第二章
Over The Rainbow;2




 舎弟だからといってパシられる用事があるわけでもなく、目下わたしの役目はマイキーのお世話だった。
 朝、圭ちゃんと一緒に家まで迎えに行って、学校ではすぐフラフラするマイキーの襟を掴んで、先生の言うことも聞かない彼に給食当番や係の仕事をさせる。四六時中マイキーと一緒にいたせいで女の子の友だちが少なかったけれど、仕方ない、マイキーがわたし以外他の誰の言うことも聞かないのだから。
 ついたあだ名が『マイキーくんのお世話係』。
 先生までマイキーに何かあればわたしを呼ぶようになってしまった。


 そんなこんなで時は流れ、小学四年生、春。


「あ‥‥‥」

 なんの因果か先生たちの策略か、わたしとマイキーと圭ちゃんの三人組が同じクラスになった年のことだ。
 朝一番にペンケースの中身を見ていたわたしの声に、隣の席の圭ちゃんが「どしたぁ?」と首を傾げる。

「消しゴム忘れちゃった。宿題してそのまま机に置いてきたかも」
「マジかよどんくせー。今日算数のテストあるよな」
「わー、最悪!」

 今年の担任の先生は忘れ物に厳しい。しかも、悪ガキ二人の受け持ちとあってわたしまで警戒されている。消しゴム忘れましたなんて言ったら、テストがあると事前に言っていたのに忘れ物なんてとぷりぷり言われそうだ。
 とはいえ背に腹は代えられない‥‥‥。
 憂鬱な溜め息をついた瞬間、「あき、ハサミ貸してー」とマイキーの声が飛んできた。

「もー、なに! ハサミ!?」

 こちとらそれどころじゃない!
 ぷんぷんしながら振り返り、ペンケースから取り出したハサミをマイキーの机に叩きつけると、彼はすんとした顔のまま手に持っていた消しゴムを切った。
 この間買ったばっかりの、真新しくてきれいな消しゴム。

 ぽかんとしているわたしに、ほい、と真っ二つにした片方を差し出す。

「あ、‥‥‥ありがと」
「舎弟のものはオレのもの〜」
「‥‥‥『オレのものは舎弟のもの』?」
「代わりに今日の給食のデザートもらいっ」
「えぇ、今日プリンなんだよぉ」
「じゃー返せよ」
「やだ! もらった! ありがとマイキー」

 席に戻って圭ちゃんに見せると、彼もニッと嬉しそうに笑った。
 マイキーは昔から無敵にカッコよかった。
 理不尽も我が儘も多くて苦労したけど、時々それを引っくり返して余りあるくらいの勇気や思いやりをくれる。
 だから、女の子の友だちが少なくても、ちょっと仲間外れにされるようなことがあったって、全然へっちゃらだったの。


▲ ▽ ▲



 マイキーと圭ちゃんとクラスは一緒になったけれど、四年生に上がってからは帰る時間がばらけることも増えた。わたしが図書室に寄ったり、委員会の仕事をしたりするようになったからだ。
 この日は図書室に行って、借りていた本を返して新しい本を借りて、そのままちょっと読んでから学校を出た。
 そして通りかかった公園で、わたしはエマちゃんの姿を見つけたのだ。

 エマちゃん。
 何年か前に佐野家にやってきた、マイキーや真一郎くんとはお母さんの違う妹。
 お父さんとお母さんは一家に一人ずつだと思い込んでいたわたしは、それを理解したときなかなかの衝撃を受けたけど、家族のかたちって色々なんだなぁとそのうち納得した。
 今ではエマちゃんとは仲のいい大親友だ。

「エマって変な名前ー!」
「お前だけお母さん違うんだろぉ?」

 可愛くて意地っ張りでしっかり者のエマちゃんが大好き。
 その暴言が聞こえた瞬間、ぶち、と自分がキレるのを自覚する程度には、わたしは、エマちゃんが大好きだ。

「誰だあああぁっ、エマちゃんのことバカにするやつは!!」
「うわあああオマエこそ誰だよ!!」

 だだだだっと公園に駆け込んで黒いランドセルに飛び蹴りをかますと、見事に顔面スライディングを決めた男の子が涙目で振り返る。
 その周囲にいた三人の男の子がぎょっと後退した。

