辿るその結末は



 ジェノスが俺のことを好きだと言うたびに「はあ」といった気持ちになる。これは諦めのため息でもあり、なにを言っているんだという呆れを表した音でもある。実際、思うだけでなく「はあ」と言うこともあった。「ふうん」とか「そう」とか、そんな言葉とも呼べない切れ端を零したのも一度や二度ではない。それだけジェノスは、飽きずに俺を好きだと言う。
 最初に好きだと言われたのはいつだったか。弟子入りを許してからしばらくは経っていたが、それにしたって早かった気がする。少なくとも、出会って間もないハゲの男に好きと言うには、いろいろと育む期間短いだろ、とか思っていたような……。
 記憶が定かではない辺り、俺にとってそいつはあまり重要な話ではなかったのだろう。それでも、いまよりはいくらか真剣に取り合っていた。
「お前にはもっと相応しい人がいる」
「そういう人と一緒にいて、ちゃんと幸せになってほしい」
だなんて、そんなありきたりな断りを、大して動かない表情で告げていた、はず。……まぁこれも、確実にそう言ったとは言えず、いまとなっては俺だったらそういうことを言うだろう、と曖昧な憶測が入り交じった記憶になっている。
 俺の真剣さとはどうにも瞬発的で、その時が過ぎてしまえばどれだけ真面目に取りあっていたって、あとは風化していくばかりだ。ジェノスのほうは瑣末ないろいろをいやにしっかり覚えていそうだが、こんなこと、蒸し返すような話でもない。
 いずれにせよ、あのときの俺は、ジェノスの諦めの悪さが、まさかここまでひどいとは思っていなかった。
 こいつの執着というものは凄まじい。
 というのも、俺がジェノス以外のやつとあんまり仲良くしたり、構ったり、果てはちょっと喋っただけでも、間に割って入ってくるくらいのことはふつうにするのだ。それも外面を気にしないジェノスは「不愉快、消えて」みたいなオーラをガンガン出して威嚇するから、相手が自称忍者だったりした場合には乱闘なんかも始まる。苦笑やら哀れみの目を向けられることも多々。
 もしジェノスが女だったら、きっといまよりひどかっただろう。感情をそのままに泣いたり喚いたり、ヒステリーを起こしそうだ。そうすると、まだ、ジェノスが男でよかった。男なら、最悪の場合拳で片がつくし。
 そう思っていても、これまで俺がジェノスの威嚇に対して拳を振るったことなんかはなく、ジェノスの「親しくしないでほしい」という気持ちに応え、首に紐でも括られて、自由に泳がされているような気分になっているばかりだ。
 好き合っているわけでもないのに、相手の思うように行動を制限されるというのはひどく不愉快極まりないはずなのだが、毎日ジェノス、ジェノスと名前を呼んで暮らし情が湧いたか、それとも好きだ好きだと言われ続け、多少なりとも絆されているからか、ジェノスの執着に対してはもう、はいはいわかりましたよ、という観念くらいしか感じない。
 とにかく、ジェノスが間に入ってきたら、そこで他人との接触は打ち止めとして、それ以上には進まないよう、俺のほうでも節度を守ってしまっている。そうやって、俺たちの均等は取れているように思える。
 どれだけぞんざいに扱おうと、記憶のなかに存在している「幸せになってほしい」という言葉は、不遇な人生をいまもなお送っているジェノスに向けられる一ばんきれいな真実で、だから、あんまり敵を作る真似はさせたくないのだ。なのに、ジェノスはその思いやりに溢れた感情だけでは事足りず、俺のなけなしの優しさに、色めいた情をやたらと付き纏わせたがる。
 そういうジェノスを俺はずっとわからずにいて、だからジェノスの持つ欲というものを前にすると、諦めや、呆れを覚えると同時に、たびたび困惑もしてしまう。
 ジェノスはどうして、強いばかりで人望も、愛想も、金もないハゲを欲しがるのか。
 俺たちは、このままでいたほうが、うまくやっていられる気がする。いつも俺はジェノスの意味不明な執着に、まともな言葉も返せずにいるのに。こんなやつのどこがいいのか。俺は執心されるほど自分に取り柄があるとは思えない。卑屈になっているわけではなく、正しい眼で、正しい見解をして、そう思う。


