4.
「ねえ広瀬さん、初めて会った時からずっと竹下さんに『ちゃん』付けで呼ばれてるんだけど、なんでかなぁ」
なんでかなあと言われても。
広瀬は首を傾げてしまう。
秋山と言いさつきと言い、なんでそんなに答えにくい事ばかり聞いてくるのか。
しかし思い起こせば確かに自分の親友はさつきの事をずっと「さつきちゃん」と呼んでいた。
それが至極自然で引っ掛りもない為今まで疑問に思った事もなかったのだが、言われてみれば確かにそうだ。
普通なら財部のように「如月さん」、若しくは自分のように「さつきさん」辺りじゃないだろうか。
「何故と言われても……本当だ、なんでだろう」
「おーい」
広瀬に疑問をぶつけられ、竹下は少し考えていたけれど突き詰めて答えを探す気はなかったようで、「もしかして嫌だったかな」、返って来たのはそんな言葉だった。
「別に嫌という訳ではないらしいぞ」
「そう?」
そうだ。竹下からはちゃん付けの方が普通のような気がする、なんて言っていた。
「今更お前に名字やさん付けって呼ばれても、だってさ」
「はは、そうか。そう言えば、財部の呼び方が『如月さん』から『如月』に変わっていたな」
そうなの?
「ああ財部さんね、そうそうこの前謝りに来てくれた人ね。最初はさつきちゃんの事『如月さん』だなんて呼んでいたけれど、帰る頃には『如月』になってたよ。え、何があったって?」
そう言うだに八重は笑い出した。
「最初は普通に話してたのにね、何かふたりで言い合いを始めて」
だから男に逃げられるんだとか何だとか財部が言い出したら、さつきが机をバーンと叩いていきなり立ち上がり、
「よーし財部表に出ろ!話はそれからだ!」
(いい年した大人が店先で何をやってるんだ……)
「店じゃなくて奥の家の方だったからね、大丈夫だよ」
とりあえず平謝りした広瀬に八重は優しかった。
聞けば八重は店の方から事の成り行きを黙って見ていたものの、余程おかしかったのか声を上げて笑ってしまったらしい。
「さつきちゃんあんな所もあるんだねえ。ずっと良い子でいる所ばかり見ていたから安心したよ」
確かに秋山や自分相手ではそんな展開にはならない気がする。
「さつきちゃんだって最初は『財部さん』って呼んでたのに、帰る頃には『財部この野郎』とか売り言葉に買い言葉で呼び捨てになってたよ」
「…………」
財部この野郎って何。
普段のさつきからは想像もつかない呼び掛け方に広瀬は心中で盛大に突っ込んでしまった。
驚き……というか困惑が表情に出たのをどう見たのだろう、八重が大きく笑う。
「広瀬さん、女を聖女か何かだと思ってると大間違いだよ。男と同じで色んな面がある生き物だって知らないと女で失敗するよ」
「は、ははは……」
思わず半笑い。
言われなくても分かっているが、意外感が拭えない。
「結構言い合ってたけど険悪でもなかったし、案外仲良いんじゃない?あのふたり」
「ならいいんですが」
そうとしか言いようがないし、苦笑いしか出ない。
「まあでも、あの子随分明るくなったね。前も明るかったけど、なんて言うか枷がひとつ取れたみたいって言うか……雰囲気がすごく良くなってる」
話し掛けやすい感じになって、さつきちゃんに話しかけるお客がとても増えたよ。
「最近は子供がいない時は本を読んでいる事が多いね。本捲りながら帳面に何かを書いていたり……」
「え?」
5.
終わった食事の片付けをしようと立ち上がったら秋山さんに呼び止められた。
どうしたんだろう。お茶かな?
「いや、違う。俺はまだ見てないんだが」
「は?」
「…………」
「……(あ)」
「目を逸らすな」
逃げ場もなしですか!
あの時はバタバタしてたしそれから何も言われないから忘れてるんじゃないかと思って安心してたのに!