「エマちゃん平気? なんか変なことされてない?」
「あきちゃん‥‥‥」

 ぽかんとした顔でわたしを見上げるエマちゃんの顔には、乱暴された様子はない。ただ体の両脇で握りしめられた拳が白くなっていただけだ。
 佐野家の家庭事情は、誰かが進んで言い触らすわけでもないのに、実しやかに保護者の間で囁かれていた。そういう情報は保護者から子どもに伝わってイジメの原因になり得る。エマちゃんは名前が少しお洒落なせいもあってクラスの男子に絡まれやすかった。

「なによ! エマって素敵な名前じゃない! アンタたちハリー・ポッターの映画観たことないの? ハーマイオニーの子と同じ名前なんだからね!」
「あきちゃん、ウチ平気だから」
「なんの関係があんだよそれとこれと! なんなんだよオマエ、謝れよ!」

 偉そうにわたしをびしっと指さした男の子と、後ろの三人組。

「ふん。男四人で寄ってたかって女の子イジメるなんて恥ずかしいと思わないの?」
「ウッセェバーカ! 大体オマエ佐野のなんなんだよっ、関係ねぇやつは引っ込んでろ!」
「エマちゃんはわたしの大親友だしっ、マイキーの妹はわたしの妹だ! アンタたちのほうこそ謝れ!!」

 幼い頃から真一郎くんをはじめとする不良たちに遊んでもらったわたしである。

 不良の心得その一、女は度胸。
 その二、啖呵を切るときは死ぬ気で切れ。中途半端が一番いけねぇ。
 その三、怯えた姿を見せるな。

 というのが舎弟仲間の竜ちゃんに教わったことだ。真一郎くんは例によって「なんてこと教えるんだ!」って竜ちゃんのリーゼントを叩いていたけど。
 年下の男の子四人、しかもエマちゃんを傷つけるものになんて臆する理由がない。
 じっと睨み合うこと五秒して、四人組はじりっと後退った。

「おっ、憶えてろよバーカ!!」
「ブース!!」
「弱い犬ほどよく吠えるのよね!!」

 ──というセリフもまた竜ちゃんが以前言っていたものだ。
 真一郎くんの代が暴走族を引退してからあんまり会えていないけど、みんな元気にしてるかな。

 場違いにも懐かしく思いながら腕組みをして、逃げていく四人組を見送った。

「‥‥‥なにアイツら。エマちゃんのクラスの男の子?」
「そー。毎回毎回絡んでくるんだよ。うるさいの何のって」
「エマちゃんのこと好きなのかな?」
「ゲ! やだあきちゃん冗談でもそういうこと言わないでよ、あんなの全然タイプじゃないし!」
「だよねー。帰ろっ」
「うん! ウチあきちゃんとなら結婚したいなー。今すっごくカッコよかったよ!」
「ワーイ。あきもエマちゃんと結婚する!」




「あき昨日エマのこと助けたんだってー?」

 圭ちゃんと一緒に佐野家で寝惚け眼のマイキーを回収して小学校へ向かっていると、ようやく覚醒した彼はニヤッと笑いながらわたしを見た。

「なに、聞いたの」
「昨日からずーっとその話。『エマあきちゃんと結婚する!』だって。女同士は結婚できねーよ」
「なんかあったのか?」

 圭ちゃんが首を傾げたので、わたしは昨日の顛末を話した。

「あきが飛び蹴りィ? 昇段試験で試合ができなくて泣いて道場やめたあきが?」
「ね。わたしもびっくりした。キレるってああいう感じなのかな」
「コワッ」

 わたしたちが知り合ったのは佐野道場だ。先生の孫のマイキーと、道場に通っていた圭ちゃん、そして道場に通っていた兄の送り迎えをする母についていったわたし。
 マイキーや圭ちゃんと同じように空手を習いたいと言いだしたのは小学一年生のときだけど、その後二年でわたしは辞めた。
 ちなみに三つ年上で最近反抗期の兄も、小学校卒業と同時に辞めている。

「女同士は結婚できねーけど、マイキーとあきが結婚したらあきとエマ姉妹になるんじゃね?」
「あ、確かに。そしたら真一郎くんもお兄ちゃんだね、圭ちゃん名案。よしマイキー結婚しよ!」
「兄妹目当てかよ」


前へ - 表紙 - 次へ