第一章
星の剥片の墓標、03
のんびり安全運転すること五分ほどで、近所のスーパーに辿り着いた。
駐輪場には溢れかえるほどの自転車が停まっている。適当な隙間に愛車を無理やり捻じ込んで、冷房のかかったスーパーのなかでもさらに涼しい冷凍コーナーへ足を向けた。
「ア〜〜生き返る‥‥‥」
「アイス食べようよ。パピコでいい?」
「ん」と返事なんだか返事じゃないんだか分からない唸り声を上げた圭ちゃんは、わたしの後ろをダルそうについてきた。
「白いの? 茶色いの?」
「‥‥‥白いの」
「はーい」
白いアイスと氷の袋を手にレジへ向かう道すがら、ちらっと振り返ると彼は「ンだよ」と眉間に皺を寄せた。振り向いただけでそんな凄まなくてもいいじゃないかー。
「べつに。こうしてると圭ちゃんもあんまり『東京卍會・壱番隊隊長』って感じしないよね、と思っただけです」
「ワケわかんね」
わたしは隊長になる前から知っているからそう思うだけで、千冬くんとか、他の人から見れば立派な隊長さんなのかもしれないけど。
「圭ちゃん背伸びたよねー」
「フツーだろ。ドラケンがデケェだけなんだよ」
「それはまあ、そうですけど」
わたしがお釣りを受け取っている間にレジ袋を奪っていった圭ちゃんは、歩きながらパピコの袋を開けていた。
小走りで追いつくと、なんとも余裕な手つきで一本に分けたアイスを差し出される。
子どもの頃は、わたしも圭ちゃんもマイキーも上手くできなくて、真一郎くんに割ってもらったりしたのにね。
「ありがとー」
「‥‥‥‥」
氷を抱えるわたしたちは一分一秒も無駄にできない。
自転車の前カゴに氷を突っ込み、圭ちゃんの宿題などの荷物はわたしが抱えて、再び帰路を辿りはじめた。
‥‥‥のだが。
「よぉ場地」
ざっと前方を塞ぐ、不良が十人。
圭ちゃんは急ブレーキをかけ、わたしはバランスを崩してその背中に鼻をぶつけた。心底面倒くさそうに「誰だテメエら」と訊ねた彼に、不良たちはいきり立って怒声を浴びせる。
「忘れたとは言わせねぇよ!? 一週間前にオレの弟分が世話になったそうじゃねぇか!!」
「一週間も前のことなんか憶えてるわけねーだろ」
堂々と言うことじゃないけど、本当に憶えてないんだろうな。
その代わりわたしには、先頭切って圭ちゃんの前に立つ不良の背後に隠れた、不服そうな顔の少年に見覚えがあった。
「ねー圭ちゃん、あれだよ。先週のお見舞い帰りに東卍の縄張りでカツアゲしてた子だよ、あの子」
「あー、憶えてねーな」
東京卍會壱番隊の隊長としてかなり有名になった“場地圭介”という名前。
名前が売れて、彼自身が強くなっていくのに比例するように、圭ちゃんは無駄なケンカはあんまりしないようになっていった。もちろん、留年した学校生活に響くうえ、そうなるとおばさんが悲しむというのが大きな理由だ。
しかしその一方、相も変わらず、気に入らないことがあれば容易にぶっ飛んだ行動に出ることもある。
先週のこと。
徹夜でゲームをしたせいで不機嫌極まりなかった圭ちゃんを引っ張り出し、術後経過もよく病院で暇を持て余していたドラケンくんを訪ねた。その帰り道、寝不足でイライラしていた圭ちゃんの目の前で行われた、カツアゲ。
圭ちゃんは問答無用で殴り飛ばした。
「眠ィんだよ!!」と怒鳴りながら次々に不良たちを地に沈めるという、意味不明なケンカだった。ケンカというか圭ちゃんが一方的にぶちのめしていた。
多分こう、眠くてイライラしてるときにオレの目の前でダセェ真似すんじゃねぇとか、そういう意味だったのだと思う。‥‥‥多分ね。
「オイいい加減そこどけ。氷が融ける。あきママが待ってんだよ」
「どくわけねーだろーがナメてんのか場地!!」
今日はお遣いの使命を抱えているためスルーするつもりでいたようだが、生憎と相手方に引き下がる気配がない。彼らはずるずると物騒な角材やパイプを引きずりながら距離を詰めてきた。
圭ちゃんは項垂れて深い溜め息をつく。
わたしを荷台に乗っけたまま自転車のスタンドを掛けると、「二分で終わらせる」と言いおいて、そして──
跳んだ。
「ギャアアアア!!」
「おおっ圭ちゃんお見事」
飛び蹴りが炸裂し、角材を持っていた男が吹っ飛ぶ。圭ちゃんの開幕飛び蹴りなんて滅多に見られるものではない。脚技の華麗なマイキーと違って、彼のケンカは大体拳から始まるのだ。
ぐしゃっと潰れた男の上に着地すると、咥えていたパピコを右手に握り怒号を放つ。
「氷が融けるっつってんだろうが!! 殺すゾテメエら!!」
