翌日、喧嘩賭博をシメに行ったマイキーと合流すると、「面白いヤツがいた」とたいそうご機嫌な様子だった。
 タケミっちというその少年が、新しくできた友だちらしい。金髪リーゼントと聞いて、まさかな、と思ったものの黙っておいた。もしかして一発KOされていた彼では?


 そのまた翌日、タケミっちが気になりすぎて大溝中に突撃したマイキーが、ほっぺたに紅葉をつくっていた。
 タケミっちの彼女に平手打ちされた挙句、「授業中に他校に乱入して無理やり連れだすなんて友だちのすることじゃない」と説教されたらしい。ご尤もすぎて笑い転げた。


 さらに翌日、武蔵神社で行われる東卍の集会に顔を出すため、こっそりと家を抜け出した夜のこと。


Lady Justice;3




「あきちゃん」

 すんっと目の据わったエマちゃんに両肩をガッと掴まれた。痛い。わりと痛い。これ本気で怒ってるときのやつ。
 こんなに怒らせるようなこと何かしたっけ、とここ最近の記憶を掘り起こしてみるけれど、心当たりは一つもない。

「な、なんでしょうエマちゃん」

 傍にいた圭ちゃんが「お? 修羅場か?」と茶化しに来た。そんな圭ちゃんをひと睨みで黙らせて、エマちゃんはキスできそうなくらい顔を近づけてくる。


「マイキーからドラケンに乗り換えたってどういうこと!?」


「「「ハアアアア!!??」」」

 周囲にいた黒い特攻服の少年たちが一斉にこっちを見た。誰も彼もが両目を限界まで見開いている。一番驚いているのは圭ちゃんと千冬くん。
 どういうことって、わたしが聞きたいよどういうことなのそれ。

「‥‥‥いや‥‥‥身に覚えがないんだけど」
「でもでも! みんな言ってる! ドラケンがあきちゃんの肩抱き寄せて『オレの女に手ェ出すな』って言ったって!!」
「オレの女??」

 声も出ないほど驚いていた圭ちゃんと三ツ谷くんは、そしてパーちんとぺーやんも、エマちゃんの言葉を聞いて大爆笑した。千冬くんや八戒くんたち年下組は、今日これから世界が終わりますよと発表されたかのような絶望の表情になっている。本気にしないでよ。

 こっちの騒ぎに気づいたマイキーとドラケンくんが歩いてくるのが、エマちゃんの小さな肩越しに見えた。

「ドラケンに乗り換えとか許さないから! あきちゃんはマイキーと結婚してエマのお姉ちゃんになるんだからね!!」
「ウッ‥‥‥エマちゃん可愛いぃぃあきはエマちゃん一筋だよぉぉ」

 可愛さ余ってエマちゃんをぎゅっと抱きしめる。ああ、女の子ってやわらかい。守りたいこの可愛さ。
「どういう状況?」とこちらを指さすマイキーは、圭ちゃんから軽い説明を聞くや否や、ぎゅっと眉間に皺を寄せてわたしをエマちゃんから引き剥がした。

「どーゆーこと」
「エマちゃんが可愛くて悶えてるとこ」
「そこじゃなくてケンチンの女って何」
「マイキー怒んなよ。どうせ誰かの勘違いだろ?」
「それについては全く身に覚えがないんだよね。ドラケンくん何か知ってる?」

 ここ二日は“タケミっち”のおかげで気分上々だったマイキーが、わりと本気で不愉快そうに顔を歪めている。そりゃマイキーからしたらドラケンくんが他の女子と噂になるなんて許せないだろう。『お兄ちゃん』な万次郎はエマちゃんが大好きだ。

「おいエマ」

 マイキーはやたらドスのきいた声で唸りながら、なぜかニヨニヨと楽しそうに笑っているエマちゃんを睨みつけた。

「エマちゃん、笑い事じゃないよ。自分だってさっきまで怒ってたくせに! 総長の女が副総長と二股なんて不名誉な噂、マイキーたちの沽券に関わっちゃうでしょ!」
「‥‥‥あきちゃんってたま〜にバカだよな」
「三ツ谷くん!?」
「あきはいつもバカだろ」
「圭ちゃあん!?」

 そのバカにいつも定期テストでお世話になっているのはどこの留年野郎でしょうか!

 そうこうしているうちに、顎に手をやって色々と考え込んでいたドラケンくんが「ハイ」と挙手した。

「はい龍宮寺くん、どうぞ」
「あきちゃんが喧嘩賭博を目撃した日のこと覚えてっか?」
「うん、もちろん。三日前じゃん。クラスの子とカラオケに行ったら公園で喧嘩賭博してたから、気になってちょっと覗いてみた」
「『ちょっと覗いた』? 待てよあき聞いてねぇぞ。一人で近づいたってこと?」
「おいあき、面倒くせぇからマイキーの過保護スイッチを入れんじゃねぇ」

 圭ちゃんが後ろからマイキーを羽交い絞めにした。絵面が面白いので放置。

「で、カラオケから出てきたあと宇田工の連中に絡まれたろ。そんでオレが、誰のヨメに絡んでんだよ、って言ったら」
「あ、あー!『ドラケンの女かよコイツ』って言われた! あれか!」

