Lady Justice;2




 クラスのみんなと合流して、お手洗いに抜けるふりしてトイレでメールを新規作成した。宛て先はもちろんマイキーで、内容はキヨマサ主催の喧嘩賭博のこと。

 渋谷三中の清水将貴は参番隊、パーちんぺーやんのとこの子たちだ。三中では番を張っていると聞いたことがあるけど、東卍のなかでは新入りのほう。体が大きくて威圧感もあるし、不良らしいといえば不良らしいが、いつも群れで動いている印象がある。
 集会で顔を見て知っているけれど、直接喋ったことは勿論ない。

 かこかこと簡潔に見聞きしたことを報告して、わたしは部屋に戻った。

「おかえりあきちゃん! 次あきちゃんの『さくらんぼ』!」
「わー! セーフ!」

 ‥‥‥そういえば、一発KOされてた金髪リーゼントの子、大丈夫だったかな。
 アッくんに引っ張られてつい逃げちゃったけど、目が覚めるまで面倒見てあげたほうがよかったような気がする。喧嘩賭博なんて見世物は盛り上がってなんぼだろうから、あんな(言ってしまえば)情けないケンカ、主催側は堪ったものじゃないだろうな。

 マイクを握ったり、タンバリンを鳴らしたりしながらも、わたしの頭のなかは東卍のことでいっぱいだった。


 カラオケを出た頃には六時半を過ぎていた。
 歩道の向こうから不良が道幅を広げて歩いてくるのが見えたので、わたしは友達の腕をとって、ぶつからないよう道端に寄った。東卍の顔見知りなら幅を取っていることを注意するけれども、そうじゃないから避けて通る。

 女子たちは問題なくやり過ごしたが、すぐ後ろにいた男子たちはすれ違いざま手が当たってしまったらしい。

「イッテェな!」とお決まりの因縁をつけたあと、不良たちは女子三人に目を移した。
 わかる。このあとの展開、手に取るようにわかる。伊達に長年マイキーたちと一緒にいない。Wイッテェな〜手が折れちまった〜慰謝料五万円な! それとお詫びにW

「お詫びにこっちの女子三人につきあってもらおっかな?」

 は───、とわたしは内心、天を仰いだ。

 見たところ、高校生だ。不良校で有名な工業高校の校章が入ったネクタイをしている。ばちばちにケンカするというよりちょっとチャラいだけの五人組と見た。性質で言えばキヨマサのほうがよっぽど悪い。
 なんて冷静に分析しながら、わたしも慣れたもんだ、と自分に呆れる。

「オレらこれからカラオケ行くとこなんだけど、女子いねぇとやっぱ華がねーじゃん?」
「ホントそれよ〜。男ばっかでムサ苦しくってさ〜奢るし〜」

 わたしの腕にしがみついて半泣きの友だちを見やって、なんだか罪悪感が湧いてきた。これっぽっちもわたしのせいではないけど。
 渋谷だし、誰か東卍の子が通らないかなぁ。通ってないなぁ。渋谷駅前って、とりあえず行けば誰かがいるだろと不良やギャルの巣窟になっているわりに、肝腎なときに誰もいないもんだ。
 しょうがない。

「クラスメイトがぶつかってしまったのは悪かったですけど、わたしたちもう家に帰らないといけないし、カラオケはさっき楽しんできたところなので、ごめんなさい。失礼します」

 はきはきお断りを入れて、ぺこりと頭を下げ、くるりと踵を返す。スピード感が大切だ。行こ、と怯えている男子の腕を掴んで背中を押すと、「ちょい待てって」と肩を掴まれた。

「いいじゃーんカラオケ行ってきたとこならゲーセンとかぁ」
「どこ中よ? 名前教えて?」

 そのしつこさに恐怖を感じてか、男子たちが真っ青になる。
 これがマイキーなら一発蹴りが入って終わるし、ドラケンくんならぶん殴って吹っ飛ばすし、圭ちゃんは顔面に正拳、千冬くんは飛び蹴り、パーちんぺーやんなら舌戦のちコブシ、三ツ谷くんはわりとスマートに切り抜けそうだけど、クラスメイトの彼らはこれっぽっちも不良なんかじゃない。
 そうか、普通はこういう年上の男の人たちって怖いものなんだ。自分の感性の偏りっぷりを実感した。