さすがの剣幕である。
東京卍會壱番隊隊長。隊編成が数字になる前は、純粋に『特攻隊長』だった圭ちゃん。
幼い頃から“無敵のマイキー”相手にケンカを売り続けてきた彼が、そこら辺の不良相手に後れをとるわけがない。
今日囲ってきた十人は、大人数でも武器を持っていても、たった一人素手の圭ちゃんには敵わなかった。
二分という宣言を大幅に短縮し、やっと一分が経ったかどうかという頃には、すでに半分以上が地面で呻き声を上げる羽目になっていた。
わたしはそろそろパピコを食べ終わりそうだ。圭ちゃんはケンカしながらとっくに食べ終わっており、ゴミをその辺に放り投げている。あとで拾ってゴミ箱に捨てなくちゃ。
「くっそおおおお!」
背後で声がした。
おやっと振り返ると、先週圭ちゃんにボコボコにされたカツアゲ少年が、わたし目掛けて掴みかかろうとしている。
切羽詰まって人質にでもとろうとしたのか。
──が、こめかみに核弾頭並みの蹴りを一発叩き込まれて、あえなく失神。
「マイキー!」
「なにやってんのー、場地にあき」
小さな体に見合わないほどの存在感を携えて、マイキーが立っていた。
その足元に伸びている少年をげしっと蹴りつけながら「よぉ」と手を上げるのは、スイカを片手に持つドラケンくん。お医者さんもびっくりの回復力で昨日退院したばかりだ。
圭ちゃんのほうも、ちょうど最後の一人が地面に倒れたところだった。
「ヨシヨシー、あき怖かったねー。場地の詰めが甘いせいでー」
マイキーが手を伸ばしてわしゃわしゃと頭を撫でくり回してくる。
犬か猫みたいな扱いだけど、危ないところを助けてもらったので文句は言わない。
「別に怖くはなかったよ」
「でも危なかったじゃん。ああいうときは場地を見捨ててチャリで逃げなきゃ」
「圭ちゃん強いし、大丈夫かなって」
「さっすがあきちゃん肝据わってる」
ヒュゥ、とドラケンくんが口笛を吹く。マイキーに続いてわしゃわしゃ撫でられた。
「ていうかマイキー、なにドラケンくんにスイカ持たせてんの! 駄目じゃない、退院したばっかりなのに重たいもの運ばせて」
「だーってケンチン体が鈍るって言うから」
「鈍るくらいで丁度いいでしょ、あなたたち二人は」
ドラケンくんの手からずっしり重たいスイカを取り上げ、マイキーの細い腕に押しつける。
すると「あー暑っちぃ! だから夏のケンカは嫌なんだよ!!」と、ケンカの疲労度は特に関係なく、夏の暑さのなか暴れまわって汗だくの圭ちゃんが自転車のスタンドを蹴った。あまりの勢いに落っこちそうになり、慌てて背中にしがみつく。
「帰るぞあき! 氷が融ける!」
「あ、いまからあきちゃん家にスイカ持ってくトコだからさー、場地も一緒に食おうぜー」
「三ツ谷も成瀬家に集合かけてるからー」
「わかった! あっ、そこのパピコのゴミ拾っといて! 圭ちゃんのポイ捨てなの!」
「ハイハイ」
ぶんぶん手を振ると、不良たちの屍のなかに仁王立ちしているマイキーとドラケンくんも手を振り返してくれた。
そこから自転車を飛ばすこと三分。
成瀬家の前には、マイキーに呼び出された三ツ谷くんがすでに待っていた。
「お、あきちゃんおかえり。花火持ってきたぜー」
「三ツ谷くん! やったー花火嬉しい! ちょっと待っててね!」
「‥‥‥場地はなんで疲労困憊なの?」
「ほっとけ!」
いまいる創設メン、全員集合だ!
パーちんがいないのは寂しいし、カズトラくんのことを考えると複雑だけど、やっぱり昔から一緒のメンバーが揃うのは嬉しい。
「お母さーん氷買ってきたよ!」
「随分早かったわね‥‥‥あら、圭介くんアシに使ったの? こんな暑いのに!?」
「いまからマイキーとドラケンくんとスイカがくるから切ってー。圭ちゃん三ツ谷くん上がっていいよ!」
「いまから!? もー、圭介くんゴメンね、暑いのに。隆くんいらっしゃい」
圭ちゃんは疲れたように笑って「いやオレらが氷食ったからなくなったんだし」と靴を脱いだ。三ツ谷くんも「お邪魔します」と会釈しながらやってくる。
その後ろから、駆け足で競争してきたらしいマイキーとドラケンくんが顔を出した。
パーちんが逮捕されて、八・三抗争があって、ドラケンくんが入院して、とにかく色々なことのあった夏だった。
海も花火大会も夏祭りも、全然みんなで行けなかった。
中学校生活最後の夏。
でも最後にみんなで一緒にわいわい騒げたから、それだけでもうじゅうぶんだ。
──ここからまた一人いなくなってしまうなんて、このときのわたしは当然、考えてもいなかったのだけれど。