あきは嘘つきだ。


 非力で、誰かを傷つけることもできないくせに、それなりに強いオレたちを守ろうとしていつも嘘をつく。


「怖いのは圭ちゃんが一人で無茶して苦しい思いをすることだけ」


「千冬ぅ」
「‥‥‥ハイ」
「あきに言っといてほしーんだけど」
「い、‥‥‥イヤですよそんなの、自分で言ってくださいよ。あきちゃん、怒りますよ」

 あんなヤツ怒ったって全然怖くねぇよ。いつものボケッとした顔が、ほんのちょっとだけ険しくなるだけだ。
 なのに不思議と誰も逆らえなくて、オレだって昔っから、あきが「圭ちゃん!」と目を吊り上げるのに反論できたためしがなかった。マイキーだって、エマだって。みんなそうだ。


 なあ、あき。
 あんま泣くな。
 オマエはずっと平和な顔してろ。


 あの、バカ。油断しやがって。芭流覇羅のアジトにオマエを見つけたとき、こっちがどんだけ驚いたか知らないだろ。
 千冬のおかげで殴らなくて済んで、本当はらしくもなくほっとした。
 でも、痛かっただろうな。怖かっただろうな。たまにこっちが唖然とするくらいのクソ度胸を発揮するけど、基本フツーのヤツだから。おい場地圭介、って叫ぶあの声が、何日も耳にこびりついて離れなかった。

 気絶するほど傷ついたくせに。
 一人でオレなんかに会いに、来て。
 本当、ばかなやつ。

 ──でもあの薄暗いアジトから連れ出したあとの、意識をなくしたあきの泣き顔が、最後にならなくてよかった。
 ──バナナマフィン投げつけてオレに文句言う、
 拗ねたような、平和な顔が最後なら、
 まあ、上出来だ。

 だよな、真一郎くん。


「ひとりで無茶しちゃダメ。約束だよ」


 ああ、でも、あき。
 やくそく、破ってごめんな。
 おまえはなにも、しらなくていいけど。


「‥‥‥ペヤング食いてぇな」

「‥‥‥買ってきますよ」

「半分コ。な」


第二章
強く優しく美しく、09




 家の前で抱き合ったまま動けなくなったわたしたちは、買い物から帰ってきたお母さんをびっくり仰天させた。
「あらまあ、どしたの万次郎くん」と目を丸くさせたお母さんに背中を撫でられ、なんとか立ち上がったマイキーをお風呂場に放り込む。温かいシャワーを浴びせながら特攻服の上衣を剥ぎ取って、髪の毛も解いた。血が、浴室のタイルでお湯と混じり合う。

「マイキー、着替え持ってくるから、とりあえずシャワー浴びて、傷口も洗お」
「‥‥‥‥」
「なんでこんな怪我‥‥‥、誰とケンカしたの、頭ばっかり、ひどい」

 手がガタガタ震えていた。
 ゴメンと謝ったまま口を利かなくなった傷だらけのマイキー。嫌な予感がする。こんな風に口を閉ざすなんておかしい。ケンカで怪我するのなんて日常茶飯事だ。怪我程度のことで、マイキーはこんなふうに打ちひしがれたりしない。
 もしかして。
 ──もしかして。

「っ、マイキー! 自分でちゃんとやって! ズボン脱がすよいいの!?」

 背筋に張りつく悪寒を振り払うように叫ぶと、マイキーはまた、くしゃりと顔を歪めて泣きはじめた。
 わたしの声を聞きつけたお母さんが「あき」と手招きをする。わたしもぼろぼろ涙を零しながら浴室を出て、血が滲みてしまったソックスを脱いだ。

 マイキーをお風呂場に残し、リビングに戻る。救急箱を用意したお母さんはわたしの両肩をぽんと叩いた。

「しっかりしなさい。万次郎くんを追い詰めちゃだめ」
「だって、マイキーあんな怪我して、ゴメンって‥‥‥」
「あんな怪我して、あんなふうになっても、まずあきのところに来てくれたんだよ。万次郎くんの手当てをしたらお母さん出かけるから、落ち着いてお話ができるようになるまで、ちゃんと待ってあげなさい。できるよね」

 唇を噛みしめて、こくりとうなずく。
 シャワーの音だけが響いてくる浴室を横目に階段を上がり、自室で制服を着替えた。携帯を取り出して、震える手で圭ちゃんの連絡先を呼び出す。大丈夫。出る。圭ちゃんは出てくれる。いつもみたいに。


 でも、何度鳴らしても、圭ちゃんは出なかった。


 ようやくシャワーを浴びて出てきたマイキーの怪我を手当てして、お母さんが出かけて、帰ってきて、お父さんも出張から帰ってきて、日が暮れて、それでも圭ちゃんは電話に出なかった。マイキーはわたしのベッドの片隅にうずくまったまま一言も喋らなかった。

