「さつきちゃーん、お迎えが来たよー」
「はーい」
清流庵で着付けされていたさつきを迎えに行けば、やけににこやかな八重が秋山と広瀬を出迎えてくれた。
気の抜けた返事と共に部屋から出てきたさつきに声を掛けようとして、ふたりは思わず二度見する。
八重の見立ては確かだった。
知り合いから借りてくれたという絽の小紋。藍と紫の混じったような深い色合いに大柄の百合があしらわれていて、これがさつきによく似合っていた。
そして着物に合わせてしっかりと施された化粧にいつもとは違う髪型。普段と比べるまでも無く華やか。
ふたりが呆気に取られている間に、目の前の瞳がゆっくりと弓なりに弧を描く。
「おかえりなさい」
「……おお……」
「……ただいま……」
待ってくれ。
大した事にはならない?嘘だろう。
化けるとは思っていたが、ここまでとは思っていなかった。
いつもと、以前の外出とも違い過ぎるさつきに広瀬と秋山は完全に貝になった。
「さつきちゃんきれいでしょう。さっきからずっと化粧の仕方と髪型の事聞かれててね……」
八重の声が右から左へと流れて全然頭に入ってこない。
廊下で小紋を貸してくれた女に礼を告げているさつきに視線が釘付けになる。そのまま何の感想も出ない自分たちに、大仰に息を吐くと八重が呆れ調子で広瀬と秋山の背をばしっと叩いた。痛い。
「野暮天ども、かわいいの一言位言ってやんなよ」
軽口にしても『馬子にも衣装』が無粋の極みであった事位は流石に分かる。
現像された写真は後日秋山が持ち帰った。
三人で写したものとふたりで写したもの、ひとりで写したものを各人二セットずつ。そして三人で話し合って清流庵に一セットを贈る事にした。
机に並べたそれを覗き込むさつきを他所に、さつき単身の写真を目に留めた広瀬は秋山と顔を見合わせて無言で頷く。
(写真師よくやった)
出鱈目な程よく撮れているバストショット。
さつき単体での撮影は写真師がやけに熱心で、凝った髪型を入れたいとか着物の柄をもっととか何とか理由をつけて、至近距離から角度を付けて撮影をしていた。
気持ちは分かる。
これはきれいだ。
疑問なく頷ける程その日のさつきは独特の雰囲気がある佳人だった。
くっきりとした目元、淡色が差された瞼、色鮮やかで艶やかな唇、香水でもつけているのか歩いた後にほんのり漂う残香、髪は編み込んだ上洋風に纏めていて項が露出していた。
化粧い方も雰囲気も、日本人女性とはかなり違っていた。
高い背も、天頂から変わりつつある髪の色も相まって、すましていればシャープでやや異国風というある種近寄り難い風情。
高嶺の花と言われても「そうだろうな」と納得するだけで、笑う気など欠片も起きなかった。
その花のかんばせが自分たちに、いつも通りに惜しみなく笑み零す。
目立たない訳がない。
往路で、夕食に寄った洋食屋で、帰路で、どれだけの人間がさつきを振り返っていた事か。
ただ本人が「めっちゃ視線感じる……私変なのかな……」としか認識していなかったのは、本当に何とも言えなかったが。
そんな女が今は自分たちの間で、あどけなささえ残る素顔に近い顔で笑っている。
「わ、凄くきれいに撮ってくれてる。あのカメラマンさんすっごいテンション高かったから、笑うの我慢するの大変だったんだよ」
「テンション高い?」
「大興奮してた」
「……ああ……」
((分かる……))
熱心というより大興奮かもしれない、確かに。
写真師はさつきにだけ何度も注文をつけ、何度か撮り直しもし、その上よく口が回っていてあっさり終わった男ふたりの撮影は何だったのかと思う程だったのだ。
そのあまりの落差に堪え切れずまずさつきが笑い出し、それに続いてその場にいた全員が声を上げて笑った。いい一日だった。
「ふたりのもよく撮れてるね。制服着た男の人はカッコいいな」
「毎日見ているのに何が変わるんだ」
変な事を言う奴だなといった風の秋山だったが、褒められて悪い気はしない気分が顔に出ていて広瀬は小さく俯いた。笑ってしまいそうだ。
「それとこれとは別って言うか……白は特にポイント高い。ついでにポテンシャルも高い」
知っているのによく分からない横文字がちょくちょく挟まれる。首を傾げると、
「要するに何割か増しでカッコ良く見えるってことでーす。夏服だと女の子にモテない?」
覚えのある指摘をされて苦笑いする。
「この前千鶴ちゃんとも話したけど、儀礼服とかホントカッコいいよね」
以前聞いた瓜生夫妻の結婚記念の写真の事か。
「儀礼服、見た事があるのか?」
「海軍じゃないけどね。友達の旦那さんが結婚式の時儀礼服だったの。顔もいい人だったから出席した女の子は溜息の嵐だった……写真見る?」
「写真?」
「今あるのか」
他人の結婚式の写真を持ち歩いている?