 わたし一人なら脱兎の如く逃げ回れば済むけれど、そうもいかないし。
 さてどうしようかな。
 ──と眉を下げたところで、低い唸り声が聞こえてきた。

「オイ」

 ぴりっ、と緊張感が奔る。
 クラスメイトたちの間を割るようにして、悠然と姿を現したのはドラケンくんだった。


「オメーら誰のヨメに絡んでんだよ」


 いかつい長身に纏うトライバル柄の上着、金の辮髪、龍の刺青、泣く子は黙るし凄む不良も引き下がる、我らが東京卍會副総長!
 わたしの肩を掴む腕を捩じり上げ、蟀谷に青筋を浮かべてメンチを切るドラケンくんに、高校生たちは真っ青になった(ついでにあまりの迫力にクラスメイトたちも顔面蒼白になった)。

「ど‥‥‥ドラケン!?」
「マジかよこいつ、ドラケンの女かよ!」

 待って、とんでもない誤解が生まれた!
 ドラケンくんも両目をカッ開いて「あァ!?」とドス交じりに凄んだが、そのときにはすでに高校生たちは逃げ出していた。誤解を誤解のままに。

 呆気に取られてその後ろ姿を見送り、ドラケンくんと顔を見合わせる。

「‥‥‥なんでこんなとこいるの?」
「マイキーがあきちゃんに話聞きてぇって言うからよー。この辺りのカラオケ屋の前ブラついて待ってた」
「わ、ごめん。電話してくれてよかったのに」
「いーよ。たまにゃクラスメイトと遊ばねぇとな」

 にかっと笑ったドラケンくんが大きな両手をぱかっと広げて、わたしの頭をわさわさと撫でまわす。ケンカ上等な男の子の力加減は大雑把で、わたしは思いっきり体ごと揺さぶられた。力が強いなぁもういつものことだけど!

「チャリそのへんに停めてっから送るぜ」
「わかった!‥‥‥ごめんね、びっくりしたよね。小学校の頃からの友だちなの」

 硬直しているクラスメイトたちを振り返ると、「へ、へぇ」「友だちかぁ」とまだ若干ぎくしゃくしていた。

『東京卍會副総長のドラケン』という名前は、渋谷の中学生なら大体が知っている。そもそもドラケンくんは小学生の頃から有名人だった。
 別に不良じゃない生徒だって、同じクラスの不良から名前を聞いたり噂を聞いたり、内輪の掲示板で話に上がったり、そういうところで彼の名前を聞く機会があるのだ(わたしもたまに噂を耳にしては、知らないふりして「へ〜〜」とうなずいていた)。

 クラスメイトたちに帰宅を促し、わたしはドラケンくんの自転車の荷台に腰掛ける。

「もうこの時間だし一旦家まで送るな。んでオレらも晩飯食ったらあきちゃん家に行くから、そんときに話聞かせてくれよ」
「わかった。助けてくれてありがとね」
「おー。つかあきちゃんってなんか絡まれやすいよなー。エマが心配すんのわかるわ」
「今日のは男子がぶつかっちゃっただけだよ。でもなんだろうね、隙があるのかな?」

 行動範囲の渋谷に不良が多いっていうのは勿論あるけれど、確かに彼の言う通り、普通の子に較べると絡まれがちかもしれない。マイキーの関連を抜いてもけっこうな回数になる。

「あきちゃんってケンカできねぇわりに不良に慣れてて、たまにクソ度胸発揮するもんなぁ。絡まれても堂々と言い返しちゃうしよ」
「だって、大抵の不良よりキレてるマイキーのほうが怖いし、圭ちゃんのほうがやることぶっ飛んでるし」
「言えてんな。でもアレよ、ちゃんと相手と状況見て言い返さねぇとダメよ?」
「ふふ。はーい、わかってるよ」

 ドラケンくんの大きな背中につかまって、きこきこと音を立てる自転車に揺られることしばらく、わたしの家に到着した。
 東卍の隊長たちはいつものファミレスにたむろしているので、ドラケンくんも今からそっちで晩ご飯を食べるらしい。トンボ返りさせるのが申し訳なくて謝ると、「慣れてるって」と笑って颯爽と去っていく。かっこいい。

 そうして夕飯を食べたあと、自室で今日の宿題を終わらせた頃に、バイクを転がしマイキーとドラケンくんがやってきた。

「飲み物持っていくから上がってて。お茶でいいよね?」
「おー。手伝うか?」

 と気を遣ってくれるのはもちろんドラケンくんで、マイキーはすでに「おっじゃましまーす」と階段を上がっている。いつものことなので気にしない。
 ドラケンくんも先に上がってもらって、お茶を三つ用意して部屋に向かうと、マイキーはわたしのベッドに転がって猫ちゃんのぬいぐるみと戯れていた。圭ちゃんと千冬くんがUFOキャッチャーで取ってくれた子で、マイキーのお気に入りだ。