 そして夜遅くに、圭ちゃんママから電話がかかってきた。
 リビングの電話が鳴って、お母さんが出て、「あき」と呼ばれる。「圭介くんのお母さんから」と受話器をくれる表情は強張っていて、ああ、とわたしはその時点でもう泣いていた。


▼ △ ▼



 圭ちゃんママは夜遅くに電話してごめんねと謝ったあと、圭介死んじゃったの、と言った。

『おっきなケンカに巻き込まれて、ナイフで刺されただの自分で刺しただの、ちょっとよくわかんないんだけどね』
『ごめんね、あきちゃん』
『カレンダーとか色々な都合で、お通夜が十一月二日の夜七時で、告別式が三日の十時から。明日の夕方には近所の葬儀会館に入るから』

『あきちゃん、よかったらゆっくり圭介に会いに来てやって』




 一睡もしないまま朝を迎えた。

 夜のうちに、携帯電話には東卍のみんなから連絡がきていた。申し訳ないけど返事はできなかった。ドラケンくんとだけ連絡をとって、圭ちゃんに会いに行くことを伝える。
 その行き帰りはドラケンくんが送ってくれることになった。

「マイキー、昨日泊まったのか」

 玄関先に揃えてあるマイキーのブーツを一瞥し、彼はぽつりと訊ねる。わたしの部屋がある二階を見上げたけれど、会っていこうとはしなかった。

「うん」
「‥‥‥どうだ?」
「べつに、ふつうだよ。ごはん食べないし、一言も喋らないし、一晩中起きてたけど、怪我は消毒したし、シャワーは浴びたし、死んではない」
「あきちゃんも起きてたんだろ。目が赤い」
「うん、なんか、眠れなくて」
「‥‥‥当然のこと訊いたな。悪い」

 それからはお互い口を閉ざした。
 彼は何があったのか語らなかった。まだ、語る言葉を持たなかったのかもしれない。わたしもまた訊ねなかった。訊いたところで、冷静に聴けない。

 ドラケンくんは会館の手前で立ち止まり、帰るときまた来るから連絡して、と手を振った。
 会館の入口に書かれた案内に従って控室を目指す。家を出る前に電話した圭ちゃんママは、バタバタ出入りしてるから勝手に入っていいよ、と言ってくれた。場地家控室、ここだ。

 圭ちゃんは、控室に敷かれたお布団に寝ていた。
 顔にはケンカの痕が残っていたけれど、いつもの圭ちゃんだった。でも布団や服で隠されたその脇腹にはカズトラくんに刺された傷があり、腹部には自らナイフで刺した傷があるという。

 寝顔となんら変わりない。
 今にも起きて「ア〜腹減った」とか「ペヤング食いてぇな」とか言いそうだ。
 むしろ、生きていた頃より穏やかな顔かもね。

「いつも、言ってたのに。怪我したらすぐ治療しなさい、って」


 六人とひとりで始まった東卍だった。
 圭ちゃんが、一人ひとりがみんなのために命を張れるチームにしよう、って言ってできたチーム。
 パーちんは逮捕された。カズトラくんも。圭ちゃんはもう二度と会えない。あんなにも東卍を愛していたこの人に、二度と。


「なんで‥‥‥刃物で刺されて暴れ回るかな、どいつもこいつも。すぐ止血して病院に行ってれば絶対助かったよ。ドラケンくんみたいにさ、手術してもらってしばらく大人しく入院してさ、わたし毎日お見舞いに行って、きっと圭ちゃんに説教するんだよ」


 ぺた、と髪や額や頬に触れる。
 つめたいからだ。
 悪態ばっかついてた口。
 ころころ表情を変える目。


「圭ちゃんは鬱陶しそうに『あーウルセェ』って言って、それでまたケンカになって、仲直りして。退院しても懲りずにケンカして、そうやってずっと、わたしたち大人になっていくんだと‥‥‥」


 そうやってずっとわたしたち、大人になっていくんだと。
 そう、信じて疑ったことなど、一度もなかったのに。


「命よりだいじなもの、あの場所にあったのか、ばか。ばかケースケ」


 あれほど強くてかっこよかった真一郎くんさえ頭部への一撃で死んでしまったこの世界で、あの人なら大丈夫この人なら大丈夫、なんて奇跡はあり得ない。
 人は死ぬときは死ぬ。
 痛いほど知っているはずなのに。


「言い返してよ、もう、どれだけ口悪くても、泣いたり怒ったりしないから」


 ぽたぽたと涙が零れて、圭ちゃんの胸元に滲みをつくった。



「助けてって言えよ」



「痛いよ、圭ちゃん」



「聞こえねーぞ泣き虫!」



「圭ちゃん、たすけて‥‥‥」





 ──二〇〇五年、十月三十一日。

 東京卍會 対 芭流覇羅の大抗争は、東京卍會の勝利に終わった。
 死者一名、逮捕者一名を出すという悲惨な顛末はニュースや新聞でも大きく取り上げられた。


 この抗争はのちに“血のハロウィン”と呼ばれる。




前へ - 表紙 - 次へ