ自身が一番必要としているものだと思うんだがな」
「……」
「……」
「「人が良すぎる」」
何と言うか、本当に。
Intermission-1:これこそまさしく閑話
Fly me to the moon:私を月に連れてって。ナット・キング・コールのが好き。ナスが好き:懐かし過ぎるボカロ 20211113121125