「ねえねえあきちゃん、今日の帰りカラオケ行かない?」

 帰りの会の準備をしていると、隣の席のクラスメイトに肩を叩かれた。
 今日は別段マイキーたちとの約束もなければ、習い事もない。加えて最近の東京卍會は小競り合い程度しか起きていないため実に平和だ。
 来月にはマイキーのお誕生日があるから、下見がてら寄り道でもしようかなぁなんて考えていたところだった。

「うん、行く」
「やった。じゃああとでね!」


Lady Justice;1




 カラオケの面子は同じクラスの男女六名だった。わりと気心知れた仲の顔ぶれだったので、久しぶりのカラオケにうきうきしながらみんなと一緒に学校を出る。
 一応マイキーに《今日クラスの子とカラオケ行ってくるね》とメールはしたけれど、最近はとんと平和なので本当に念のためだ。東卍結成後、最初に拉致されて以降、学校帰りに圭ちゃん以外と寄り道するときは報告するのが決まりごととなっている。ややあって《りょーかい》と返事がきた。

 駅前のカラオケボックスに行くということで、途中で公園を通り抜けることになった。
 遊具だけじゃなくて広場や噴水もあるような大きな公園だ。夜には渋谷を棲家とする不良やギャルの溜まり場になっている。東卍より上の世代の人が多いからわたしはあまり利用しないけれど、クラスの子はよく通り抜けで使うらしい。

 わたしたちと同じように学校終わりのヤンキーたちがベンチに座っている。噴水の近くには、ラジカセを持ち込んで音楽を流しながらダンスの練習をする少年少女とその観客。ナンパ待ちのギャル。彼女たちに視線を送る男の人。

 雑多でどこか厭世的な、渋谷の夕方。

「夏休み、どっかオープンスクール行く?」
「行くよー。今年の夏休みは塾とオープンスクールしか予定ないよ‥‥‥」
「あー、去年もっと遊んどけばよかったよなぁ」

 中学三年生なんだから受験の話題になるのは当たり前なのに、こんな渋谷のごみごみした空気のなかにいると、なぜか場違いに感じてしまう。
 やがてダンスチームのヒップホップが遠ざかっていくのとすれ違うようにして、ワアワアと物騒な歓声が聞こえてきた。

「‥‥‥なに、この声? なんか試合でもやってるの?」

 こてりと首を傾げると、友だちが顔を顰めて「違う違う」と首を振る。

「不良がケンカやってんの。ここんとこ毎日だよ。一対一を大勢で観戦してぎゃーぎゃーいってるんだよ」
「うるさいし怖いし最悪だよ。ケンカするならよそでやれって感じ」
「へぇ‥‥‥」

 そう言われてみれば確かに。「ビビッてんじゃねぇよ」とか「殺せ殺せ」とか、わたしには耳慣れた野次が飛んでいる。

「タイマンをみんなで観戦してぎゃーぎゃー、か」
「大丈夫だよ成瀬さん、あいつらうるさいけど、素通りしてれば突っかかってこないから」

 眉間に皺を寄せると、怖がっていると思ったのか、男子のひとりが微笑んだ。気遣いを無碍にするのもあれなので、そうだねとうなずいておく。

 ‥‥‥なんだか嫌な感じだな。
 そもそもこの辺りはとっくの昔に東卍の縄張りのはず。そんな見世物みたいなケンカ、誰がやっているんだろう。訝しく思いながら野次に耳を澄ましていると、「オマエに千円賭けてんだよ!」という言葉が聞こえてきた。

 賭け‥‥‥。うーむ。
 あんまり首を突っ込むのもよくない、と、思うんだけど。
 でもそのタイマンが、例えば不良じゃない子を無理やり戦わせているとか、一方的な弱いものいじめになっているとか、本当にお金を賭けているとか──ましてや東京卍會が関係しているとしたら、ちょっと見逃せないかも。

 みんなに合わせてその不良たちを迂回し、公園を出ようとしたところで、わたしはぴたりと立ち止まった。「あっ‥‥‥」なんて、我ながらわざとらしい声を上げながら。

「しまった。お財布、学校に忘れちゃった。ちょっと取ってくるから先に行ってて!」
「ええっ。大丈夫、一緒に行こうか?」
「平気! わたしのことはどうぞお気になさらず!」
「ちゃんとあのケンカ避けて行くんだよ? 部屋番号メールするから見ておいでね」
「はーい!」