意外に思っているとさつきは「あるよ」と頷き、ズボンの後ろポケットから電話を取り出して操作し始めた。
「電話で写真……」
「うん、前秋山さんとは話したんだけど、これがあれば大抵の事はできるよ」
さくさくと移り変わる画面を眺めている間に、はいと見せられた男女の姿。
じっと見入ってしまう程鮮明で、今更だが色がついている。未来の技術には驚きを禁じ得ない事ばかりだ。
それに。
「これは確かに……」
「美男美女だ」
「でっしょ〜この子仲間内で一番きれいな子。画面変えていい?それでこれが私の友達」
「うお、華やか」
「これは美人、揃いだな」
花嫁を囲む数人の中にさつきの姿を見つけ、秋山の言葉が一旦不自然に途切れた。
緩くふんわりと纏められた髪、鎖骨や腕が透けて見えるレース地の洋服を着ている。広瀬の知識の中にあるドレスや花嫁のそれとは違って随分とすっきりしたデザインだが、やはりドレスなのだろう。落ち着いた雰囲気を醸している。
(着る物や髪型で女は信じられん程変わる……)
(おお……)
一点をまじまじと見入る男ふたりに気付かないまま、さつきが目を細めた。
「あはは、かわいい子ばっかでしょ。でね、この子が秋に結婚するの」
ひとりを指差しながら暫く画面を見つめていたが、
「私、式に出席できるのかなあ」
小さな呟きに、広瀬も秋山も思わず口を閉ざしてしまう。
「……何か変わった事は?」
「ないですねえ……スマホは相変わらず変化ないし」
秋山の問いに答えて、ちろんと広瀬を見上げてくる。
「ん?」
「だから広瀬さんの出発がまた延期になるんじゃないかと思ってたり……?」
「勘弁してくれ」
「二度あることは三度あると言うしな」
「お前他人事だと思ってるだろう」
揶揄い口調の秋山に広瀬が毒づくように応じれば、「それは冗談だけどね」、さつきがくすくすと笑う。
「でもここまで何もないとスマホ云々は違うのかなと思い始めて。それに清流庵に通ってても何も分からないままだし。前に竹下さんが無理に帰る方法を探さなくてもいいんじゃないかって言ってたけど、それが正解なのかなあって」
「ああ、不可抗力で帰される、だったか」
「うん」
「しかしさつき……それでも不安だろう」
秋山が寄せる憐情にさつきは僅かに視線を落とした。
電話の画面に適当に指を滑らせながら、ああとかうんとか、答えあぐねるように小さく唸っていたが、
「まあ……ふたりとももうすぐいなくなっちゃうし……怖くないって言ったら嘘になるけど……八重さんたちが頼らせてくれてるから不安はあってもまだマシかな。……なるようになるって思ってるよ」
眉をハの字にしてまた笑った。
幸いにもこの借家の持ち主は自分たちの先輩の親戚で、さつきの移転先は清流庵だ。
職業に対する理解があったり事情を知っている彼等から、退去日も引っ越し日も変動的でいい、ギリギリでも構わないと融通を利かせてもらっていた。
特に清流庵の存在は大きく、状況がどう転んでも受け入れてくれるという安心感がさつきの気持ちを安定させている。
だから慌ただしく不安がある中でも、まあまあ呑気に笑っていられたのだ。
「……そうだな、きっとなるようになる」
「俺もそう思う。現にさつきさんは今までなんとかなってきているし」
「うん……だからきっと大丈夫って思ってる」