この前広瀬さんがこっそり「これ約束してただろう」といって三国志演義を渡してくれた。
それ以上は何も言われなかったし、私も触れられたくないからわざわざ清流庵で読んでいたのに今になってなんで⁉
「そんなに構えなくても」
広瀬さんは気楽〜に笑ってそう言ったけど、恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ!東大で文学を勉強しようとまでしていた人に読ませるってどんな羞恥プレイだよ!
「ひ、他人事だと思って〜」
「他人事だし」
「広瀬ー!」
男どもふたりはなんかげらげら笑ってるし!くっそう!
「や、やだよ、元々人に見せるつもりなかったものだし……」
「勝手に見てしまってごめんなー」
その言い草、ごめんなんて全然思ってないですよね広瀬さん。
「字汚いし、きっと誤字脱字のオンパレードだし」
「その位誰にだってあるだろう」
あっきーと一緒にしないでよ!程度の問題だっつーの!
「……まだ途中だし……」
「終わったら見せてくれるのか?」
そんなつもりは毛頭ない。……とはとても言えず、結局巻き上げられるようにしてノートは持って行かれてしまった。
「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ」
広瀬さんに慰められても恨めしい目でしか見られない。
「本当に大丈夫。面白かったし、俺も続きが気になってるんだよ」
そこで言葉が途切れたからどうしたのかと広瀬さんの顔を見やれば、
「さつきさん、俺たちの事本当によく思ってくれてるんだなあ」
「………」
だから嫌だったのに!
6.
「さつきさん、今日は帰りが少し遅くなるから」
ご飯いらない?
「いや、メシまでには帰ってくる。準備は頼めるか」
秋山さんも一緒ですか。
晩ご飯までにはって事は六時か七時頃までには帰ってくるという事。なら別に遅いって訳でもないと思うけど。
珍しい。
何なのかなとは思ったけれど、そんな事いちいち聞かれたくないだろうな。
言う必要があるなら言ってくれるだろうし。
で。
「はい、これ」
晩ご飯が終わった後に大きな風呂敷包みを渡されて、何だろうと思って開けてみたら出てきたのは。
「シャツ」
そう言えば私が渡したシャツ、二、三日で直して届けると春江さんが言っていた。あれから日数が経っているけれど音沙汰がなかったからどうなったかなとは思ってたんだ。でもこちらから「どうなりました?」なんても聞けないし。
「取りに伺ったの?」
「呼ばれてね。ちょっと行ってきた」
ふーん。でもシャツを取りに行くだけなら秋山さんも行く必要があったんだろうか。
(言ってくれたら私が取りに行ったんだけどなあ)
お宅も知らないし、ひとりで伺うというのはちょっと気が引けるけど。
て、ゆーか、さ。
「枚数多いんだけど……誰かの間違って入ってない?」
私が春江さんに渡したのは白いの一枚だけ。なのに手許には数枚ある。白二枚、薄いピンクと水色のストライプ二枚。それに着物も入ってるんだけど。
「元のは義姉さんに直してもらった。こっちな」
見れば生地が引っ張られてダメになっていた前立ての部分が着物の生地になってる。襟台も。飾り気のないシンプルなシャツだったのに、差し色が入ってなんだかいい感じにおしゃれになってる。
「広瀬さん、これは直してもらったって言うか……」
新品を頂いたような気持ちになってしまう。
大変だっただろうし、時間も掛ったに違いない。
そう伝えても目の前の人は特に返事もくれずに軽く笑うだけで、「で、こっちは兄と俺たちからな」、そんな言葉を繋げてきて。……兄と俺たちからってどういう事?
「お前のシャツから型を取って、色違いで何枚か、な」
「え、もしかして作った?それも春江さん?」
いや、それなら「俺たちから」とかそんな事にはならない筈で。
「や、流石にそれは義姉さんでも」
(てことはオーダーメイド確定ですか)
たかがシャツで。こんなの現代なら大した金額も出さずに買えるものなのに。
「た、高かったんじゃないですか……」
「そんなに気にしないでくれ。よく使う洋服屋があるからそこに持って行ったんだ」
「顔見知りでもあるし、形が変わっているから型紙は貰っていいかと聞かれてな」
それでOKすれば安くしてくれたのだという。
「私ついシャツって言っちゃうけど、女性用で、本当はブラウスって言って左前なの」
「そうなんだ」
「珍しかったんだな」
「あと何と言うか、な。義姉さんに怒られた」
「さつき、ここでは着るものが全然ないんだろう?いくらなんでも気が利かなさすぎだと指摘された。確かにそうだな」
「…………」
――私、出張で東京に来てそのままここに。それで着替えが二、三日分しかなくて
――あ、ええ。如月さんそのシャツ見せて下さる?