 心配してくれるみんなに手を振って来た道を戻り、じゅうぶん遠ざかったところでくるりと方向転換、野太い歓声が上がる場所に近づいていく。
 ああいう不良がナメるのは正にわたしみたいな地味子だから、道すがらにスカートの丈を上げて、お下げにしていた髪は解いて右肩に寄せて、ネクタイを緩めて第二ボタンまで外して、スクールバッグは持ち手をリュックみたいに肩にかけて、と。
 エマちゃんを参考に即席ギャルの完成だ。

 わあわあと騒ぐ不良たちの背中の間から顔を覗かせる。
 ちょうど金髪の男の子が、相手に顔面パンチを喰らってぶっ倒れたところだった。

「怪しいところだなぁ。一発KOされてるけど、一応金髪リーゼントだし」

 小さく零すと、隣に立っていた赤髪の男の子がわたしを見つけて両目をカッ開いた。

「おい、女がこんなとこで何してんだよ。危ねぇぞ!」
「ねえ、これって何してるの?」
「何って‥‥‥喧嘩賭博、だけど」

 喧嘩賭博。わたしはこっそり顔を顰めた。こっそりじゃなかったかもしれない。

「主催者は誰?」
「なんでそんなこと訊くんだよ、──いいから離れるぞ!」

 やたら焦った様子の男の子に腕を引かれた。どうも今の試合で終わりだったらしく、お金のやり取りが始まり、早い人は引き揚げようとしている。ちらりとお金を数えている後ろ姿が見えたけれど、不良は大体同じような髪型なので誰かまでは特定できなかった。
 大柄で筋肉質で黒髪。なんとなく見覚えはある。

「アッくんどうした!?」とこっちを見たツレ三人も引き連れて、わたしたちは公園の外れまでやってきた。
 喧嘩賭博に参加していたメンツが周りにいないことを確認すると、アッくんと呼ばれた彼はわたしの手を放してぎゅっと顔をしかめる。

「あんなトコに女一人でいたら危ねぇに決まってんだろ!?」
「‥‥‥えっ?」

 ‥‥‥い、いい子だなぁ‥‥‥。
 喧嘩賭博なんかに参加しているくせに、見ず知らずの女子を心配して説教とは。もしかして彼は、望んでいないのに引っ張りこまれてしまった側なのだろうか。笑いながら「ゴメンね」と謝ると、わたしのほうに漂う謎の余裕を察してか、アッくんはぐっと黙った。
 アッくんの友だちは三人。東卍のツッパリ具合に較べると可愛らしい感じがする。

「ところであの喧嘩賭博って、誰が呼び掛けてるの?」
「渋谷三中の‥‥‥キヨマサだよ」

 吐き捨てるように答えたのは、眼鏡をかけた小柄な男の子。

「キヨマサ‥‥‥ああ、参番隊かぁ。どうりで見覚えがあると」
「知ってんのか?」
「知り合いの知り合いってとこ。賭博っていうからには、お金を賭けてケンカしてるんでしょ。毎日なの?」

 訊ねながら、わたしはワイシャツのボタンをかけて、ネクタイを結び直した。スカートの長さを元の位置に戻して、解いた髪を二つ結びに。あっという間に地味子に戻ったわたしを見て、アッくんたちはぽかんとしている。

「あ、ああ、そうだけど‥‥‥」
「ていうか、何者?」

 こっくりうなずいた黒髪の男の子と、こてりと首を傾げる茶髪ロン毛の男の子。物言いたげな彼らの視線は肩を竦めて躱した。

「わたしが覗き見したこと、内緒にしておいてね」

 人差し指を立ててしーっとすると、アッくんは「お、おう」とうなずいた。

「心配してくれてありがとう。もし何かあったら、壱番隊に声かけておいで。東卍の“法”と話がしたいです、って」
「とーまんのほう?」

 揃って首を傾げる彼らに手を振って、わたしは公園を駆け抜けた。
 早くカラオケに行かねば!


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