 そんな総長を放っておいて、床に胡坐を掻いているドラケンくんが身を乗り出す。

「んで? 喧嘩賭博ってどういうことよ」
「うん。駅からちょっと離れたところに白崎公園ってあるでしょ。どうもそこで毎日放課後集まって、適当な子に一対一やらせて賭けてるんだって」
「くだらねぇこと考えるやついんなぁ」
「元締めは参番隊のキヨマサで、集まってる子たちも参番隊っぽかったな。ケンカさせられてるのは下っ端で、あんまり強くなさそうな子だった。クラスメイトたちも知ってて、うるさいし怖いし迷惑してるみたい」
「どうするよ、マイキー?」

 とマイキーを見やると、猫ちゃんを抱きしめたまますこすこ寝息を立てていた。

「「寝てるし」」

 右手チョップをお腹にビシビシ叩き込む。おやすみ三秒はいつものことだし、わたしのベッドを占領するのもよくあることだから、起こすのも慣れたものだ。
 んん、と唸り声がしたので勢いよくマイキーの体を揺さぶる。あとはもうしつこく話しかけるだけだ。

「ねえちょっとマイキー聞いてたの?」
「きーいーてーたーよー」
「わぷ」

 さすがに鬱陶しくなったのか、マイキーが猫ちゃんを顔面に押しつけてきた。うちに来るたびマイキーに抱きしめられている猫ちゃんは、ほんのちょっと佐野家のにおいがする。
 ごろりと寝返りを打って頬杖をつき、不愉快そうに唇を尖らせた。

「明日の放課後、行くかぁケンチン」
「おう。なに考えてんだか知んねぇけど、放置するわけにもいかねぇわな」
「あきはお留守番ね」
「はーい」

 猫ちゃんを抱きかかえてこっくりうなずく。言われなくとも、確実にマイキー直々の制裁となるであろう不憫な顛末など、見ないでやるに越したことはない。
 マイキーは眠たそうに欠伸をして、ぽふ、と枕に顔を埋めた。

「あーオレもうこのまま寝る」
「何言ってんだマイキー帰るぞ」
「そうだよ。明日も学校だし、第一着替えがないでしょ」
「あきちゃんそこじゃねぇから」

 ツッコミに忙しいドラケンくんは駄々をこねるマイキーの首根っこを引っ掴み、犬猫を摘まむようにしてベッドから引きずり下ろした。眠くてぐずる子どもみたいな総長をおんぶして、階段を下り、家を出てバブに跨らせる。
 いくら佐野家まで近いといっても運転させて大丈夫なのかなぁ。
 頬っぺたを両手で挟んで「マイキー?」と顔を覗き込むと、妙にぶーたれた様子の彼はぐりぐりと肩口辺りに額をこすりつけてきた。
 パーちん家のポチがドラケンくんに懐くときと同じ仕草だ。
 犬‥‥‥犬だ。

 でもなんとなくマイキーが機嫌を損ねている理由もわかるので、夜の闇にも浮かび上がる金髪に指を差し込み、わしゃわしゃと撫でまわした。

「明日の放課後、おつとめ頑張ってね。“総長”」
「‥‥‥ん」
「学校終わってから塾始まるまで時間あるから、たい焼き一緒に食べよ?」
「ん〜〜〜頑張る」
「よし。おやすみ! ドラケンくんも」

「おー、おやすみ」と苦笑したドラケンくんがゼファーのエンジンをかける。心なしか控えめな排気音とともに、二つのテールランプは住宅街を駆けていった。


 東京卍會の構成は現在、一隊約二十人が伍番隊まで。ネームバリューのわりに小規模だけれど、暴走族全盛期ではない平成のご時世にしては人数が多いほうだ。
 これくらいの規模になってくると、マイキーの目の届かない末端の隊員が、勝手に東卍の名前で他を威圧したりパシリにしたりと勝手しはじめる。そういう乱暴を気にしない暴走族ならそうやって勢力を拡大していくのも手だけれど、生憎マイキーはそうじゃない。


 憧れた背中、の通りにはいかない現実が、ちょっと億劫になるときもあるんだろう。


 家のなかに戻って寝支度を整え、自室のベッドに寝転がる。
 顔を埋めた枕と抱きしめた猫ちゃんから佐野家のにおいがした。


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