二〇〇五年、十二月、某日。


 この日の集会では血のハロウィンの総決算として、芭流覇羅が東卍傘下に降ることと壱番隊隊長が替わることが正式に決定した。
 半間修二率いる芭流覇羅はそのまま新設陸番隊となり、壱番隊隊長は場地圭介から、──花垣武道へ。

 八・三抗争ではナイフで刺されて重傷を負ったドラケンくんを懸命に救け、血のハロウィンでは我を忘れてカズトラくんを殴るマイキーを止めた。その功績は派手ではないし、けっしてケンカが強いわけでもないけれど、東卍の幹部たちの大切な心を守り続けてくれていることは確か。
 出会ってまだ半年にも満たないのに、どうしてここまで尽くしてくれるのか不思議だけど、きっと生来の人柄なんだろう。
 マイキーは彼に真一郎くんの面影を見ているみたいだった。


 集会が終わったあと、マイキーはわたしの家を訪れた。
 庭先のベンチに腰かけ、穏やかな横顔で、集会の様子を教えてくれた。

「あき、前に集会に顔出したのっていつだっけ?」
「七月だよ。喧嘩賭博の直後だったな。懐かしいや」

 そのすぐあとに愛美愛主とパーちんのお友だちが揉めて、お友だちの彼女がひどい目に遭ったからって、マイキーが「別れよっか」と言いにきた。別れ話はうやむやになったけれど、ケンカの範疇を超えた長内の卑劣な行動を危惧して、しばらくは集会参加を控えよう、という話になったのだ。
 それからずっと剣呑な事態が続いていたから、もう長いこと集会には行っていない。

 マイキーはベンチの背凭れに両腕をひっかけて、「そっか」と夜空を仰いだ。

「ま、あきは受験あるし、もうしばらく我慢かな」
「‥‥‥うん」

 マイキーがそう言ってくれたことに、安堵してしまった。
 その気配に気づいてか、こちらを一瞥する。切ない闇を湛えた双眸。圭ちゃんがいなくなったことの影響は計り知れない。


 壱番隊隊長が場地圭介でなくなった東京卍會を見て、正気でいられる自信がなかった。
 マイキーはきっとそのことも解っている。解っていて、猶予をくれた。


 こて、と特攻服を引っ掛けた肩に寄りかかると、マイキーは静かに動きを止める。

「さみしいね」
「‥‥‥‥」
「圭ちゃんに会いたいな‥‥‥」
「‥‥‥‥」
「マイキーだって、圭ちゃんのこと大好きだったんだから。寂しいし、悲しいし、辛くなったら泣いちゃっていいんだからね」

 マイキーはなにも喋らなかった。
 ただわたしの髪に顔を埋めて、草叢で息を殺す動物みたいに、じっと呼吸をひそめていた。


 泣けもしない孤独なひとの呼吸の数をかぞえながら目を閉じる。


 ああ、佐野万次郎を無敵のマイキーたらしめる世界の全てから、このひとを隠してあげたいな。
 守ってあげたいな。
 マイキーが弱くなってもいい場所に、わたしがなれたらいいのにな。


 ねえ真一郎くん、わたしどうしたらいい?


第二章
幾千億の夜の灯、05




 黒い冬用セーラーの女子生徒たちが行き交う校門前で、あらかさまにブレザーのわたしが一人で立っているととにかく目立つ。
 ちらちらと感じる視線に体を小さくしていると、「あきちゃん!」と待ちに待った人の声が近づいてきた。

「三ツ谷くん〜〜」
「こんなトコで待たせて悪りぃ! 心細かったよな。おいで」

 ぎゅっと手をつながれて校内へと誘導される。
 そこはかとなく妹枠で年下扱いなのは、生来の気質なのだろうから諦めた。

 東京卍會創設メンバーの一人であり、弐番隊隊長の三ツ谷隆くんは、中学校では手芸部の部長さんを務めている。
 子どもの頃から小さな妹の面倒を見ていたこともあって家事スキルが高く、面倒見もいい三ツ谷くんは、いつでもみんなのまとめ役だ。パーちんが逮捕されたあと色々あったペーやんを引き取ったのも彼の弐番隊。ぺーやんも、同じ中学の三ツ谷くんだったからこそすんなりと異動できたのだろうと思う。

 手芸部の部室に案内してもらうと、一瞬すごい反響だった。

「部長が! 女子を!」
「部長が他校の女子つれてきた!」
「拉致ですか!?」
「不良の部長に女子の知り合いが!?」

「‥‥‥なんかうるさくてゴメンな」
「いやいや、こちらこそお騒がせして申し訳ない。お邪魔します」

 マイキーもドラケンくんもまあ不思議な不良だし、中学校で不良とガリ勉を両立しようとしていた圭ちゃんも大概変だったけど、三ツ谷くんもなかなか負けていない。

「それで、オレに頼みってどうした?」
「あのね‥‥‥編み物を教えてほしいんですが」
「お、なんだマイキーにプレゼントか。手編みのマフラー? それともセーター?」
「三ツ谷くん鋭くて気持ち悪い」
「フツーにわかるし。十二月だもんな〜」