ふたりが心から同調すれば下手な慰めではないと分かったのだろう、さつきが気が抜けたようにへにゃんと相好を崩した。いじらしい。
「さ、ふたりとももう明日の準備してね。一週間近い出張だから荷物も結構あるでしょ」
明日から西日本への視察旅行で、それが終われば広瀬は日を置かず出国となる。
ほらほらと促されて立ち上がると、
「秋山さん、広瀬さん、写真本当にありがとう」
「ああ」
「こちらこそありがとう」
こちらを見上げながらゆったりと笑ってさつきが礼を口にした。
「広瀬、ちょっと」
写真に視線を戻す女を置いて居間を後に、自室に戻ろうとしたら秋山に呼び止められ、部屋に引き込まれた。
座れと言われて腰を落ち着けた所で差し出された封筒。
「俺たちで分けよう」
促されて中を改めると二種類四枚、先程とは違うさつきの写真が入っていた。
「どうしたんだ、これ……」
見ればどちらも少しずつピントがボケていている。
が。
くっそかわいい。
写真の中の女は何がそんなに楽しいのかと聞きたくなる顔で笑っていた。
それこそこの家で見る、口元を隠すこともしないいつもの笑い方。
もう一枚は振り向きざまの柔らかな花笑み。
(よくこんなのが撮れたな)
そう感じる、普段の一瞬を切り取った二葉だった。
「……どうしたんだ、これ」
「撮り損じの一部だ。まともに撮れたのはさつきにも渡した一枚だけ。この二枚はまあ見られるもの、後は完全なる失敗」
あれだけ撮ってさつき単体が一枚かとは思ったが。
理由はそれか。
「別嬪を前に緊張したんだと。手は震えるし何度もマグネシウムを燃やして、手間を取らせて悪かったと写真師に謝られた」
撮影時の空気を思い出したのか、秋山の表情がふっと柔らかくなる。
「さつき、写真館でも普通に接していただろう。挨拶もして言葉も丁寧で。何度注文を付けられて取り直しされても機嫌良く笑って応じた。やんごとない風の女が高飛車でもなく、最後は礼を言って頭を下げて引き上げた」
外見はどうあれ中身はいつものさつきだ。
撮影の合間も自分たちと笑い合っていたし、奥から物珍しげに撮影室を覗いていた写真師の妻子を手招きして、その相手すらしていた。
まさしく、いつものさつきだった訳だが。
「感じが良かったんだな」
「楽しい撮影をさせてもらって、その上眼福だったと。ただ失敗を重ねるわ仕事場に妻子は出てくるわで…職人として恥ずかしい、この写真はその詫びだと渡された」
多少ピンボケしてはいるがそれは着物の柄だけで、面貌は鮮明に写っていた。
廃棄するには惜しく、プロとして代価は貰えないが譲る事はできる。そういう事らしい。
「だが……俺とお前の分だけか?」
「……鳴かぬ蛍は辛いなと言われて渡された」
「は?」
つまりさつきに恋慕の情を秘めていると解釈された上での詫び。
「え、何、俺たちど、ぶふっ、同情されたのか」
スンと表情が落ちた秋山に広瀬は噴き出した。
写真師の一言に面食らい、苦虫を噛み潰したような顔で写真を受け取ったのだろうと容易に想像できる。
自分たちがどう見られるかの想像はしても、まさかそんな事を言われるとは流石の秋山だって思っていなかった筈だ。
「ふ、ふふ、そこまで言われて、どういう関係かは?」