「ドラケンの! 女!!」うひゃひゃと吹きだしたのは圭ちゃんだった。他のみんなも失笑気味だ。

 多分、そのワンシーンを運悪く目撃した誰かが誰かに話し、人の口を経るにつれてなんか色々脚色されてこういう事態になったのだ。
 不良って、縦横のつながりが強くて噂話はすぐ回るから。
 そんでもってみんな天才と紙一重のなんとやらだから、尾鰭はひれもつきやすい。
 回り回ってエマちゃんの耳に、よりによってほとんど原型を留めていない噂が入ってしまった、というわけだ。

 判明してみればしょうもない結論だったので、みんな「そんなこったろーと思ったぜ」とぼやきながら解散していく。
 問題だったのはマイキーのご機嫌だ。
 圭ちゃんの羽交い絞めが解かれたあとも、むすっと唇を尖らせてそっぽを向いている。特攻服を着てバブに跨っていてもなおこのお子様モード。よっぽど機嫌を損ねた証だ。

「マイキー。もう集会を始める時間でしょ。何そんなに怒ってるの?」

 訊ねたわたしにエマちゃんがなぜか大きな溜め息をつく。なぜ。もとはといえばエマちゃんが話を大きくしたんだぞ。

 黙りこくっているマイキーを見下ろして、ドラケンくんが頭を抱えた。助けを求めて三ツ谷くんを振り返るもそっと頭上でバツ印をつくられる。圭ちゃんは「おまえがどーにかしろ」の口パク。パーちんぺーやんは三ツ谷くんに倣ってバツ印、まあこの二人はあんまりアテにしていなかったけれども。

 困りきって顔を覗きこむと、ぶーたれた顔のまま小さく口を開く。

「‥‥‥あきはオレのだし」

 ん?
 一瞬どきっとしたものの、平静を装ってうなずく。この人のこういう発言の全てに他意があった試しがない。

「ええと、うん、そうだね?」
「ケンチンも」
「うん、そうだね」

 マイキー特有のロジックだ。『東京卍會はオレのチーム、だから隊員みんな(“法”のあき含む)オレのもの』。
 どうやらそこのロジックに反する何かがあると考えたらしい。

 ‥‥‥しょうがない総長サマだ。
 もちもち頬っぺを両手で挟み、ずずいと至近距離で目を合わせる。

「あきは万次郎のものだし、堅ちゃんも万次郎のものだよ」
「‥‥‥‥」
「あきは堅ちゃんのものにならないし、堅ちゃんもあきのものにはならない」
「‥‥‥絶対?」
「絶対。これでいい?」

 どうやら及第点だったらしく、ウン、と大人しく首が縦に振れた。
 お子様モードのマイキーは拗ねると面倒だけどご機嫌になるのも早い。隠しきれていない口元の緩みがなんだか可愛くて笑ってしまった。

「よし、じゃあビシッと恰好良く決めちゃってください総長!」
「ん。よし行くぞケンチン!」
「へーへー」

 バブから下りて、ポッケに両手を突っ込み、肩に引っ掛けた特攻服を靡かせながら歩きだす後ろ姿。みんなを振り返ってこっそり顔の前でピースをつくると、圭ちゃんたちは「お見事」とサイレント拍手をしていた。
 三ツ谷くんが溜め息をつく。

「マイキーって将来あきちゃんの尻に敷かれそう」
「ガキの頃からずっとだからもう手遅れだろ」
「そーなん?」
「あきは昔っからマイキーにべったりだったしマイキーはあきに甘々」
「いや、場地もそーじゃん。ウチ知ってるんだからね」
「ウッセェ」




 その日の集会は、参番隊にキヨマサ一派の姿はなかった。
 総長は改めて喧嘩賭博の件に言及することもなかったけれど、キヨマサが制裁を受けるところを目の当たりにしていた隊員の多くは目を伏せ、怯え交じりに集会に参加していたようだ。そのなかには、あの日わたしを心配して叱ったアッくんたちはいない。ということは東卍の隊員というよりキヨマサに無理やりパシられていたのだろう。

 隊員たちから見えない位置、彼らを見下ろすマイキーの斜め後ろにある林の木々に紛れて話を聞きながら、赤いリーゼント頭を思い出していた。
 まあ、彼らも不良なら、渋谷にいればいつかまた会うだろう。


 色々と話を終えたマイキーがこちらにやってくる。
 湿り気を帯びた夏の風に、金髪が揺れていた。

「帰ろっか。あき」

 ポッケから手を出したマイキーがわたしの手首をゆるく掴む。
 ケンカ慣れした彼らが、まるで壊れやすいものを扱うようにわたしに触れるとき、わたしはとてもやさしい気持ちになる。


 たくさんの暴力や悪意を跳ね除けて夜を駆けるこのひとたちを、わたしも守ってあげたいな。


「お疲れさま。マイキーかっこよかったー」
「だろー」
「まー真一郎くんには遠く及びませんけど」
「あきに言われたらなんかムカつく」
「頑張れマイキー! 時代を創る男!」
「うざ」


 七月上旬。夜風はまだ、梅雨のにおい。

 わたしにとってはこれが、年内最後の集会参加となった。




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