 就寝時間が近づく時分。目覚まし時計がカチコチと音を刻んでいる。テレビを消した部屋はとても静かで、話べたなくせに話たがりのジェノスもいまはじっと口を閉じ、筆圧が強めの音を立ててペンを動かしている。
 キングから借りたマンガをぺらぺらと流すように読んでいると不意に
「好きです」
「俺もずっと好きだった」
と愛を交わす男女が目についた。
 それは告白をしているのに別れのシーンで、なんとなく、それなら言わないほうが幸せだったんじゃないか思う。言わないなら、気づかないなら、無かったのとおなじなのに。
 これはまるで、ジェノスの告白のようだ。
 なにも始まらないのに口に出してしまう。「好きです」と言えばそれは俺のなかで「ジェノスは俺を好き」という事実として存在してしまう。恋なんてしたことがないからよくはわからないけれど、ふつう、そういうのは秘密にしておくものなんじゃないだろうか。
 少なくとも、同性であったり、肉体的な壁があったり、そういった恋なら、言わないほうが得策だろう。ジェノスは頭がいいから、そんなこと、わかっていそうなのに。
 いままで問題なく理解できていた吹き出しの文字が途端に滑り出す。いくつかコマを戻って読み直してもさらさらと流れていってしまい、ダメだった。ゆるく感じていた眠気が勝ったわけではないし、漫画の内容に頭がついていけなくなったわけでもなく、手のなかの文字が読み込めないのは、俺のなかのジェノスに対する疑問が、紙に描かれた物語より大きく育ってしまったからだ。
 たったひとりの、いつ褪せるとも知れない恋情なんかに頭を埋め尽くされるというのは、なんともいえない敗北感がある。でも、こういうことははじめてじゃなかった。夜の布団や、怪人を倒した後、頭からシャワーを浴びているとき、意識に隙を見せればそいつはすぐさま俺の頭のなかを自由に肥大化してぐるぐると動き回る。
 やっぱりもうダメだ、と思いマンガを閉じた。
 お行儀よく机につき、いつも通り教えてもいない「先生の教え」をノートに綴っているそいつをしばらく眺めてから「ジェノス」と声を投げれば、すかさず「なんでしょう?」と返され、一拍、ア、と思い、押し黙る。
 いま、なにを言おうと思って名前を呼んだんだろう。
 意味もなく呼んでしまった名前に、なにか意味を持たせようと閉じた口を開いたら、言葉は案外すらすら出た。

「あのさ、ジェノス。おまえ、どうしてずっと俺を好きでいるんだ? つまんないだろ。ちっとも靡かないし」

 掛ける言葉が他に無かったから、頭を占めてやまない、浮かびっぱなしの疑問を口にすれば、そういえばこれはずっと心にあったことなのに、一度も声にしたことがなかった、と気がつく。好きと言われて疑問を感じることはあっても、俺はそれを問うことがなかった。
 いつもは真っ先に口を開くジェノスが、机に視線を落とす。思いきりのいいこいつにしては珍しい動きだった。
 一瞬生まれた静寂の間に、俺は返事も貰わないうちから、この後なんて返せばいいんだろう、なんてことを考えて、白い部分が出てきた右手の爪先を見ていた。口の端にちいさく笑みを浮かべ、どこまでいっても不誠実な有様を、ひそかに笑う。せめてこんなときくらい、真面目でいられないのか。
 対してジェノスのほうは、常時歪みひとつない。「先生」と呼ばれ再び重なった視線は穏やかで、硬い体を持つサイボーグが、とてもやわらかに見えた。

「サイタマ先生を好きでいることだけが、俺の人生の楽しみなんです」

 時計の音も、外から聞こえる風の音も遠退いて、ジェノスの低い声だけが、しんみりと瞬刻部屋を満たす。
 言葉の意味を捉えたとき、俺はなんだか、ジェノスの人生というものを思って哀れな気持ちを抱いてしまい、かわいそうだから慰めてやろうか、なんて珍しい類の同情を感じたのに「実りのない人生だな」と結局いつものように、にべもない台詞を吐くに留まった。

「それは、どうでしょう。わからないですよ。これから俺のことを好きになるかもしれません」
「どうだか」
「好きになりますよ」
「どこからくるんだよその自信」
「どこでしょうね」

 思わず眉間に皺が寄り、目を細める。
 ふふ、とジェノスが軽やかに笑う。
 なにが楽しいのか、やはり俺にはさっぱり理解できないが、ジェノスがいまを楽しく過ごせているのなら、まぁ別に、それでいいか。
 俺がいくら哀れに思おうと、不思議に思おうと、ジェノスがそれを娯楽や道楽のひとつように楽しむのであれば、もう口出しのしようがない。口出ししたところで、どうにかなることとも思えないし、俺はただ、いままで通り師としてジェノスを大切に思い、向けられる好意をあしらったり、戸惑ったりするだけだ。
「ずっと好きですから」と放たれた言葉は蜂蜜のように甘ったるく、冴えた聴覚にまとわりつく。
「ふうん」と言ったつれない言葉のなかで果たしてジェノスはどうやって報われているのか。
 この関係に結末があるとして、辿るその先は何ひとつわからないけれど、あんなふうな告白をずっと聞かされていたら、或いはどこかで、ジェノスが求める間違いが起こるかもしれない。とは言っても、それもあと百年は掛かることだろうが。どうせこいつは待つのだろう。


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