「聞いてはいけないと思った様だな。それにさつきの事はお忍びだと。だから写真は何にも使わない、表にも出さないと向こうから言い出した」
そうなのか。
「あいつを困らせるとバチがあたりそうだと」
「あー……」
やはり運がいい。
あの写真師の様子に写真の利用について釘を刺しておく必要があると思っていたが、それなら必要なさそうだ。
しかしこの写真……
「……かわいいな」
「ああ………はーーっ……かわいい、くそ、かわいい……信じられるか、これが今居間にいる女だぞ」
突然の発言に驚いて広瀬は写真から顔を上げた。
秋山が開き直った。
珍しい姿が可笑しくて頬が震えたが、分かる。
広瀬には秋山の気持ちも、言いたい事もよく分かった。
「この女が作る飯を毎日食っている」
「掃除も洗濯もしてもらっているな」
「寝起きの顔も風呂上がりの匂いも知っている」
「胸は結構あるし、谷間にはふたつほくろがあった」
「はは、抱きしめて寝たこともあるな。柔らかいし肌も白いぞ」
「朗らかで優しい、思いやりがあって、」
「あの隣は居心地がいい」
「ああ」
広瀬の相槌ちに秋山は喉の奥で笑うと、ふーっと長く息を吐き出した。
「アレを帰さないといけないのか」
「仕方ない」
そうだ。仕方ない。
それにもし帰る残るの選択肢があったとしても、彼女は帰る事を選ぶべきだ。
まるで次元の違う豊かさの中で暮らしていた人間には、ここでの生活は辛いだろうから。
「もっと普通に会いたかった。広瀬の言う通りだ。神隠しの神も酷な事をする」
数ヶ月掛けて気持ちを動かした上で離別させる、神の所業とは思えない仕打ち。
同居人だなんてどうしてこんなに中途半端な関係にしかなれなかったのか。
進むことも引くことも出来ない。
「鳴かぬ蛍はあながち間違いでもないか」
そう応じれば秋山が視線を宙へと彷徨わせた。顎をさすりながら言葉を探して言い淀むようにしていたが、
「……完全に否定できないのが微妙な所だ」
「ははっ、俺もだよ」
聞かなくても分かっていた答えではあったが、秋山が至極真面目な声音で認めたので広瀬も正直に肯首した。
秋山とこう言った手合いの話をする機会は前にした一度きり、ほぼゼロに近い。
お互い独身主義を標榜し、男女の愛に時を割くつもりはないとしてここまで来たから余計に。
そんな自分たちがこんな話をしているのがいやに可笑しくてくすぐったかったが、数ヶ月掛けて行き着いた否定しようのない終着点だった。
「もしさつきが未来に戻れなかった時は……俺かお前だ。帰ってくるまでに何年掛かっても、それ以外の男は認めない」
「ああ、俺もそのつもりでいる」
恐らくさつきは帰れるだろう。
秋山も広瀬もそう予感している上での確認だった。
広瀬が口にした通り彼女は運が良い。強運だ。
だから何かあっても、決して彼女に不都合な事にはならないだろうという妙な確信がある。
彼女はきっと元の時代に帰る。
「………」
「………」
握った拳を軽く突き出せば、秋山も同じように拳を出してくる。
「独身主義者、敢えなく陥落だな」
「しかも手に入らない。地獄かよ」
ゴッとぶつけ合って声を上げて笑った。
limbo:リンボ(辺獄)。2022072320220115
天国にも行けないし地獄にも行けない。どこにも行けない
memo&res;(20220723)にちょっとメモ