狂サイボーグへの重大な手がかりを遂に掴みましたと、いつになく真剣な眼差しと声音で言ったとき、ジェノスは既に荷物を纏めていた。
そのとき、いろいろなことを簡単に忘れてしまう俺の頭が引っ張り出してきたのはずいぶん古い記憶で、ジェノスと出会ってまだ間もない、ある日のことを思い返していた。
狂サイボーグを討つ強さを求めるジェノスに一度「一緒に倒してやろうか」と言ったことがある。いまとなっては、その言葉が軽率だと理解できるが、いまになっても、それが一番いい提案のように思えるのは、自分贔屓の考えだろうか。そのときに俺が発した「一緒に倒してやろうか」という言葉はジェノスのくどくどとした長話にぐるりと巻かれてしまい、要約すれば、断られた。ところどころ抜け落ちている記憶の中で、断片的に覚えているのは「俺の戦いですから」「俺が背負うものです」「自分の力で倒さなくては意味がない」とかそんな19歳にしてはだいぶ覚悟を決めた言葉だった。
それをいま、ふつりと思い出していた。
「俺の戦いですから」
「俺が背負うものです」
「自分の力で倒さなくては意味がない」
いつかの言葉を頭の中で転がしてみる。
いくら遠くの記憶に意識を向けても、纏められた荷物、耳に入る声の低さ、膝の上に置かれた、硬く握った拳、それらから目を逸らすことはできない。
油断をすれば、ぼんやりしてしまいそうな心情だった。けれどジェノスはそんなのお構い無しというように、いま見せたばかりのいつになく真剣な様を容易に塗り替え、いつにない様の新記録を叩き出しながら「好きです。ずっと好きでした」と尋常ならざる面持ちで言う。
縋るような眼差しだった。
吐き出すような声であった。
どういう意味? なんて訊くまでもなく要はそういう意味で、俺は、気の利いた返しのひとつでも言えたらよかったけど、結局そう思うだけでなにも言えないまま一秒、二秒、せっかちなジェノスのほうが更に口を開いて「今だけ俺のものになってください」と言った。
うわぁ大胆、なんてふざけたように思いながら、現実では「うん」と、それしか言うことができなかった。
ジェノスはささやかな望みが叶えられたのに、笑うこともなく、出会った当初の硬質な面持ちで、機械の手を伸ばす。
そうっと、肩に手が置かれた。
小さな震えに気がつく。
やわらかい蜂蜜の瞳と目が合うが、眼光が和らぐことはなかった。
それでも、俺たちの距離は縮まっていく。
息を止めると同時に触れた温度は、とてもあたたかかった。
堅苦しい空気が蔓延するなかじゃ場違いなほど、唇で受け止める、サイボーグの唇はやわらかい。
息を止めたばかりなのに、もう、たまらなく苦しかった。
いつだったか指先で触れた頬も、こんなふうにやわらかかったっけ。あの頬にもう一度触れたい、今度はこの唇で。
ジェノスが目を閉じる気配を一向に見せないから、耐えきれなくなって俺が閉じた。
このまぶたの向こうではあの蜂蜜の瞳が見張るように俺をジッと見つめているのだろう。
そう思うと、僅かな気恥ずかしさ。けどこの芽生えたばかりの気恥ずかしさには慣れる暇さえ与えられないんだろう。ゆっくり唇をひらけばためらいのひとつもなくジェノスの舌が口腔内を暴くように撫でていく。
初めて触れる舌の感触も、覚える間もなくきっと消えていく。
肩に添えられた手にぎゅうと力が籠る。
じゃあ、抱き締めればいいのに。と、思った。
俺はいま、おまえのものなんだ。いま、俺はヒーローではない。ただのおまえのものでしかない。誰かが泣いていても慰めない。困っていても助けない。怪人が出ても倒さない。でもお前がひとたびなにかを望めばそれは叶えてやれるし、おまえだって俺のことを好きにしていいのだ。でも口には出来ない。だっていまその口は弟子のサイボーグに食われているし。それでなくとも、答えなんてもう。
常人であれば骨が砕けているのかもしれない力を一瞬加えられて、ふっと手の力が抜かれる。ア、と思うがそれだけだった。それがさびしさからきた「嗚」なのか続きに「い、してる」をつけたい「あ」なのか自分でもわからないのは、その先を考えないからだ。
力が抜かれて、手が離れて、なのに唇はまだ触れていて、でもそれもいま離れてしまった。絡み付いた舌がほどかれたとき開いた目が真っ先に映したのはやはりまばたきなど必要としない蜂蜜の瞳だった。
甘い空気なんかひとつもないキスも終わって「先生」と呼ばれて返事をしなかったのは、誤魔化せずに滲み出た俺の執着。でもジェノスは「ありがとうございます」と言葉を続けてしまって馬鹿俺が返事してないんだから喋るなよ先生の返事待てよ弟子だろ馬鹿ほんとばかと心でめちゃくちゃ詰って詰って詰っても、ジェノスはしゃべり続けてしまう。
「今の一度で、俺は満足です。先生、行って参ります」
みじけえよばかほんとばかなんだよもうしねよ、うそ、死なないで、と詰ってばかりもいられない心境になったところでジェノスが立ち上がる。
いつ帰ってくる? とかいつもの調子で訊いたら「2〜3日中には帰ります」とかいつもの調子で返してくれないかな。
ついていってもいい? って訊いたら子供みたいに張り切って「俺の勇姿を見ていてください!」とか言ってくんねぇのかな。
ジェノスがバカでかい荷物を持って廊下を進んでいく。ガシャンガシャンと歩くたびに機械の体が立てる硬い音に耳を澄ました。あんなにでかい荷物を持って、いったいどこまで行くんだろう。あの中に、この部屋にあったジェノスのすべてを詰め込んで、なにも残していかないなら、俺はどうなる。
短い廊下はすぐジェノスを玄関に送り、扉に手が掛けられる。
振り返るかと思ったが、振り返らなかった。だけど、一瞬は立ち止まって、そうして、そのまま、声もなく行ってしまった。
ひとりいなくなっただけでこの部屋はからっぽだ。
バタンと閉じた扉の音が空しく響いてからっぽの部屋をさびしくさせた。振り返らなかったジェノスを思って、纏められた荷物を思って、触れた唇を思って、薄れたと思った感情が泣きわめく。
行ってらっしゃいって言ってないのにいっちまうんだな。
最後のくせに一度も名前呼ばないんだな。
俺初めてのキスだったのにお前はそれを知らないままなんだな。
お前は一回だけでいいんだな。なのにお前のものにしたまま俺を解放しなかったね。
追いかけたい。俺が倒してしまいたい。俺ならそれができるのに。なんで、こんな時、俺を必要としないのか、俺は結局、お前のことがわからないよ。
「帰ってくるさ」
ジェノスが言わなかった言葉を俺が言ってもそれは約束になんかになりゃしない。
言わないよりマシ、なんてこともないし、却ってなんだか白々しい。全く信じられない言葉に頼りなさばかりがのし掛かり、呆気なく崩れてしまって、仕方がないからまた口を開いた。
「帰ってこいよ……」
だって、俺は、一回だけじゃいやなんだ。
タイトルは大森靖子ちゃん未発表曲より。
ライブで一回聴いただけなのでいまとなってはこういうフレーズがあったかも定かではないです。
たしか女子の友情問題的な曲のワンフレーズでした。
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