 三ツ谷くんはニヤニヤしながら部室の隅にある本棚を探りに行った。部員のみなさんは、わたしのほうをちらちらっと一瞥しつつも自分の作業に集中している。

 すごいな、この人たちのなかでは三ツ谷くんは東卍である以前に“部長”なんだ。
 東卍じゃ三ツ谷くんの歩くところに道が開くけど、ここでは逆に三ツ谷くんが「ゴメンちょっと通るぜ」なんて断っている。
 なんだか新鮮だ。

 初心者向けの編み物の本を持ってきてくれた三ツ谷くんは「いや〜でも嬉しいな」と、椅子に腰を下ろす。

「やっとマイキーとあきちゃんが進展したのかと思うと」
「え、進展したの?」
「え、してねーのにマフラー編むの?」
「んー、マイキーやっぱり元気ないし、わたしも没頭できる作業がほしくて」
「‥‥‥ンだよ面白くねー!!」

 あ、いまちょっと不良の三ツ谷くんだった。ガラが悪かった。

 不満げな顔をしつつも相談に乗ってくれる彼とページを捲りながら、色や網目や長さを打ち合わせしていく。編み物が得意な部員さんもいたから、初心者にもできそうな模様をアドバイスしてもらった。

「今度の休み、一緒に手芸店行って毛糸買うか。十一時にハチ公前でいい?」
「うん! よろしくお願いします」
「‥‥‥‥」
「どしたの、三ツ谷くん」
「いや、ハチ公前って、あきちゃんと初めて会った場所だったなーと‥‥‥なんかハズいこと思い出してた」

 照れくさそうに右の蟀谷をぽりぽり掻く三ツ谷くん、かわいい。

「うふふ。初対面の三ツ谷くん、初々しくて可愛かったなぁ」
「あー! いらんことまで思い出すな!!」




 大体のことが決まったあとは、部室の隅っこで三ツ谷くんの部長っぷりを眺めているうちに最終下校時刻を迎えた。

 家まで送ると申し出てくれた彼の自転車の後ろに乗って、秋も終わりの冷たい風を切って走る。

「マイキー、あきちゃんの前ではどんな感じ?」
「うーん‥‥‥だいぶ戻ってきたとは思うよ」

 東卍のみんなは、わたしの前でしか見せないマイキーの顔がある、と思っているらしい。
 けっしてそんなことはないし、むしろ隠されている部分のほうが多いような気がするのだけれど。

「カズトラくんのこと許そうって気持ちになって、圭ちゃんのお墓参りにも行けるようになったし、この間エマちゃんとデートもしてた。でも、夏からこっちゴタゴタしてたから、しばらくは平和に過ごしたいんじゃないかな」
「そっか」
「パーちんいなくなって、ドラケンくんが怪我して、カズトラくんのことがあって、圭ちゃんいなくなって‥‥‥立て続けだったから。三ツ谷くんもじゅうぶん気をつけて、怪我しないようにね」
「気をつけるよ。あきちゃんもな」
「うん」

 六人で始まった東卍。
 創設メンバーは半分になってしまった。
 ここで三ツ谷くんやわたしに取り返しのつかない何かがあれば、マイキーは‥‥‥。なんて考えるだけでもぞっとして、慌てて頭を振った。縁起でもないこと考えちゃダメだ。


 マイキーから離れないって決めた。
 何者にも、マイキーからわたしを奪わせはしない。


「わたし、今から人類最強なくらいケンカ強くならないかなぁ」

 三ツ谷くんがペダルを踏みそこねて脛を強打した。痛そう。

「イッテ‥‥‥なんだ急に!?」
「そしたらさ、マイキーやドラケンくんや三ツ谷くんを傷つけようとする人みーんな、わたしがえいやって撃退するのに。もうみんなが怪我したり逮捕されたり、しないようにさ」
「‥‥‥‥」

 たまに考えることがある。わたしが男の子でケンカも強かったら、東卍の創設メンバーに入れてもらえて、みんなを守るために拳を揮えたのかな、って。
 考えてもしょうがないことだけど。

 三ツ谷くんは自転車を漕ぎながら、声を詰まらせたようだった。

「あきちゃんはさ、そのままでいーんだよ」

 冬に片足を突っ込み、すでに暮れ始めた薄闇のなか、三ツ谷くんの銀髪がきらきらひかる。

「東卍結成の日から、なんにも変わらないあきちゃんがあきちゃんのままでいることが、オレらの信念なんだからさ」
「‥‥‥わたし、なんにもできないのに?」
「そんなことねーよ! それに、あきちゃんにケンカさせるような東卍になったら、そんなんもう東卍じゃねーだろ」

 三ツ谷くんの言葉は優しかった。きっとマイキーもドラケンくんもそう言うだろう。圭ちゃんが生きていればぶっきら棒に肯定した。パーちんなら「オレバカだからよくわかんねーけど」って枕詞についただろうな。今のカズトラくんなら、どう言うかな。


 穏やかに諭されてそれでもなお、わたし、何かできることがあればいいのにって願ってる。
 神さま、どうかわたしに、みんなを守る力をくださいって。




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