あ。
「あーあーあー……」
「さつき?」
あの時だ。絶対あの時私が口にした事を耳に留めていたんだ。
「ごめん、私春江さんに余計な事言ったかも」
家と清流庵を往復する位なら服は洗濯して着回せばなんとかなるのに。
「ほんっとーに、お前は自分の事が後回しだな」
「そうだ。渡している金もさつきさん、自分の事には全然使っていないだろう。ダメだよ。少ないけれどあれは君に対する正当な報酬だ。自分の為に使って欲しい」
何で知ってるの。
思わずふたりの顔を見やれば秋山さんが続けた。
「広瀬の言う通りだ。それにさつきにも欲しいものや必要なものがあるだろうが」
「秋山とも話をしていたのだが、何か欲しい物なんかはないか?シャツもそうだけれど、他に何か……俺たちじゃ高価なものは無理だけど」
「……」
「何だその顔は」
何だって秋山さん……
「びっくりして、その、欲しい物なんて」
「ないか?」
「……今貰った」
シャツそのものよりも作ってやろうと思ってくれた気持ちが嬉しい。遠慮していると思ったのか、広瀬さんが本当にない?何か小物とか、と口添えしてくれたけれど……
「ない。本当にないよ。シャツ、すごく嬉しい」
それに着回しできるって言っても、着替えがあるのとないのとでは大きな差がある。
そういう意味でも本当に助かるしありがたい。
「それで着物は義姉からだ。古着で悪いけど着る練習もしろってさ。良かったら教えるって言っていたけれど、どうする?」
「えっ?」
いやいやいやそんな事恐れ多いわ!てかあんなお上品そうなオネエサマちょっと肩が凝りそう。
私根っからの庶民だからね!
心で思った事がだだ漏れだったのか、広瀬さんは苦笑いだ。
「さつきさんは八重さんの方がいいだろう?義姉とふたりは今の状態だとまだ君には気詰まりだろうし」
「この前待合の女将に着方を教えて貰ったと言っていたしな」
だから一応断っておいた。
そう話を継いだ秋山さんの言葉に少しホッとしたのだけれど。
「なんか……ごめんなさい。こんなに気を遣ってもらっているのに」
頂いておいて随分失礼な話だと思う。
「いや、それはいいんだ。断られるだろうとは向こうも思っていたようだから。第一これは向こうからすれば詫びだろうし、俺たちから言えば、まあ、」
「感謝と言うか、な」
「ああ」
(か、感謝っすか)
思わず黙り込んでしまった。
こういう事を改めて言葉や形にしてもらうのはすごく面映ゆい。
でも、どんな形でも思う事を伝えてもらえる事はこんなにも嬉しい。
感謝を表したり表されたり、何かあった時には当然の事だと思うけど……ここに来てからはそんな当たり前の積み重ねがとても大切な事だと感じるようになった。
(現代でも疎かにしていたつもりはなかったけど、)
それは自分がそう思っていただけで、本当には身に染みていなかったのかも。
「さつきさん、どうかしたか」
「……感謝の気持ちは大事だなと思って」
「…………」
「……………」
「あ、違う違う」
頭の中の言葉をそのまま音にしてしまった。
「ふたりじゃなくて私の方の話。忙しいのによく気に掛けてくれて……ここに来てからふたりには本当に救われてます」
「感謝しないといけないのはこっちだよ。本当にいつもありがとう」
「あー……うん、まあ……」
「……こちらこそ」
照れる男の人も結構かわいいものだと思った。
Intermission-2:閑話その2!
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